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砂漠の蝶  作者: Akka
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風休む梢

「霊廟参拝…ですか」

 部屋の中にはショウコとレイヴスが腰掛けて、シンレットとロイが近くに控えている。ケンはやはり定位置となりつつある入り口近くにいる。

 仕方のないことで必要なことだとも分かっているが、長い間身分や慣例が緩いドーブで暮らしていたショウコにとっては気安い人間しかいない場所でもこういった身分関係を明確にしなければならないというのはどうにもやりにくい。

 長いものには巻かれろとは思わないが、郷に入れば郷に従え。気に病んでも仕方がないかと思い直す。

 一つ小さく息をついて、皇帝執務室に設えられた応接用の一画で、ショウコは茶の香りを楽しんだ。蜜蘭香は香りは甘いが味はしっかりとしていて、ともすれば強すぎる香りを上手くまろやかにしている。 このお茶を淹れてくれた女官はなかなかの腕前だ。やはりこれくらいでないと職人の手がかかった茶葉に申し訳ない。

 対するレイヴスは茶器の繊細な造りに感心したようにくるくるうと小さな茶器を手の中で弄んでいる。

「そうだ。本来ならば立后に先立って行うものだが…まぁいろいろと都合があってな。三日後に出立してもらう」

 『都合』の内容を知るシンレットは一瞬視線を他にずらした。オースキュリテにショウコが立后する旨の書状を送ってから返事が帰ってくる前にと急いだのはまだいい。しかし三日後となれば。おそらく最速で返事が返ってくるであろう頃合だ。

 どうせ遅れてしまったのだから、これほど急に決める必要もないはず。しかしそうした真意はどこにあるのだろうか。

 しかしレイヴスの横顔からはなんの表情も読み取ることが出来ない。

「三日後…急ですね。と、言いますよりも…あの……確か、歴代皇帝陛下の霊廟は……」

 珍しくショウコの言葉の歯切れが悪い。言いにくいことをどうにかして伝えるという最低限の役割はそれでも十分だが。

「ああ。壊された」

 あっさりと後を繋いだレイヴスに、ショウコは硬い表情のままそうですよね、と呟いた。

 初めてこのことを知ったとき、霊廟が破壊されるってどんな国なんだと思った。しかし調べてみれば古今東西霊廟に眠る財宝を求めての墓荒らしというのは比較的多い。

 しかしリュミシャールの場合あまりにも事情が特別だった。

「先代皇帝が完膚なきまでに壊しに壊した。もうあれは執念だったな。まぁそれでも一応棺はまとめて一つの霊廟に保管したわけだが……。旧皇帝墓群には今何があったかな」

「王都に近い場所では娯楽性の高い一画になっていますね。確か色を売る店が多かったかと」

「……即答ですか」

 通いなれているんですねと仄めかしたショウコの言葉を受け流し、シンレットはたまたまですよと笑う。

 墓が娼館。普通なら何となく開発しにくそうなものだが、流石商人は割りきりがいい。

「まぁ大抵が見晴らしの良い場所にあったからな。死人には分不相応だ」

「ではどこに参ればよろしいでしょう」

 いくら政治が形式主義とはいえ、まさか女性とねんごろになってこいとは言うまい。

 そうは思いつつもしもの時に備えて理論武装を固める。

「旧王都に向かってもらう。工程は七日間を予定している。それより早くも遅くも帰ってくるな」

「わかりました」

 あっさりと首肯したショウコにレイヴスは意外なものでも見るかのように片眉を上げた。

「要は歴代皇帝にご挨拶という目的が達せれば良いのでしょう。旧王都。非常に合理的です。少なくとも会ったこともない方々の棺に向かい合うよりは、よほど得るものもありましょう」

 何より一箇所で済む。長くもない距離をだらだら移動するのが御免被る。

 レイヴスに言葉が足りないのはもう慣れた。話が結論から結論に移動するので道筋が見えなくなるときは多々あるが、諸事情を考慮すればそこは自然と繋がってくる。ただ、あまり優しい話し方でないことは確かだが。

 そんなショウコをシンレットはこっそりと感心したように眺めていた。そして、その後ろのどこか面白くなさそうな顔も。

「同行はシンレットに申し付けた」

「は…」「はい!?」

 了承の意味で頷こうとしたショウコと、聞き返す意味で口を開いたシンレットの声が重なる。

「聞いておりませんが?」

「今言った」

「三日後ですよ?」

 いくらなんでも無茶だ。三日後までに向こう七日分の仕事を片付けろとは。

「あら?」

 ショウコが作り物めいた微笑を浮かべる。間違いなく良くない兆候だ。

「私も同じですわ。まさか極めて優秀な最年少大臣閣下が、そんなことを不可能とはおっしゃいませんわよね?」

 こんなの八つ当たりじゃないかとシンレットは歯噛みした。あっさりと受け入れたその内心で、ショウコも急な予定に苛立っていたらしい。

 どこかに断る道はないかと模索していたとき、それまで黙っていたロイが口を開いた。

「無理だ」

 ぱたんと手にした予定表を閉じてレイヴスに向き直る。

「ショウコちゃんの予定は向こう10日間は動かせない。仕事はじめで忙しいことくらい分かってるだろう?シンレットだって忙しいみたいだし、あと5日待ってくれたら僕が同行できるように予定を組みなおすから」

 黙って額に手を当てて聞いていたレイヴスは、ゆっくりと顔を上げると目を眇めた。

「ロイ。それをどうにかするのがお前の仕事だ」

 それ以上でもそれ以下でもない言葉を続ける。

「そしてシンレットの予定はそっちの事務方がなんとかするだろう。お前が心配することではない」

 無理を言っているのはレイヴスかロイか。

 それは聞く人間の立場に寄るだろう。しかし絶対的な差は命を下す人間と下される人間だということだ。

 それは比較的良く見る光景ではあるが、ショウコはどことなく違和感を感じた。

「同行はシンレットだ。お前よりも貴族連中に顔が利く。今回は皇后の顔見世でもあるからより有利な人間を選ぶ」

「…御意」

「それから、ケン・ショート。護衛はお前に任せる。近衛軍の隊長と相談して人員を固めろ」

「分かりました」

 ケンの簡潔な言葉に頷き、レイヴスは立ち上がると執務机に向かう。

 話は以上だと切り上げた姿に、シンレットも受け入れるより他になかった。

「では僕は仕事に戻ります。

 皇后陛下、後ほど打ち合わせに伺います」

 それだけ言うとシンレットは慌しく出て行った。決めてしまえば切り替えも早いし仕事も速い。最年少で大臣まで上り詰めた所以だろう。

「では私たちも戻りましょう。陛下、御前失礼いたします」

 背を向けたままの相手に礼を取り、部屋を辞した。







 新たに設えたショウコの執務室は皇帝執務室から直線距離にするとそれほど遠いわけではない。しかし中庭を四角に取り囲んで対角線上にあるので厄介と言えば厄介だ。

 中庭に敷き詰められた青々とした芝生を走る風は気持ちいいが、この国でそれを維持するためにどれほどの人手と金がかかっているのかは想像したくない。

「突然すぎはしませんか?」

 一歩後ろを歩くケンが呟く。それはショウコも感じたが、立后も何もかもが突然だったため感覚が麻痺してしまった。

「まぁ、陛下だしね」

 その一言で何となく片がつく気がするのは間違っているのだろうか。おそらく間違っているだろうと思いながらも、それ以外に言葉が見つからない。

「でも、レイらしくない」

「そう?私から見た陛下って常にああいう感じだけど……。私よりロイのほうがずっと付き合い長いものね」


 言いながらショウコは先程感じた違和感の正体に気が付いた。

「ロイはシンレット殿との打ち合わせの時間を決めておいて。ケンは近衛軍の詰め所に戻っていいわ。護衛の打ち合わせしなくちゃいけないわよね?私は少し後宮に戻って、そちらを片付けてから執務室に戻ります」

 言うだけ言うとショウコはくるりと踵を返した。

「ショウコ様!」

「人の少ないところは通らないから」

 ひらひらと手を振ってショウコは来た道を戻っていく。

 しかし曲がった角は後宮とは反対方向だ。


 後宮に戻ると言うのは嘘ではないのだろう。しかしその前に行くべき場所がるのは明らかで。

 それを見送るしかない横の男にケンは幾分低い声で嘲った。

「無様ですね」

「……殺すよ?」

「出来ないでしょう。地位も身分も不確かな今の貴方には」

 筆頭護衛官と執務官。階級で言えば全く同等だ。

「君は…レイが気に食わないんじゃなかったのか?」

「一体何を」

 嘲るように息を吐くとケンは淡々と続けた。

「私が排除したいと思うのはショウコ様に仇なす者です。ショウコ様が厭う者が私の敵。それを排するために利があるのならば誰とでも手を組みますが……」

 続きは必要ないとばかりに途切れた言葉に、指先が震えるほどの怒りを覚えた。

 それを悟られまいと軽妙な笑みを浮かべる。

 すべては自分の責だと分かっているからこそ、そのすべてを甘受するより他にない。

 ここで自由に振舞えるだけの地位がないのは、再三ドーブでショウコに勧められたにも関わらず執務官になることを拒んだから。

 シンレットに大きく水をあけられたのは、中央との繋がりを放棄して小さな楽園に篭っていたから。

 つけが回ってきただけのこと。

「言ってくれるね」

「事実でしょう。無益な人間に用はありません」

 それだけ言うとケンは軍の詰め所に向かって歩き出した。

 その背中を見送ることもなくロイも歩き出す。

 今回はいい機会なのかもしれない。10日あれば地盤を固めるのには十分だし、多少無理をすればかつての繋がりを復活させることも出来るだろう。その過程をショウコに見られなくて済むのは正直ありがたい。政は綺麗な手段ばかりを使うわけではないとショウコも分かっているだろうが、あえてそれを突きつけたいとは思えないから。










 ショウコは先程出てきたばかりの扉の前で逡巡した後、控えめに扉を叩いた。

 許しを得て中に入ると、レイヴスは面倒くさそうに視線を投げてよこした。それに僅かに怯む心を押し隠しつつ、ショウコは略式の礼を取る。

「何だ」

「よろしかったのですか?」

「何がだ」

「ロイです」

「構わないだろう」

 僅かな抗議を込めつつ首を傾げると、レイヴスは一つ小さくため息をつく。

「ロイが…何か言っていたのか?」

「まさか。ですが」

 不必要に言葉を切ったショウコをレイヴスが訝しげに眺める。視線がぶつかった瞬間を狙い済まして口を開く。

「ロイにあんなきついこと言うんじゃなかったーって後悔している陛下のご尊顔を拝しに参ったまでです」

「…拝観料を払え」

「あら、山勘でしたのに」

「そうか。自分が仏になる気があるのか」

「宗教を気安く語るのは感心いたしません」

 レイヴスは背中を椅子に預け仕事を一旦中断する様子を見せた。最近は会話の中で有耶無耶にされることや誤魔化されることが減ってきた。その分気を抜けない状況ではあるのだが、少なくとも向き合おうと言う意思が互いにあることは必要だ。

「ロイは誰よりも賢かった。それこそ勉強だけ見ればシンレットよりも上だった。おそらく将来を嘱望された人材だったはずだ」

 すべて過去形で語られる言葉。口にするレイヴスとしても楽しい内容ではないのだろう。

「だが足りないものがなかったというわけではない」

 僅かに不快そうな面持ちは自分に対する苛立ちも混ざっているのだろう。

「それは…身分、ですか?」

 軽く目を伏せたまま頷く。

「ですが、執務官は身分や職歴を問わないはずでは?」

「建前はな」

 沈痛そうな面持ちにそれほど事情が単純でなかったことが分かってしまった。

 ロイの自尊心は決して低くない。

 学舎では純粋にその能力だけが評価されるが、実際に働いてみれば人間は自分と近しい人間と共同体を作るものだ。そこで行われる無意識の行動を制度だけで完全に排することは不可能だ。

 それが積もり積もればいつしか学舎では自分より下だと侮っていた人間が並び追い越していく。

 耐えられなかったのだろう。そして耐えるほどの価値を中央政府に感じなかったのだろう。

 それを大人気ないと罵ることは簡単だが、そう思われてもした決断を切り捨てることは出来ない。持つ側の人間にはそれを理解することは出来ても感じることは出来ないのだから。


「では、ロイには頑張って貰わなければなりませんね」

 将来を嘱望されてそれを振り切るように飛び出した後、風当たりが強くなかったはずがない。当然仲の良かったシンレットやレイヴスにも感じるものはあったはずだ。

 呼び戻すことに対しても反発はあったに違いない。

 それらを考慮してもなお、ロイにその価値があるとレイヴスが認めたのならば。

 ロイがそれを知っていても一度は捨てた場所に戻ってくることを決めたのならば。

「……そうきたか」

 どこかあっけに取られたようにレイヴスはぽつりと言葉を残した。

「何か間違っていますか?」

「いや、お前はそれでいい」

「馬鹿にされているような気もしないではありませんが……、事情は理解しました。

 陛下の分かりにくいロイへの激励も、おそらくは伝わっているのでは?」

 伝わっていると断言しないのがショウコだ。

 レイヴスもそれに苦笑する。自分でも大概素直でないし分かりにくいとは思っている。

「ならば仕事にかかれ。言っておくがロイには何も言うな。アレが自分で片付ける問題だ」

「ご心配なく。それほど無粋ではありません」

 

 もとから自分が心配するような話ではなかったのだ。ここに来たのは単なる興味で、何をどうこうしたかったわけではない。

 自分でも何に対して言い訳をしているのか分からないまま、ショウコは踵を返して歩き出そうとした。

「お前は」

 呼び止められて首だけで振り返る。

「何のためにここにいるのか、決めたのか?」

 そこには予想したようなからかいの色はなく、ただ真摯な瞳があった。

 母の死を受けて目的を失ったと泣いた。それは数日経った今でもどこか現実味のない虚ろな事実だが、ゆるやかにではあるが受け入れ始めている。何に対しても時間というものは特効薬で、少しづつ癒しながら鈍感になっていくのだろう。

「そうですね。まだ、分かりません」

 誤魔化すことは出来ずに声が少しかすれた。失ったものが大きすぎて簡単に代用品が見つかるものでもない。そもそもそんなものが存在するのかさえ分からない。

 僅かに柳眉を寄せたレイヴスにショウコは内心で苦笑した。興味本位で尋ねたつもりが、探られたのはこちらだったようだ。

「ですが、取り敢えず今はそれなりに楽しんでいます」

 嘘をつくことが出来ないなら、これが今の精一杯だ。

「そうか。ならば問題ない」

「ええ。私も、そう思いたいです」

 当然生活の中で腹立たしいことや辛いこともある。後宮は未だに針の筵だし、故国のことで当てこすりを言われることもままある。しかしそれら瑣末を補って余りあるくらいに充実していると胸を張って言うことが出来る。それを与えてくれたのは間違いなくレイヴスだ。


 レイヴスは満足げに笑むと、視線を書類に落として言った。その直前、両の瞳に僅かに意地の悪さが光る。

「姉君に手紙は書いたのか?」

「……っ!」

 レイヴスの視線が下がったままなので一瞬で固まった表情は見られずにすんだが、それも気遣いと分かればむしろいたたまれない。

 ―――この方は、この方は、この方はっ!!

 思わず奥歯をかみ締めた。気を緩めた一瞬を外すことなく打ち込んでくる的確さはどこで培ったのだろうか。


「まぁ先三日は目の回る忙しさだろう。戻ったら出来る限り早急にかかるように」

 私信なのに間違いなく命令された。それでも戻ってくるまで猶予が与えられたことに違いはない。

 ショウコも火急の用件だと言うことは分かっている。10年以上返信がなければ、リュミシャールの責任を問われても仕方がないことだ。それを避けるためにもそつのない弁明と謝罪が必要だ。

 それなのに時間をくれたのは、事情を慮ってのことだろう。

木乃伊ミイラ取りが木乃伊、といったところですね」

「何?」

「南西の国の言葉です」

 訝しげなレイヴスの疑問に、求められているものとは違う答えを返して部屋を辞する。レイヴスが言うようにやるべきことは山のようにあるのだから、これ以上ここで時間を浪費する訳にはいかない。






 すれ違う人々が自然に道を譲ることにも抵抗はなくなってきた。わざわざ脇に控える必要はないが、それも一種の様式美でそのほうが楽なのだと言われればそれまでだ。

 採光と通風のために大きく切り取られた窓からは焼け付くような強い光が差し込んでいる。これほどまでに強い光はむしろ生物に命を与えるよりも略奪していく。強すぎれば何事も害だ。それはどこかレイヴスと似ているような気がした。

 額に手で庇を作りながら、ショウコは先程までの会話を反芻する。

 レイヴスとの会話は面白いと素直にショウコは思っている。初めて会ったときのような恐怖や再会したときの嫌悪はもうない。

 すべてを肯定することは出来ないが、確かにショウコが持ち合わせていないものを持っている人だと思う。それが少し妬ましくて羨ましい。そしてそれ以上に凄いと思える。

 でもそれが何だろう。

 似たような感情はシンレットやロイにも感じるし、ケンやアオも尊敬すべき美点を持った人間だ。

 少し考えてからショウコは何かを振り払うように軽く頭をふるう。

 どうして急にそんなことを考えたのか。

 それは考えないことにして。


 

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