始まりの風
国の重臣が一堂に会した閣議の席は既に秩序を失っていた。
普段は粛々とした議事のもと、論理的な議論が交わされる場である。しかし今日ばかりは既に発言権など求めない喧騒が飛び交っていた。
場の中心であるべき皇帝であるレイヴスは面白がるような笑みを浮かべて頬杖をついているばかりで、それが一層声を大きくさせる。
非難の矢面に立たされているのは、先日立后したばかりのショウコだが、こちらは聞いているのかいないのかその表情からは分からない。一緒に仕事をしたロイもその横で無言を貫いている。
糠に釘。暖簾に腕押し。
しかしそれでも言わずにはいられないのが人間の心情だ。そういうわけで不毛な議論はその後も暫く続いた。
「では、そろそろよろしいかしら」
音もなくケンが椅子を引きショウコが立ち上がる。
流石に大きな声を聞きすぎて耳が痛い。思わずこめかみを揉んだのをレイヴスに見つかったのは即刻忘れることにした。そもそもあの顔が気に食わない。ショウコに大掃除を命令したのはレイヴス本人であると言うのに、それを忘れて様な顔をして。それに関しては後で話し合いの必要があるなと心に留め置くことにした。
「今までの議論を総括しますと……」
不必要に言葉を切ってあたりを見渡す。
いくつかの顔がぎくりと強張ったのを見て、一応の報復にすることにした。
「今回の後宮の人員削減に関して皆の意見は、一つ・皇后の悋気からきた暴挙である。二つ・特定の派閥に組するものである。三つ・皇后のリュミシャール文化に対する理解のなさを露呈するものである。以上ですね?」
進行役がいなければ往々にして議論は同じことの繰り返しになる。結局長々主張してきたことも総括すれば非常に短いものだった。
ショウコとしても非常に虚しい。予想していたとはいえ、やはり貴族にとっては娘を国母にというのは永遠の夢なのか。
そんなショウコの内心を読み取ったように、皇帝と皇后の席の後ろに控える近衛軍が顔を引き締めた。軍部が大きな影響力を持つこの国では大貴族と言えども敵に回すのは厄介だ。そして先だって起こった事件で軍部は皇后に親和的になっている。ショウコは着実に足場を固めつつあった。
ショウコは自分が既に「逆らうと面倒な相手」であることを認識した上で言葉を続ける。そう認識して貰うことは必要だが、実際に意見が合わないからといってどうこうする心算はないしその権限もない。
「まず皆に見てもらいたい資料があります。ロイ」
ロイが資料を配り始めたのを確認しながらショウコは改めてその数字にため息をついた。
何たる無駄。なんたる浪費。改めて数字を洗い出して本当に良かった。今後の戒めにしてもらわなければ。
「これまで後宮の経費は何ら監査もなく、求められるままに拠出されてきました。しかもその名称が様々であったために全体を把握することが困難になっていたことは事実です。それらすべてが無駄とは言いません。国の礎となるべき後継者を生む場所であれば、それ相応の経費は認められます。しかし……」
突きつけられた数字に重臣たちの顔も青くなる。始めはショウコもショウコだって驚き目を疑った。シンレットはショウコに良くやったと涙を流さんばかりに感謝したし、レイヴスは一人気まずそうにしていた。
手痛い現実だが気が付かなかったよりはましだと考えるしかない。
「後宮に流れていた費用はおおよそ国家予算の四分の一……。過大であったとしかいえません」
痛いほどの沈黙が流れる。
ショウコとしても男性が女性の経費についてあれこれ口を出し難かったということは理解できる。しかも一つ一つが小口であれば、日々の慰めにと許可を出したくなる気持ちも分かる。
「後宮には現在300人の女性がいます。その中に皇妃が4人、側妾は3人。彼女たちは…」
「それ以上をこの場で口にすることは許さない」
突然口を開いたレイヴスにショウコはふわりと微笑みかけた。
「わかりました。陛下のご都合が悪いようですので、差し控えます」
レイヴスは忌々しげに眉を顰め、下座に座るシンレットは事の推移を思い出したらしく俯いたまま声を殺して小刻みに肩を震わせて笑った。
「シンレット……」
「…っはい…」
「退室するか?」
その瞳は傍目にはかなり真剣に見えて重臣たちは青ざめたが、シンレットは相変わらず笑い続け、ショウコが何もなかったかのように淡々と進めていくので、多くの者は何もなかったのだと思い込むことに決めた。
「今後は後宮の費用を大幅に削減することが可能になります。残った方々には快くその旨納得していただきました」
快く、の内容を知っているロイやシンレットは素直に頷けない部分もあるが、それを知らない者たちからは感嘆の声が上がった。
「よって今年の予算も後宮分は余ることになります。財務大臣?」
つと目を走らせると、後宮の出費に関して一番の責任を負うべき立場を自覚している大臣は蒼い顔を白くして立ち上がった。
「は、ハイ!」
「……座れ」
レイヴスは一瞥すると冷たく言って立ち上がる。それだけで場の空気が変わった。
悔しいなと思いながらもショウコは一歩後ろに下がる。分かってはいるが、まだまだ敵わない。
「後宮の人員削減は前々から決めていたことだ。今後も増やす予定はないので各人その心算でいろ。
加えて後宮の経費だが、これに関しては誰にもその責を問う心算はない。これは当初から予想されていたものではなく、皇后の単純な興味と執念から生じた結果だ。
浮いた予算は急務である街道の建設に回す。異論は?」
皇后の暴挙ではなく皇帝の意思であること、そして誰も罰しないという条件に誰もが黙るしかない。加えて今後は娘を後宮に入れることは出来なくなるという徹底振りだ。
シンレットが小さく「お見事」と呟いた。
すべての者が国のため一枚岩というわけにはいかない。貫きたいと思えば餌で懐柔することも厭わないとレイヴスは考えている。
「結構。あぁ、最後に皆に伝えておくが……」
レイヴスは振り返ってショウコを見た。自然に場の視線が集まる。
「今後皇后を政治に参与させる。詳細はおって決めるが……」
「陛下!」
無視しようにもそうは出来ないほど、場の空気が張り詰めた。
皇帝の言葉を遮ってまでの抗議にショウコは首を傾げる。突然のことであるのは確かだが、それほど大きな反発はないとシンレットも予想していたはずだが。
そして見渡してみてどこかに感じる違和感。正体を掴もうと頭をひねった。
「それはあまりに軽率なご判断では!?どうぞご再考を」
「陛下とてお分かりのはずではございませんか!」
「皇后の手腕に問題があると?」
それはないとたった今証明して見せたはずだが、と言いながらレイヴスはゆったりと席に腰掛ける。長くなるのと見込んだのだろう。
「そうではありません!しかし悪しき前例が」
「国を傾けるおつもりですか?」
強い語気にざわめきが大きくなる。
年嵩の経験豊富な重臣が血管を浮き立たせてまでの抗議とは珍しい。受け止めるレイヴスは遮ることなく耳を傾けている。
それにしても国を傾けるとは話が大きくなってきた。
あまりの剣幕にショウコは蚊帳の外だ。
「ショウコちゃん、大丈夫?」
後ろに控えていたロイが心配そうに訊ねるが、その声には苛立ちが滲んでいる。それを宥めるためにもショウコは努めて明るく、しかし小声で言った。
「私は何も…。ただ、反対している原因が分からなくて」
ショウコの出自に拘っているというのなら話は早いが、どうもそれは違うような気がする。そうであるなら前例と言う言葉は甚だ不適当だ。
一人一人の顔を見ていてふと気が付いた。
反対しているのは年嵩の者だけだ。
「今の言葉は撤回してもらおう」
レイヴスは静かにそう言い、ショウコを招く。
「私も皇后も国を傾ける心算などさらさらない。すべて国に資すると思えばこその決断だ」
比較的若い者からは賛同の声があがる。
ショウコは状況が読めないながらも、すっと握られた手の暖かさは信頼するに足りるなと根拠もなく思った。
「しかし…かつては……」
「言わんとしていることは理解している。しかし私もお前たちも同じ過ちを繰り返すほど愚かではないだろう。
そして私と皇后が同じ過ちを犯そうとするならば、諌めてくれる者たちだと信じている」
静かに語られた言葉がゆっくりと場を支配していく。
レイヴスは協調性というものをさして尊重していない。
事を進める際に強権を発動してそれで済むのならばそれでよしとする。
決して他者の話を聞かないと言うわけではなく、そちらがより優れていると認めれば当然にそちらを採択する。しかし熟考の上で自分の意見が正しいと思うのならば、たとえそれが万人に反対されても貫くだけだ。
それが悪いとは思わない。上に立つ者には当然に求められる強さだとも考えられる。
故に。
「説得」を試みるという姿勢は非常に有効だった。
「……分かりました。陛下がそこまでおっしゃるのならば。皇后陛下のお力は我々も認めるところです」
「他は?」
レイヴスが場を見渡すのに合わせて、皆が順々に礼を取った。
満足げに笑み、レイヴスは閉会を告げた。
会議が終わりそれぞれが歓談という名の政治を行ったりする中で、ショウコは机の上の書類を片付けていた。頼めばやってくれる人間はいるだろうが、出来る限りこういったものは自分で管理したい。
「皇后陛下」
頭の中でこれからの予定を組み立てていたショウコに、しわがれた声が掛けられた。
「あ…、たぬ…」
意識するよりも口から言葉が出た。
「たぬ?」
「いいえ?お気になさらず」
口元だけを微笑みの形にして場を誤魔化す。
そうですかな?と笑う好々爺然とした男には見覚えがあった。御前試合の前の帰還を祝う宴で、本来述べるべきでない口上を述べた男。戻る道すがらレイヴスが狸と称していた男だ。
その精悍とは言い難いどこか愛敬のある顔立ちに、ショウコも秀逸な名づけだと感心しそのまま覚えてしまった。
「現在内務総括の任を頂いております、ゲハル・ダービスと申します」
深々とした礼を取るが、その下で一体どんな顔をしているやら。
ショウコも内心を押し隠しながら礼儀にかなった返答をする。
「それでですな……」
一通りの挨拶が終わったところで、ゲハルはずいと顔を寄せてきた。反射的にショウコは一歩引くが、相手はそれを意に介さない。なかなか図太い老人だ。
「先程中断されたお話を伺いたく」
思いのほか真剣な様子にショウコは面食らった。
ちらりとレイヴスの様子を窺うが、個別の政策についての話をしていてこちらに注意を払ってはいない。
ここが先程の意趣返しのしどころか。しばし口元に指を置いて考える。
一呼吸おいて表情を硬くした。
「ゲハル殿。貴方奥方は何人いらして?」
「はっ?!」
突拍子もない質問に間抜けな声が上がる。
「それほど答えにくい質問かしら?」
「いえ…3人ほどおりますが……それが?」
「何故かしら」
重ねた質問に今度は返答の仕方を迷う。いつの間にか質問したはずがこちらが答えに窮することになろうとは。
「国の中枢を担うほどの方なら10や20は平気で養っていけるでしょう?それなのに3名の方々を選んだのは何故?」
楚々とした外見からは想像できない直接的な切り口で質問を重ねる。
ゲハルは遊び半分で声を掛けたことを後悔した。まさか身分が下の自分から話を切るわけにもいかない。
「つまりはそういうことだと思ったのです」
ひとしきりからかって満足したショウコはからりと表情を緩めた。
宴の席では突然のことにこっちが驚いたのだから、少しくらい許されるだろう。
「100や200の女性がいらしても、きっと大した意味はないのではないかしら。
そのすべての方と関係を持ちたいと思う男性はおそらく稀でしょう?そういう意味で巨大な後宮は女性にとっても不幸です。大切に育てられた娘が城の片隅で人知れず花を散らすのはあまりに不憫ではないかしら」
先に自分のことに置き換えられていただけに否定も出来ない。
別にショウコはこの会話で後宮の人員削減を正当化しようと思ったわけではない。むしろ理屈としては男性に理解されがたいものであると思っていた。だからこそ後宮の経費について資料をまとめてきたのだ。
「翻って私自身に置き換えてみても……」
「皇后陛下に、ですか?」
「そう。
仮に目の前に老いも若きもずらりと100人の男性を並べられても……うん。どんなにそれが推奨されても全員と関係を持ちたいとは思えないわね」
真剣な面持ちでそう呟く皇后に、大臣は絶句するしかなかった。
この場をどう切り抜けたらいいのだろうか。これまでの政の中で弄してきたどんな手練手管を使っても、これほどの難局を切り抜けることはできないかもしれない。
背中を嫌な汗が伝っていった。
「何の話をしているかと思えば…少しはおとなしくしていることが出来ないのか」
やれやれといった風情で後ろから声がかかる。ゲハルには天の助けのように思われたが、ショウコは僅かに顔を歪ませた。
「陛下、そのお言葉の真意を私は図りかねますが?」
「励め。
……ゲハル、からかう心算が噛み付かれたか?お前がやり込められている姿は痛快だな」
口角を皮肉に上げてレイヴスは笑う。それを受けてゲハルはやりにくそうに毛の薄くなった後頭部を掻いた。
「お前も、これだけ注目を集めていて気が付かないとは、余程だ」
「は?」
ショウコが決して狭くはない室内を見渡すと、殆どの顔がこちらに向けてある。
一体いつからと思うと流石にやりにくい。
「それにさっきの話は何だ?」
「何だ…とおっしゃいますと?」
「どうして自身の話として置き換える必要がある。無意味だろう」
「無意味ではございません」
ショウコはきっぱりと否定した。このとき皆の視線が集まっているということは頭の片隅に追いやられた。
「異性を多数そういった対象として扱うこと。同感できないからこそまず置き換えてみたのです。結果理解は出来ませんが受け入れることは出来ると判断しました」
いっそ堂々と言いきったショウコに場が絶句した。
聞きようによっては皇后が側妾を容認すると言っているようにも取れる。あまり一般的とはいえない価値観であることは間違いない。
「馬鹿が……」
短い会話で疲れきったようにレイヴスは呟いた。視線を逸らして肩を落とす仕草が何とも人を馬鹿にしている。
「何故ですか」
「それを分からないから、馬鹿だと言っている」
あたりを見渡すと、レイヴスの後ろではシンレットが、少し離れてロイも頷く。入り口近くにいたケンも目を逸らしたところを見ると、ショウコに非があるらしい。
僅かな葛藤の末、小さく謝罪を搾り出す。
「…今後、鋭意努力します」
そして言い逃げして歩き出す。ショウコは戦略的撤退だと自分に言い聞かせた。
しかしそこは悲しい歩幅の差が、入り口にたどり着く頃には捕まってしまった。意地になって少しばかり速度を上げるが、レイヴスの歩く様が優雅なくらいゆっくりとして見えたので急に疲れた。
「何故私の言葉に素直に頷けない?」
「ご自分の胸に手を当ててみては?」
「質問に質問で返すな。努力する気などないだろう」
二人の背中を見送って、シンレットは呆然としている一堂を見渡した。
「では僕たちも解散と言うことで」
ロイとケンは既に二人の後を追っている。あの二人も含めて、まったく見ていて飽きが来ない。
「シンレット殿」
「はい?」
扉を見たままだった顔をゆっくりと戻して、ゲハルが呟いた。
「陛下は…変わられましたな」
「ええ」
躊躇なく肯定する。
誰の影響かなど考えるまでもない。何が違うと断言できるわけではないが、以前のレイヴスを知る者たちにしてみれば、それは劇的な変化だ。
何も知らず先入観もないからこそ、思うが侭に風を吹かせて澱みを巻き上げ散らしていく。おそらく本人にはそんな自覚はないのだろう。
「何というか…陛下も人の子であったか!」
下手をすれば不敬罪にも当たりそうな言葉を呟きながら、ゲハルは面白いものをみたと笑う。
「ゲハル様…」
あんたさっきまで皇后陛下にやりこめられて青くなってなかったか?
「む?」
「貴方のその図太さは僕の憧れですよ」
長年政をしているとこうなるのか。
それが羨ましいような、出来れば避けて通りたいような。微妙な気分のまま微妙な表情でシンレットはそう呟いた。
砂漠の蝶に戻ってきました。(雪待ちの花は微妙な状態で止まったまま……すみません)
今後は一対一くらいの割合で更新していきたいなと思っています。
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