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砂漠の蝶  作者: Akka
34/53

新風踊る

「はい、報告書」 

 そう言ってロイは仕事中のレイヴスの机の上に紙の束を投げ出した。







 数刻前。

 ロイたちが仕事を続ける部屋を出たショウコは後宮とは全く逆に歩き始めた。

 背後のケンは躊躇いつつも何も言わずに後ろを歩く。しかしどんどん華やかな区画を抜け、建物の造りが無骨になっていくに従い、嫌な予感が頭をよぎる。

「ショウコ様…向かわれている先は……」

「ん?」

 くるりと後ろを振り向きにこりと微笑む。それは間違いなくケンの反応を予測していた顔で。

「近衛軍舎よ?」

「………。」

 ケンは決して駄目とは言わない。ショウコが望んだことは最大限叶えるのが役目だと考えている節がある。 

 しかしそれは決して抗議をしないというわけではなく、現在も無言の抗議がショウコに突き刺さる。ただ、最終的に折れてくれるというだけで、そこにケンの意思がないというわけでは決してないのだ。

 片や貼り付けた笑顔で、片や生来の無表情で見詰め合うこと暫し。

 ため息とともに折れたのはやはりケンだった。

「…わかりました。しかしショウコ様」

「何かしら?」

「御覚悟ください」

 意味深な発言を投げかけ、ケンは今度はショウコに並んで歩き出した。


 先程のケンの言葉の意味はすぐにショウコも知ることになった。

 近衛兵にすれ違うたびに理解しがたいざわめきとともに弾かれたような敬礼を贈られるのは一体どういうことなのか。これから面倒を頼みに行く立場としてはやりにくいことこの上ない。

 しかし貼り付けた笑顔のままでその場を切り抜け、近衛軍隊長の部屋の扉を叩く頃には理解できないまま寄せられる好意に疲れきっていた。

「ショウコ様、大丈夫ですか?」

「…問題ないわ」

 軽く咳払いをして扉を叩く。先触れのない訪れなので不在の可能性も考えたが、誰何する声があるということは在室しているのだろう。

「皇后陛下のおなりです」

 誰何の声にケンが答えると中から何かがガタガタと大きく動く音がして、乱暴に扉が開けられた。

「……っ」

 中から飛び出してきた存在に、ショウコは思わず僅かにたじろいだ。

 率直な印象は、熊。

 勿論見苦しくない程度に身なりは整えられているし、着ているものは間違いなく近衛軍隊長の制服なのだが、どこか大型の動物のような雰囲気がある。ショウコがこの国では小柄だというのもあるが、それ以上に目の前の男が大きい。身体の殆どがショウコの三倍以上ありそうだ。

「よくぞこのようなむさくるしい場所へおいでくださいました!ささっどうぞ部屋の中へ」

 そう言ってショウコを促しながら、ケンに目を留めるとにやっと笑う。

「お前か」

 直接会うのは初めてだが、昨日あれだけのことをやったのだから一方的に顔を知られていてもおかしくはない。ケンは無言で礼をとった。

「入れ。陛下の護衛官だろう」

 ショウコに対するものよりも数段低い声で言い背を向ける。

 どうせ拒否されても護衛官の権限を振りかざす心算だったが、思いのほか話の分かる人間だとケンは内心評価した。


 部屋の中は意外なことに清潔に保たれていて、次々にお茶やお茶請けを運んでくる兵士さえいなければ概ね快適な空間だった。ショウコの前に茶が五つ並んだ時点で隊長の雷が落ち、ようやく話が出来る体制が整う。

「近衛軍隊長、ダイ・ゲイゼ殿ですね?」

「いかにも。以後お見知りおきください」

「少々、お力添えいただきたいことがございます」

「お受けしましょう」

 内容を聞く前から二つ返事で了承され、ショウコは面食らった。それでいいのか、近衛軍。

 あっけに取られたショウコを見て、隊長が豪快に笑い飛ばす。

「昨日の一件で近衛軍は皇后陛下に忠誠を誓うと決まりました」

「昨日の…一件」

 ひくりとショウコの頬が引きつる。

 今日はどこまでもこの話題が付きまとうらしい。

 そんなショウコを気にすることなく、怒涛の勢いで動き出した口は止まらない。

「皇帝陛下の危機に際したあの判断!全く鳥肌が立ちました。それだけではなく馬を駆るお姿の美しさはおみ足の美しさもさることながら全く惚れ惚れ致しましたぞ!

 その後も全くあの反逆者を恐れぬ勇猛果敢なお姿は我々も多く感じ入るものがございました。今や近衛軍に陛下のための一個中隊を作るという話まで出ていますぞ!」

 途中何だか関係のない賛美が入っていたような気がするが、都合のいい耳で聞き流す。

 レイヴスには責められここでは褒められ、身の処し方に困ってしまう。

「しかし…少しばかりお転婆が過ぎましたなぁ」

「反省しています」

 一人の武官としてはともかく、やはり王族の安全を重視する立場から見れば好ましいばかりの行動でもなかっただろう。ショウコは素直に頭を下げた。


 それを一つの区切りと見取ったのか、一口茶を含み本題を切り出す。

「それで、我々は何をすればよろしいでしょうか?」

「10数名ほど、人員を貸してくださいませ」

「…それはお安い御用ですが…はて何をするのでしょう?」

「引越しの手伝いをしていただきます」

「ふむ。日数は?」

「今日と明日」

「場所はどこですかな?」

 ショウコはすっと一枚の紙を差し出して言った。

「後宮です」

 差し出した内容は、後宮への立ち入り許可証。

 そのときの近衛軍隊長の顔は、長く近衛軍に籍を置くものでも見たことがなかったものだったらしい。









 一瞬作業が強制的に中断させられたことに不快感を示したレイヴスだったが、無理を言ってドーブから引っ張り出した借りがあるため、僅かな沈黙を抗議に変えた。

 書類は勿論今日の大捕り物に関するものだ。ぱらぱらと捲りながら視線を走らせ、処罰の対象者とその処遇を確認する。

 下調べは済んでいるし物証があるのだからそれほど大きな間違いはないと思っていたが、どうしても気になる項目に印を付けていく。

「ロイ」

 書類を突き出して詰問する。一部に甘い処遇があるとしか思えない。

 ショウコがあの状況で後宮の女たちと連帯感や親近感を持つとは思えなかったので任せた仕事だったが、間違っていたのだろうか。本来どれほど親しい人間が対象でも私情を交えずに行うのが正しいのだと知らないはずはない。

「その項目について説明しろ。すべてだ」

「あ〜これね。うん、気付かない?」

「何がだ」

「この人たちの共通点」

 呆れたように言うロイの顔に、何か欠落があったのかと考え直すが思い当たる節はない。家のつながりも商業的な関係性も見出せないし、この女たちが後宮内で力を持っていたかと言われても全員が当てはまるわけではない。

 そのレイヴスの思考を読み取って、ロイが助け舟を出す。

「完全に私的な事情だよ」

「……その完全に私的な事情とやらを、判断の基準にしたのか?」

 暗にそれを責める様子に、ロイはやれやれとわざとらしくため息をついた。

「ショウコちゃんはしたんだよ。因みに僕はレイは絶対に気にしないって言ったけどね」

「私が?それこそ思い当たる節がないな」

「そうだろうね。これは性別の違いかな」

「……降参だ。正解は?」

 ややもったいぶって、しかしレイヴスのさっさとしろという視線に急かされてロイは口を開いた。

 それはレイヴスにとっては完全に予想外の言葉で。


「この女性たちは全員君のお手つき」

「………。は?」

「理解できないかな?言い方を変えようか。

 全員が君と夜をともにしたお相手だろ?もっと端的にいうなら」

「もういいわかった。その言葉自体は理解した」

 問題はそれが判断にどんな影響を与えたのか、そしてこんな情報をどうやって調べ上げたのかだ。シンレットの報告書にはこんな事項は記載していない。

「どうするの〜?」

 完全に茶化したロイにも腹は立つが、そういう場合でもないだろう。

 はじき出した結論は唯一つ。

後宮あちらが一区切りついたら、皇后を呼べ」










 隊長の鶴の一声でもって精鋭ぞろいの近衛軍のなかでも特に品行方正を自称する10数名が集められた。隊長からの指示は非常に単純で「皇后陛下にすべて従え。自分を見失った者は鉄拳制裁」だった。一瞬にして未知の領域である後宮に入るという浮かれた顔が青くなり引き締まったのを見て、ショウコは胸を撫で下ろす。

 近衛兵を引き連れて王宮内を横切るのは非常に何ともいえない気分であった。特にシンレットとすれ違ったときの憐憫を込めた眼差しは相当痛かったが兎にも角にもそれにも耐えた。

 やはり横にケンがいるという安心感は大きい。結局頼っているなと自嘲しつつも、ショウコは表と奥を仕切る重厚な扉の前に立つ。

「ではここで待機して。その段になったら呼びます」

 何も言わずに了承の意味を込めて一斉に贈られた敬礼を背に、ショウコは後宮に入った。

 

 


 後宮内の広間に集められた女たちを見ながら、ショウコは何の感情も込めることなく次々に名前を読み上げていく。その中に見知った名前があろうと不安な目を見ようと、それは勘案すべき事柄ではない。

「―――、以上の者は」

 一旦言葉を切り場を見渡す。

 これから自分が発する言葉の重さから逃げないように。

「国有財産略奪の罪で処罰します」


 一瞬の静寂の後、理解できないといったざわめきが満ちる。ましてや処罰の対象が平民出身者だけでなく貴族出身の皇妃にまで及んでいるのだから、皆人事ではない。

 その中でショウコはそのざわめきと非難を一身に受け止めた。

 控えた女官に目配せし、一人一人に罪名と処遇を記した紙を渡していく。

 それを見て青くなるものがいれば不満を示すものがいる。当然だろう。すべて予測の範囲内だ。

「そこに記されていることに間違いがある者は申し出なさい。あなた方にはその権利があります」

 おそらく多くの者はそれほど自分が大それたことをしたという罪の意識はないのだろう。後宮という閉鎖された空間で当たり前のように行われてきたことなのかもしれない。しかしそれを表の基準で図るならば、それは裁くべき罪に他ならない。たとえそこに記されている条文が分からなくても、それがどういった法律構成をとるのか分からなくても、知らなかったで済まされる問題ではないのだから。

「こんなの…納得できるはずないっ!」

 二列目に座っていた女がショウコに詰め寄る。握り締めた紙には後宮を退くという処分が記されていた。

「……側室リーナ・カルデ。罪状は前皇后に支給されていた国有財産の私物化及び換金。三位に叙せられる家格を用いれば、手にした金員の三倍に相当する価額を支払うことにより免罪が可能です」

「…そんなこと聞いてるんじゃないわよっ!」

 感情のままに振り上げられた腕がショウコに届くことはなかった。ただ風圧で少しばかり黒髪が揺れただけだった。

 側室よりも遥かに小さな身体が二人の間に割り込みその腕をひねり上げたから。

「きゃあぁぁっ痛いっ放して!」

「…ありがとう、アオ」

「いえ、当然のことですから」

「腕、放していいわ」

 その言葉にアオが無感動に力を緩めると、側室は力なくうずくまり腕を押さえた。

 その様子を呆然と眺めていた者たちに、諦めの色が浮かぶ。三位の貴族が容赦ない処分を受けるというのに、逃れられる可能性はきわめて低い。

「貴女…一体何の権限でこんな真似っ」

 涙交じりの非難をショウコは正面から受け止め、そして笑った。

「私は、この国の皇后です」

 誇るでもなく、淡々と。

「そして貴女がたった今行おうとした行為は、皇后に対する傷害未遂。それだけでも犯罪を構成することが出来るとご存知かしら」

 軽く首をかしげると、異国の血を示す黒い髪が己の存在を誇示するようにさらさらと揺れた。

「他に、異論のある者は?」

 いるはずがない。

 書かれていることはシンレットが調べ上げた真実で、それを裁くのはこの国で正当な力を持つ権力者。皇后が政治に携わることで始めて後宮は表の風に晒され、長い間の澱みを余すことなく暴かれる。

 この国の慣習に縛られることないショウコだからこそ出来た荒業。おそらく他の誰がやっても何某かの圧力が働いただろうが、ショウコには圧力をかけるべき繋がりさえ何もなかった。

「結構」

 しんと静まり返った場に満足げに微笑み、ショウコは軽く手を叩く。

 それに呼応して近衛兵が整然と場に並んだ。

「退去することが決まった方々には、今日中に後宮を辞していただきます。

 ご心配なく。すべての荷物は国庫への返済分を徴収した後にご実家へ送らせましょう。取り敢えずは本当に必要なものだけをお持ちください。また三倍の価額の金員を支払い免罪を希望される方はその旨お知らせください。こちらで精算を致しましょう」

 あまりの急展開に呆然とする場に、ショウコはにっこりと微笑んだ。

「今回の処分に関わりのなかった方々はどうぞお部屋にお戻りください。今日一日騒がしいでしょうがご容赦くださいませ。

 ……今後はこのようなことが無いよう、私も祈っております」

 今回無罪となった者の中には物証が取れなかったため処罰できなかった者もいる。それを野放しにしておくわけではないと釘を刺しておく必要があった。

 何人かは顔を青くして足早にこの場を去っていく。

「では準備を始めていただきましょう。とはいえ重いものは皆様の細腕には余るでしょうから、その場合は彼らを」

 そう言って促すと近衛兵が各部屋の入り口についた。いうなれば彼らはこれ以上の国の財産の流出を避けるための監視だ。流石に屈強な兵士相手に挑む者は少ないだろう。


 重い足取りながらも多くのものが部屋に戻り始めた中に、何名かその場に残った者がいる。

 力のあった皇妃や側室のについていた者たちだが、それは不自然なほど均等に各部屋につき一人。そしてどの部屋にも属さずに国が雇っていた者が数名。

 彼女たちの役回りには心当たりがある。

「…あなた方が、後宮における陛下の目と耳ですね」

 以前レイヴスが優秀だと言っていた者たち。今回シンレットから渡された書類には後宮の中にいなければ分からないようなことまで書いてあった。彼女たちの協力なくしてはありえない。

「これまでお側に在れなかったことをお許しください」

 一斉に頭を下げるが、その動きは後宮女官のものではない。もはや正体を隠す必要がないと分かればその動きは明らかに特別の訓練を受けた者のそれだった。

「いいのよ。これまでは私自身も監視の対象だったのでしょう?陛下ならそれくらい当然にするわ」

 益々恐縮して彼女たちは頭を下げるが、どちらに非がある話でもない。

 そしておそらく今回姿をあらわさなかった目や耳がまだいるのだろう。ショウコならそう指示を出す。ということはおそらくレイヴスも同じはず。

「後宮もこれから大きく様変わりします。この場所にも風を通さねば成りません。私の力になってくれますか?」

「仰せのままに。皇后陛下」

 当然に返される返事からは、彼女たちが自分をどう評価しているのか本当のところは分からない。しかしこれから本物にしていけばいい。


「皇后陛下。皇帝陛下がお呼びです」

「陛下が?」

 どうせ報告はしなければならないと思っていたが、呼び出されるとは予想外だ。

 ショウコは少し悩んだ後、頷いた。

「分かりました。伺います。

 …この場を任せていいかしら?」

「御意」

「ありがとう。それと…」

 ショウコは目線でアオを呼び、目と耳の前に促す。

「私の腹心のアオ・リューイ。互いにこれからは仲良くね?」

 その紹介に先程から受け答えをしていた代表らしき女が顔を上げる。

「…先程は見事な身のこなしでしたね?」

「偶然ですよぉ。姫様の危機にぱっと反応しただけですから」

「そうでしょうか?」

「これからよろしくお願いしますね」

 両者がつかみ所のない笑顔で笑うのを見て、ショウコは踵を返して後宮を後にした。



 


 



誤字脱字ありましたら(あると思います。アップを急いだので・・・)ご報告をお願いいたします。ご感想もお待ちしています。

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