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砂漠の蝶  作者: Akka
30/53

痴れ者

「―――始めっ!」



 その合図とともに会場は恐ろしいほど静まり返る。

 当然ケンは動かない。ここにきて戦法を変えるほど無粋ではないし自信もあるのだろう。

 となればまず動くのは皇帝か。「受けてみなければわからない」と言った以上、そうするより他は無いが、ただ受けるだけならば刀ではなく使い慣れた剣で十分なはず。

 

 二人は開始と同じ位置のまま動かない。

 ケンは一見無防備な構えをみせているが、それは先程までの試合と同じこと。レイヴスといえば武器の形状が今まで親しんだ型には嵌らないのだろう、一応の構えはしているがそれに違和感を感じていることは明らかだった。

 誰もが固唾を呑んで見守る中で、その始まりは唐突だった。

 何がきっかけであったのかはわからない。

 動いた、と思った時にはレイヴスはケンの間合いに近づいていた。ためのない動作の痕跡は僅かにたった砂埃のみ。

 思わずショウコは手すりを掴んで身を乗り出す。

 後一歩。

 このまま間合いに入れば斬られる。

「―――……っ!」

 知らず知らずに手に力が入ったそのとき、金属と金属がぶつかり合う硬質な音が響いた。

 一瞬の後、二人の距離は開始と同じになっている。

「……防いだ…」

 呆然と呟く己の声が今起こったことを伝えていた。

 一瞬の静寂の後、怒号のような歓声が上がる。それに比べて当事者二人は一見するとどこまでも静かだ。戦いの緊張感の中にあるのであれば、それも当然だろうか。

「…今、何が起きたんですか」

 一歩後ろからシンレットが遠慮がちに声を掛けてくる。

 ここにいる者の殆どがそうであるように、認識できているのは結果だけで、経過が導き出せないのだろう。ショウコだって居合道を知らなければ目で追い切ることは出来なかったに違いない。

「私もすべてを理解したわけではありませんが…」

 特に分からないのは皇帝の足運びだ。あれは自分の中の武道の常識には無い動きだった。

「分かるところだけで結構ですから、ご教唆いただけませんか。恥ずかしながら実際に武器を握ったことが殆どないので…」

 この国の有力貴族としてはそれはかなり珍しい経歴だろう。それが表情に出ていたのかシンレットは、笑ってください、と言って自分で笑った。

「これでも幼い頃は鍛錬をしたんですが、あるときレイに無駄だと言われまして。それっきり、今は何とか馬は乗りこなせる程度です」

「無駄……ですか」

「はい。誰もが武器を持つ必要はない、と。剣を握ることだけが戦いではないといわれました」

「陛下らしいお言葉ですね」

 思ったままを口にすると、シンレットは意外だ、とでも言うように方眉を上げた。


 言葉を付け加えるべきだろうかと考えた瞬間、下からぴりりとした緊張を感じて視線を走らせた。

 二人の距離が一瞬で詰まり、硬質な音が鼓膜を刺激した。

 そこから数度、刀がぶつかり合う音が繰り出された。

「――っ!!」

「…皇后陛下?」

 ショウコは思わず言葉を失い、シンレットの問いかけに答えることも忘れていた。

 ケンの型が、崩されている。

 それは10年間ケンの鍛錬を見て、あるいは訓練を付けられて初めての見る光景だった。

 居合は技の終了とともに刀が鞘に納まるのが常態だ。

 それが出来ずに打ち合いがなされるということはつまり、技を完遂出来ていないということ。当然レイヴスの動きは慣れていないためどこか雑さが目立つが、それでも一度目に比べれば一連の動作がずっと滑らかになっている。

 すごいな、と素直に感服した。


 ショウコが訓練用のケンの型を僅かでも崩せるようになるまで8年掛かった。それを僅か、たった二回の打ち合いで真剣勝負の型を崩して反撃まで加えるなんて。

 それは男女の差と言ってしまえばそれまでなのかもしれない。

 あるいは如何ともしがたい個人の資質の差か。

 いずれにしろ自分とは出来が違うらしいと分かれば、ショウコにとってもこの試合は自分の物差しでは計れないもの――つまり、管轄外ということになる。

「シンレット殿」

「はい」

「この戦いを分析することは私には出来ません。遥かに私の容量を超えています」

 ショウコは諦めとともに晴れ晴れと笑った。

「陛下はそれでよろしいのですか?」

「ええ」

 ここまで圧倒的な差を見せ付けられれば、負け惜しみさえ出てこない。

「私に分かるのは、これまでケンが私を相手にするとき相当手加減していたことと、想像以上に陛下の腕がいいことだけです。それ以上は分からないわ」

 貴族席を見れば、あちらでは既にどちらが勝つかと賭けが始まっている。行き過ぎているような気もするが、突き詰めればこれは娯楽だ。それでもいいと思う。

 シンレットも諦めとともにため息をつき、にやりとショウコに笑いかける。

「では陛下はどちらに分があるとお考えですか?」

「意地悪な質問だわ」

「承知の上で、お伺いしているのです」

「本当に、意地の悪い…」

 ショウコはわざとらしくため息をついた。ベールのおかげで表情が隠れるので、外では檜扇よりも便利かもしれない。

「そうですね…、……?」

 下に目を凝らす。

 歓声にまぎれて聞き取ることは出来ないが、二人の口が動いているように見えた。どちらも言葉で動揺させられるような使い手ではない。また、この試合の趣旨からしても相手の動揺を誘うような真似はするはずが無い。

 となれば一体どんな会話をしているのか。

「シンレット殿、読唇術の心得は?」

「…皇后陛下は私を何だと思っていらっしゃるのか。一度じっくりとお話したほうがよろしいでしょうね」

 呆れたように返された返事に、本気でこの人なら出来そうだと思ったことは黙っていようと心に決める。

「一体、何を話しているのかしら」

「…さぁ」

 仮にケンにその気があったとしても、レイブスが教えを請う姿など想像できない。

 ショウコとシンレットが揃って頭をひねっても答えは出なかったが、解は行動によって晒された。


 湧いていた会場が先程までとは違うざわめきに取って代わる。

「うわ…レイ、無茶苦茶だよ」

 思わずシンレットが呻いたのも仕方が無い。

 レイブスは刀を鞘に戻し、居合の構えを取ったのだ。

「受けてみるとおっしゃったのでは?」 

 ショウコは思わず手近にいたシンレットに詰め寄った。

 居合は受けるよりも行うほうが遥かに無防備だ。

 抜いていない状態で至近距離まで迫られるのだから、よほどの熟練者でなければ実践で使おうとは思わないし、思ってはいけない。それを数度打ち合っただけでなど、無謀にも程がある。

「お、落ち着いてください!レイだって多分死ぬ気はないですし、ほら、あの騎士だって手加減は心得ていると言っていたじゃないですか」

手加減それを陛下がお許しになると?!」

 シンレットに罪の無いことは分かっているが、抑えきれず服の襟元を掴みがくがくと揺する。

 ケンやレイヴスと比べるまでも無く身体を鍛えるということをしていないシンレットは、抵抗することなくうろたえるショウコを宥める。

「レイが大怪我をしない限り、両国の関係には問題ありませんよ…多分」

「多分、ですか」

 がっくり力が抜けたようにショウコがうな垂れる。

「レイを止めるのは無理ですし。あ、彼は陛下のご命令なら従うのでは?」

「無理。ケンはああ見えて直情型なの。それに私の言葉なんて陛下に取り消されてそれで終わりよ」

「意外にレイのこと知ってるんですね」

「……それは嫌味?」

「いえいえ滅相も無い。両陛下の仲が良いことは臣下としては嬉しい限りです」

「…もう、黙って……」

 結局はシンレットもこの事態を楽しんでいる。止めに入ることは無いだろう。

 ショウコは踵を返し下で向き合う二人に背を向けた。

「皇后陛下?」

「日に当たりすぎたようですから、影に戻ります」


 鈍い頭痛の原因は陽光ではない。しかしこんな興味本位のチャンバラごっこを自分が頭を抱えて観戦する意味も無いだろう。

 貴族たちだけでなくレイヴスの側妾たちまで瞳を輝かせている様子を見ると、文化の違い、国柄の違いを感じずにはいられない。

 チカリとベールを通り越して目に陽光が突き刺さる。こんな下でよくああも動けるものだ。

 思わず目じりを押さえようと手を上げて、ふと違和感を感じた。

 太陽はずっと照っていた。

 何故、一瞬の光を感じた?

 視界を覆うベールを持ち上げて、それを確認した後は身体が意識を置いて勝手に動いていた。

「……っ!」

 届け。願ったのはそれだけ。

 ショウコの手から鞘に納まったままの懐剣が、鋭い放物線を描いて飛ぶ。激しい動きにベールが腕に絡まり、そして風に飛ぶ。

「一体何をっ!」

 叫ぶシンレットの声が遠い。

 届いて。

 気配に敏感になっているときに、突如割り込んだ存在にレイブスが反射的に一歩退いて刀を振るったと同時に、先程まで立っていた場所に矢が突き刺さった。

 刀が懐剣を弾く音の派手さが、明らかな殺意を持って放たれた矢の音に比べて何と不自然なものか。


 突然の事態に多くのものが混乱する中、ショウコはすばやく視線をめぐらす。

 上から皇帝を狙える位置。

 それは、どこ?

 人々のざわめきが煩わしい。

 呼ぶ声が邪魔だ。

 そして近衛の見張り塔から小さな影が去っていくことを確認した。あの裏は――王族管轄の庭園。

「――時雨っ」

 走って追いつける距離ではない。

 まだまだあやふやな王宮の地図を頭に描き、そう結論付ける。 

「落ち着けっ!…うわぁぁっ!!」

 主の呼ぶ声に時雨が手綱を握る兵を乱暴に振り切る。

 それを確認してショウコは躊躇い無く手摺を乗り越えた。

「陛下っ!?」

 一瞬の浮遊感の後、違わず時雨の背に跨る。

 決して衝撃は小さくないが、そんなことに構っている暇は無い。

「道をあけてっ!」

 叫び声や怒号が交わされる中を駆ける。

 警護のため今まさに閉じられようとしていた門をくぐり、ショウコは会場を後にした。


「――、―――!!」

 

 騒ぎの中、自分を呼ぶ声が聞こえたような気がした。









 時雨を全速力で走らせながら、ショウコは頭の中に王宮の地図を描く。

 あのまま逃走するならば、庭園に出るはず。しかし見晴らしの良い場所を突っ切るとは思えない。見つかる確立を下げるのならば、王宮の外に出るために少し遠回りになっても多くの建物が立ち並ぶ貴人館区域を抜けるはず。

 使用人のための小さな道が入り組んだ貴人館区域に逃げ込まれたら厄介だ。当然既に街に続く門は閉ざされているだろうが、そうなれば発見するまで城の中に暗殺者を囲い込むことになる。

 最善策は貴人館区域に入り込む前に抑えてしまうこと。

 次善策は貴人館区域に包囲網を敷くこと。

 現在近衛軍がどのように動いているのかは分からない。となれば今ショウコに出来ることは限られてくる。

 時雨を飾っていた刀を握り締める。

 弓を持つ相手に対して、ショウコが持っているのはこれ一本。もうじき貴人館区域に到達する。そのなかでどうやって接近戦に持ち込むか。


「……っぁ!」

 思考に沈んだ一瞬の隙を突いて、頬をかすめるように矢が走った。

 続けて数本、時雨の行く手を阻むかのように地面に次々と突き刺さる。

「追ってくるな!貴女に危害は加えない!!」

 声の主は簡単に見つかった。区域の入り口で弓を構える青年は、どこかまだ幼さを残した声をしていた。

 追いつける。

 そう判断してショウコは時雨に鞭を入れた。

「来るなぁーーー!!」

 再び放たれる矢を回避するために蛇行している間に、青年は姿を消していた。おそらくは区域内に入ったのだろう。

 この先の細い道は馬では身動きが取れなくなる。

 そう判断してショウコは刀を握って時雨から降りて走り出した。

 長い裾が脚にからまり、思わず舌打ちをする。風に乱れる髪が視界を悪くした。

 追うなと言われて、従えるはずも無い。

 ショウコに危害を加えないと言った声が幼く聞こえれば尚更。

 それは年若いからではない。発音にどこかくせがあり、舌足らずな印象を与えるから。

 ショウコ自身必死でその癖を矯正したから分かってしまった。

 

 あの者は、オースキュリテの言葉を母国語にするものだ、と。







 貴人館区域の細く入り組んだ裏道を駆ける。

 行き止まりにぶつからないように方向を確認しながら逃げる者と、道が交わるたびに姿を探す追う者はどちらが有利なのだろう。

 細い道で弓を引かれれば逃げる場所は無い。確実にショウコを殺すことが出来る。それなのに実行しないところを見ると、あの者には本当にショウコを害する意図はないらしい。しかし道の脇に積み上げてある樽の中身で進路を塞ぐ様子などを見ると捕まる気もないようだ。

 これだけの時間が過ぎれば、近衛軍は間違いなく徐々に範囲を狭めながらこの付近を捜索しているはず。とすればあの者と話が出来るのは今しかない。

 これは賭けだと自覚しながらも、ショウコは裏道から抜け一際大きな屋敷の前の広場に出た。

 このあたりの貴人は先程まで行われていた御前試合を観覧しているはずだ。話を聞かれて困る人間はここにはいない。

「――出てきなさい!」

 空気を吸い込み、何年かぶりに祖国の言葉を口にした。

 建物に反響しながらショウコの声が響く。

 返る声は無いが、聞こえてはいるはず。

「私は貴方と話をしなければなりません!」

 ぎりぎりの状況になってもショウコに弓を向けることが出来ないならば、相手はオースキュリテ皇族のために動く者なのだろう。その命を無視することは出来ないはずだ。


「…内親王殿下」

 僅かな躊躇いの後に返された声には、戸惑いと不安、そして歓喜が織り交ざっている。故国では皇族が人前に姿を見せることは滅多に無く、声を聞くのは極近い者だけだ。皇族のために強国の皇帝の暗殺まで請け負う者が、その誉れを無視できるはずが無い。それがショウコの勝算だった。

「何故、あのようなことを。誰の差し金ですか」

「…殿下の恩為を思えばこそ」

 何も語る気はないらしい。それは予想通りだ。

「私のために、貴方が動いていると?」

「……すべては故国の為、皇族方のため」

「その言葉、信じてもよいのですね?」

 この者は末端だ。

 ショウコを皇族の一員とみなしていることが、その何よりの証明。もともと語るべき情報も持っていないのだろう。

 しかし逃がすわけにはいかない。

 情報を持っていないと知りつつ会話を続ける理由は一つ。

 僅かに反響する音の出所をさぐる。

「この身のすべてに誓って」


「―――そこっ!」

「……ぐぅぁっ」

 振り向きざまにショウコは檜扇を投げつけた。

 その見かけからは想像できない低く重い音が響き、耐え切れずに膝を付いた。

 ゆっくりと歩み寄ると、投げつけた扇を手に取り先程まで会話をしていた人物の首筋に刀を当てる。

「生憎、貴方のような手合いには事欠かない身の上なの。特注品だから、それなりに攻撃力あるわよね」

 中に金属を仕込んだ扇を帯に差し直して見下ろした顔は、当然ながら見覚えの無いものだった。

「リュミシャール皇帝陛下暗殺未遂について、釈明があるのならば聞きましょう」

「……内親王、殿下」

 言葉が続く前に、大勢が近づいてくる足音と金属が擦れ合う音が聞こえた。時期にここにたどり着くだろう。

「貴方が行くべき場所は法廷です。貴方が知るすべてを話しなさい。我が国とこの国は和平を結んだのですから、貴方の行為は詳らかにされなければなりません」

 言いながらもショウコはこの者に用意された道は処刑以外ありえないことを知っていた。また、法廷で裁かれることになればオースキュリテが一方的に不利であるということも分かっている。

 オースキュリテ皇族としてはこの場でこの者を殺すべきだ。

「殿下。それは…殿下が取るべき行いではございません」

 暗にこの場で自分を殺せと言う言葉に、ショウコは首を横に振った。

 オースキュリテ皇族として動くか、リュミシャールの皇后として動くか。それらが現在両立しない。どちらとも決めかねるから、決断を先延ばしにしようとしている。

「私は…卑怯なのよ」

 足音がどんどん近づいてくる。

 もう決断までの時間はない。


 ふと青年が微笑んだ。

 それはこれから待つ事態を考えれば、恐ろしく不似合いな表情で。

「一点の後悔もございません」

 何を、と問い返す時間は無かった。


「いたぞ!」「捉えろ!」「皇后陛下!ご無事でっ!!」「回り込めっ!」「陛下!!」


 近衛兵たちが近寄る中、青年はショウコに向かって弓を引く。

 その動きに反応したのは長年の習慣と反射だった。



 喧騒の中生暖かい鮮血を浴びながら、ショウコは青年の首が転がるのを無感動に眺めた。











更新が亀速度で申し訳ありません。

もうしばらくの間こんな感じになると思います。

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