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砂漠の蝶  作者: Akka
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風に舞う

 御前試合は単なる王侯貴族の暇つぶしではない。


 武勇を尊ぶこの国においては、そこで戦うことは最高の栄誉であるとともに、そこで質の高い試合を行うことは国の威信でもある。

 貴人の目にとまれば、一代で財を成すことも位を得ることも不可能ではない。

 これまで幾人もの夢を叶え夢を打ち砕いてきたその場所は、戦う者を堅牢な石造りの塀で囲っている。その上に位置する、戦う者を見下ろすように作られた観覧席は、下で行われていることが血なまぐさいことだとは思わせない程豪華な設えになっている。

 しかし石塀に滲みこんだ赤黒く変色した跡が、この場で行われていることが現実だと告げている。

 この世の対極に位置する二つの場所を繋ぐのは、勝者に栄誉を授けるために作られた階段が一つだけ。

 そこは当然に近衛兵が固めている。彼らが守るのは、皇帝の権威だ。

 観覧席の高さは人2人から3人分ほどはあるだろう。



 居並ぶ貴族に礼をもって迎えられたショウコは、皇帝の席の横に用意された皇后の席に腰を下ろした。

 闘技場の端には、一人静謐な空気を纏うケンがいる。それが纏う空気は静謐で、異質なざわめきの中でも乱れることはない。

 遠巻きに彼を囲む対戦相手たちさえ、今は背景でしかないだろう。おそらくショウコの視線さえ、数多向けられる好奇の視線と同様、何ら影響を与えることはないはずだ。

 ケンの腕には絶大な信頼を置いている。彼が故国を離れてからも腐ることなく驕ることなく重ねてきた訓練を、誰よりも間近で見てきた。

 更に視線を走らせれば、慣れないリュミシャールの馬具に落ち着かず、時雨が足元の砂を蹴り上げている。時雨の横に並ぶのは、おそらく皇帝の馬の一頭だろう。どちらもよく鍛えられた名馬であるが、単純に体格のみを競うならば、ショウコが故国から連れてきた馬の子である時雨に軍配が上がるだろうか。荷物を運ばせるための馬を、より早く走らせるための馬として改良した歴史は、必要性に迫られていたオースキュリテのほうがはるかに長い。

 10年前はこの差はもっと顕著であったはず。オースキュリテ本国では更に改良も進んでいるだろうが、このまま両国の交流が続くのであれば、追いつかれる可能性は高いだろう。

 戦いにおいて馬の差はそのまま機動力の差だ。

 遥かに勝っていたはずの10年前でさえ、オースキュリテはこの武勇の国に何度も追い詰められている。今戦うことがあれば結果はどう転ぶかわからない。




「何をお考えですか?皇后陛下」

 僅かに険しくなっていた目を自然に緩めて、ショウコはシンレットに向き直った。

「いいえ?文化の違いを感じていたまでです」

「それは興味深い。是非お聞かせ願えますか」

「あちらでは真剣試合を皇族が観覧する習慣はありませんでした。剣や弓が用いられることはあっても、それはあくまでも演舞。決められた型を美しく行うことを競うものです」

 柔らかな会話の中でも、一瞬たりとも気を抜くことはできない。

 気を抜けば簡単に足元を掬われる。

「蛮習と思われますか?」

「いいえ、私は文化の違いをお話ししたまで。シンレット殿に詰まらない文化を持っていると思われはしないかと、そう思いました」

「まさか。互いを理解するためには、異なる部分を知らなければなりませんからね」

「ええ。理解のためには必要でしょう」

「はい。皇后陛下は全く聡明な方だ。陛下は両国の架け橋として後世に名を残されることでしょう」

「平和的な相互理解のためならば、いくらでも協力いたしましょう。ですが私がもたらす情報が一体何に使われることやら」

「あくまで、平和的、にありたいものですね」

「ええ、まったくもってその通り」


 周囲が顔を引きつらせるほど寒々しい会話に終止符を打ったのは、心の底から呆れた声だった。

「白々しい笑顔で腹の探り合いはそのくらいにしておけ。もっと生産的なことに頭を使ったらどうだ?」

 強い日の光をきらきらと纏う髪を煩わしげに掻き揚げて席に着く。

「文化の話をしていたまでですよ、陛下」

 同意を求められたショウコも笑顔で軽く顎を引く。別段先程の会話は何か特別な意味を含んでいたわけではなく、皇帝が気にするようなことではない。

 その様子に更に呆れたため息をつくと、何を思ったかレイヴスはショウコの顔に目を止めた。

「……。」

「……?」

「………。」

 互いに無言で相手を見据えることしばし。穴が開きそうなほど凝視され、ショウコは流石に気まずくなった。

 外されない視線に戸惑い、もしや対象は自分ではなくその後ろにある何かではないかと確認のため顔を後ろに向けると、今度は顎を捉えられ至近距離でじっくりと検分される。

「陛下?」

「…レイ?」

 振り払うことも叶わず、その上、左右に顔を振られショウコは益々戸惑った。首の骨が小さく嫌な音を立てたことも、今は全く気にならない。多分後でふつふつと乱暴な扱いに対する怒りは湧くだろうが、とりあえず今は気にならない。

 周囲も何事かと固唾を呑んで見守るなか、レイヴスが僅かに眉根を寄せて発したのは意外な一言だった。

「痛まないのか?」

「……は?」

「僅かだが、赤くなっている。日が強いのだろう?」

 そう言って、午前から日の下に晒された肌を指でなぞる。

 確かにショウコの肌はこの国のものとは全く異なる。日の光に弱いことも事実。

 手入れを怠れば簡単に赤くなり、じくじくとした痛みが続く。ショウコが極力肌を日に晒さないのは慣習の違いもあるが、単に自衛の手段でもあるからだ。

「〜〜っ、問題ありませんっ」

 だが、何故それを問うのがこの場なのか。しかも問うまでの過程が絶対的にいただけない。場の空気を察しろ。わきまえろと言って聞かせる大人はこの人のそばにはいなかったのか。

 もともと、皇帝と皇后など、その場にいれば視線を集めるのは必定。だからいちいち人の視線を気にしていては、王族など勤まるはずもない。しかし貴族たちの興味津々の視線を全く気にすることもなく、相手に迷惑を掛けてやりたい放題というのはどうだろうか。

「問題ない?あるだろう」

「何故っ!」

 ここまでくればショウコも意地だ。シミになろうが荒れようが知ったことか。

 輪郭をなぞる指に動揺しながらも、必死に頭を回転させる。たとえその指が思わせぶりに唇を撫でようとも、頭の回転を止めてはいけない。

 そもそも何なんだ、これは。

 以前侍女相手に演じた『仲の良さ』を今度は貴族に対して行おうとでもいうのか。

 あのとき、暗に今後こういったことはやめろと言った効果はなかったのだろうか。

「折角の美しい象牙色の肌だ。失くすのは惜しい」

 自明の断りでも説くかのように、躊躇いや羞恥を一切見せずに淡々と紡がれた率直な賛辞に、ショウコは自分の顔が赤くなるのを感じた。

「……、ありがとう、ござい…ます」

 赤く染まった顔と動揺に潤む瞳を堪能し、一人満足げに目を細める。

 未だ顎を捉えたままのレイヴスは、日差しを遮るための天蓋の用意を命じた。

「しかし、不思議なものだな。肌の色は我々よりも薄いが、髪の色素はずっと濃い。しかも国では殆どの者が同じ色を持つらしいな?

 ……お前を含めて」

 最後の言葉はショウコに向けられたものではない。皇帝が愉快でたまらないといった表情で視線を向けたその先には、肩で息をしたケンが立っていた。






 先程までは下にいたはず。そう思って視線を向けようとすると、視界を紅が覆った。

「?」

 紅に控えめに金糸で細やかな刺繍が施された布は、王族のみに許された金色。ということは持ち主は皇帝なのだろう。

 視界を確保すべく布を手繰っていくと、その手をやんわりと制された。

「天蓋が出来るまで、被っていろ。その肌をそれ以上痛めつけることは許さん」

 許さないって、別に貴方のものじゃない…。そう心の中で呟くショウコを知ってか知らずか、横で事の推移を見守っていたシンレットが、失礼しますと断りを入れて薄い布の裾を整えた。

 布の重なりがなくなれば、ショウコはいささか不明瞭ではあるが視界を確保することが出来た。しかしケンの表情までは窺い知ることが出来ない。

「血気盛んなことだな。それほどこれが大切か」

「……お戯れが過ぎるのではございませんか?」

「その言葉そのままお前に返そう。別段これの身に危険が迫っていたわけでもあるまい。それなのにお前が上ることを許されない階を登り、あまつさえ近衛兵を殴り倒すなど、どういう了見だ?」

 殴り倒した?ケンが?

 まさかと思って目を凝らすと、確かに階段下を守っていたはずの兵士が倒れている。

 国際問題にだけはなってくれるな、と胸中で祈らずにはいられない。

「2人がかりでも私を止めることが出来なかったのですから、そちらの鍛錬不足が露呈されたのではありませんか?よろしければ体力づくりからご教授いたしましょう。

 先日の一件と併せて考えますと、ショウコ様に危険がと判断いたしました。主を守ることが私の為すべき事です」

「…ケンっ」

 皇帝を守るべき近衛軍はレイブス本人が事を楽しんでいることがわかっているため、ケンを止める様子はない。

 これ以上は看過できないと暴言とも言える言葉に思わず制するために立ち上がると、浮きかけた腰を皇帝に強く引かれた。

「っ……!」

 体勢を立て直すことが出来ず、そのまま腕の中に倒れこむ。

 しかし予想していたような衝撃はなく、額を肩口に埋めるように頭を抱え込まれた。 

 髪を梳く手に、もうどうにでもなれと思考を放棄する。どうせレイヴスの考えることは、ショウコには理解できない。

「本当に…お戯れが過ぎますね」

「問題あるまい、合意の上だ」

 激しく誤解だ。

 これは合意ではなく、単に一時的に抵抗を諦めたに過ぎない。

「仮に合意でないとしても…」

 ショウコの心情を見透かしたように、笑いを含んだ声が耳朶を擽る。

「私たち以上に公に認められた男と女が他にいるか?」


 レイヴスに身動きを封じられていたショウコには与り知らぬことだが、そのとき照りつける太陽の熱をものともせず、ケンが目を眇めて冷え切った視線を投げつけた。

 しかし受ける相手は口元に刷いた笑みでどこまでもそれを受け流す。

「哀れだな、今のお前ではそれ以上距離を詰めることさえ叶わない。悔しければせいぜい足掻くがいい。

 機会はこれから与えられるのだからな?」

 安易な挑発に乗るほど愚かではない。

 しかし嘲笑を耐え忍ぶほど低い矜持ではない。

「言われるまでもありません」

 2人の男の視線が真正面からぶつかり合うが、求めるものはまるで異なる。

 一人はただ主の側にある権利を。

 一人は己が求まるものの正体を掴めぬまま、掴めぬからこそ状況を煽る。

「…それは重畳。楽しませてもらおう」


 

 断ち切られた会話に疑問符を投げかける暇もなく、ショウコは身体全体に浮遊感を感じた。思わず不安定さにしがみつくと、至近距離で布越しに瞳がぶつかる。

 その瞳は諸々の事情を映し出していて何を考えているのか断定は出来ないが、ただ一つ、事態を楽しんでいる事だけは見て取れた。


 下賜されたベールが風に舞い上がる。

 その紅の下、染まることないぬばたまの黒が風に流れる。


 黄金の鞘から両刃の剣が抜かれ、陽光と風を切り裂いて光を集め撒き散らす。

 その剣を掲げて、レイヴスは高らかに宣言した。

「宴の開始を皆に告げる。

 勝者には栄誉と褒章を。

 国のため己が欲のため、存分に競い戦うがいい!」

 

 掲げられていた剣が石の床に突き立てられる。硬質な音とともにうねるような興奮を連れて、場の空気が一変する。

 方膝をつけ、握り締めた拳を地に。

 己が持てる力を皇帝に差し出す、武人特有の礼。


「これより御前試合を開始する!」


 近衛軍隊長の声が響いた。

三月中に一度更新できて本当に良かったです。励ましのメッセージを送ってくださった方々、本当にありがとうございました。

次の更新は4月中に1から2話かなと思っています。

亀速度ですが、これからもよろしくお願いします。

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