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砂漠の蝶  作者: Akka
27/53

燻り焼ける

今回ちょっと長いです。

「貴女、さっきから何を言っているの!」

 その言葉にショウコが第三皇妃に向き直ったことで、あからさまに安心したものが何人かいた。それを視界の端に捉えつつも、この声を無視することは出来ない。

「何を…とおっしゃいましても。言葉どおりです。

 私は貴女の口を借りることでしか己の意見を表明できない者が不愉快でならない。彼らが貴女にどのような理屈を話したのかは私の関知することではありません。

 ですが貴女のおっしゃることは矛盾に満ちている」


 一息に言い切って、一歩進む。

 反射的に第三皇妃は縮められた距離を退いた。

「後宮という場に価値を見出しながら、簡単に捨ててしまおうとするのは何故ですか。お兄様のことを大切に思うのなら、家の再興というご遺志をどうして簡単に捨てられるのですか。

 そして…」

 どうして陛下を愛していらっしゃるのに、政治の駒に成り下がるの。


 飲み込んだ言葉が相手に正しく伝わったかはわからない。どちらにしてもそこはショウコが立ち入るべき問題ではないだろう。

「家のために立ち回るのは構いません。少なからず必要なことでもありましょう。

 ですが私がお見受けする限りにおいて、貴女は感じることはしていても思考を放棄していらっしゃる。ご自分が抱える矛盾を放置して向き合おうともなさらない」

「そんな…ことっ」

「否定なさいますか?何を根拠に?」

 弾かれたように第三皇妃が顔を上げた。後宮の女にしては比較的平凡な顔が、困惑と躊躇に歪んでいる。

「貴女が操られていることを理解しているなら、それもよいと思いました。でも違った。貴女はご自分が傀儡となっていることさえ、今まで気付いていなかったのでしょう」

 流石にざわりと周囲がどよめく。


 ざわめきが徐々に伝播する中で、その声は不思議と明瞭に耳に届いた。

「思考を放棄した貴女は皇后位に就くに値しない」

 すとん、と第三皇妃は腰が抜けたようにしゃがみこんだ。

 呆然とショウコを見上げる様子を、眉一つ動かさずに見据える。そこには相手をやりこめという達成感も満足感もうかがうことは出来ない。

 ただ当たり前の事象を見るように、静謐の瞳があるだけ。

 ぱちりと手にしていた扇を閉じる。

 その小さな音に反応して、第三皇妃は平伏した。


「貴女に聞きます」

 それは既に疑問の体を取っていても、ただ一つの答えしか用意されていないことは明白だ。

 しかしそれでも相手に尋ねるのは、己の過ちを認識させるためにほかならない。

「私と貴女で、皇后位に相応しいのはどちらですか?」

 

 さあ、終わりにしましょう。

 この茶番劇も、見世物小屋も。

 その幕を下ろすのは、始めた貴女であるべきだから。






「……甘い」

 ポツリ零された断言に、苦笑する以外に何が出来るだろう。

「その発言だけで、常日頃君がどれほど厳しいのかがわかるねぇ」

「甘いという以外に何と言う。どう考えてもあんなものは温情措置だ」

 呆れたように、しかしどこか満足げに息を吐く。

「まぁ、確かに。ちょっと意外…だったかな」

 もっと苛烈な女性かと思っていた。

 少なくとも先代皇帝の鷹を射抜いたときの彼女は理性よりも感情で動く印象を与えた。また、後宮で部屋が荒らされていたときの怒りを考えれば、この場で再起不能なまでに追い込むのかと少々楽しみにもしていたのだが。

「わかんないお姫様だねぇ」

 しかしだからこそ面白い。

 ただ単に頭が回らなかったと言うのであれば納得もするが、おそらくそうではないだろう。

「散々追い詰められて醜態を晒すよりも、自分から非を認めた人間ははるかに高く評価される。ここでアルグリアが謝罪すれば上等な負け方だと言えるだろうな。

 相手に現時点での最良の策を提示したか……。何の意味がある」

「さぁね。僕らにはわかんないけど、彼女にとっては意味があるんだろう」

「どちらにせよ、甘いな」

「確かに。でも嫌いじゃない、だろ?」

 それには答えず、満足げに目を細めた。

 視線の先では、平伏した第三皇妃が小さくだがはっきりと負けを認めた。


「私が…間違っておりました」

 生家の人間が青くなって口を開閉しているが、目に入ってはいないだろう。無論、入っていたとしてももはや負けを認めるしか道は残されていないが。

 もうひと悶着ありそうだが、相手の屈服を顔色一つ変えずに受け止める女の方が貴族連中よりもよっぽど恐ろしいではないか。

「第二皇妃様のご立后に賛同の意を表するとともに、両陛下にお詫びと謝罪をいたします」

 その言葉を受けた女の表情にはやはり変化がない。

 それでは足りない、とでも言うように無言で先を促す。

 まったく、とんでもない。のべつ幕無しにあの容赦なさが政務で発揮されたら、何人の官吏が悲鳴を上げるだろうか。間違いなく、閉塞感漂うまつりごとに強い風を吹き込むことになるだろう。

 第三皇妃も明言しないことには許されないと悟ったのだろう。

 疲れたように言葉を紡いだ。

「……私が皇后に、など思い違いも甚だしゅうございました。そもそも私や生家の者が容喙するまでもなく、これは陛下の専権事項でございましたものを…。

 第二皇妃様を推挙なされた陛下のご炯眼に感服いたしました。私など競う資格もございませんでした。愚かな者の行いを、どうかお許しくださいませ」

 思ったよりも賢明だな、と思った。

 いや、違う。

 賢明になった、のだ。一連のやり取りの中で影響をうけたのだろう。

 己の意思だけでなく生家の意思までも口にすることで、今後の影響を最小限に止めようとしている。


「…赦す」

 そっけないほど簡潔な一言。

 それは一連の出来事が瑣末に過ぎなかったのだという強烈な印象を見るものに与えた。





「さて」

 このあたりが潮時だろう。場を収集すべく立ち上げる。

「妃の言うとおり、私も異論があるのならばこの場で聞こう。どうだ?」

 あたりを見渡すが、手を上げるものなどいるはずもない。

 今まで貴族たちは賛成派も反対派も中立の立場を取るものも含めて、異国の姫を侮っていたのだ。少し前までの自分と同じように。それは10年前までの敵国の皇族を認めるわけにはいかないという無意識の矜持もあっただろう。


 しかしこの姫はそんなことを許しはしない。

 オースキュリテ皇族という肩書きだけで見ることも、それをなくして見られることも受け入れない。ある意味猛々しいまでの矜持の高さ。


 水を打ったように静まり返る場。

 かつて暴力的なまでの強さで以って常にこの状況を作り出してきた男がいた。ああはなるまいと思ってきたが、結局は自分も同じ穴の狢か。

「姫、こちらへ」

 差し出した手に華奢な白い手が自然に重ねられた。重さを預けるのではなく、触れるだけの強さで。

 それがどうにも腹立たしく、強く腰を引き寄せる。

 非難めいた視線が送られてきたが、それすら小気味いい。どこの世界に皇帝に抱き寄せられて眉間に皺を寄せる皇妃がいるというのか。

「貴女の教養や母国での立場を確かめる必要はなさそうだ」

 建白書の内容に対する当てこすりに、唇が「嫌味…」と動く。

 それがどうした。これほど青くなった連中の顔を見るのは久しぶりだ。多少からかったところで問題はない。

「では…」

 近衛隊長に向かって軽く手を上げる。

 それを合図に、一斉に軍が鞘に納まったままの剣を石の床に突き立てた。突如鳴り響く硬質な音に、腕の中で小さな身体がびくりと一瞬硬くなる。

 しかしそれは本当に一瞬で、後は目の前の光景を静かに見据えていた。


 貴族たちが一斉に正式な礼をとる。

 それは手順も厳格に定められている、皇帝と皇后意外に向けることは許されないもの。

「早急に日程を定めて立后の儀を執り行うとともに、以降内々には第二皇妃を皇后として遇する。これを皇帝の名において発する命とする」

「我々一同、光抱きたる皇国の皇帝陛下の御名において下されましたこと確かに拝命し、皇国の繁栄の約されたること皇統の系譜の確かなることを刻み、両陛下にお仕え申し上げますことをお誓いいたします」

 答えたのはしわがれた声。

 その内容は本来はこの場ではなく立后の儀において返されるべきものだ。

 いぶかしんで目を向ければ、にやりと笑う老いた顔と目が合った。

 狸めが。







「あの、陛下っ」

 第二皇妃の帰還を祝うという名目で行われた茶番劇も終わり、一旦午後の御前試合に向けての準備に取り掛かるために奥に入った。同時に下がってきたにも関わらず歩幅という如何ともしがたい現実せいでショウコは皇帝からかなり遅れてしまった。まさか廊下を走るわけにもいかないので、頭二つ背丈の違う人間と並ぶことが出来ないのはこちらの非ではないはずだ。

 まぁそれ自体は何の問題もない。並んで歩いたところで話なんて何もない。

 しかし問題は呼び止められて振り返った顔の不機嫌さだろう。

「……何だ」

 答える声もまた低い。

 どことなく理不尽さを感じずにはいられないが、それを押し込め歩み寄る。何かを察したらしく自然に距離をとる女官は流石皇宮勤めと言ったところか。

「……。先程の返答は、本来あの場で行われるべきものではないのでしょう?よろしいのですか」

「………。気にすべきことが他にあるのでは?」

「は?」

 あからさまに話を逸らされ、訝しく思わない者がいるだろうか。

 しかしレイヴスとしても、内々には皇后として扱うと宣言したとしても政治に未だ足を踏み込んでいない相手に明かせない事情というものはある。結果話を逸らす、というよりは答えないという手段に出るところがらしいと言えばらしいが、相手にしてみれば馬鹿にした対応に見えるだろう。

「午後に醜態を晒せば、先程得たものなど簡単に吹き飛ぼう。何といっても基本的には荒っぽい集団だからな。せいぜい番犬を励ましておけ」

 加えてレイヴスは今非常に機嫌が悪い。爽快な気分はどこへやら、最後に見たくもない顔を見てしまったことは後悔してもしきれない。

 しかしそんな一方の事情はよほど親しい間柄でもない限り、言葉にしない限り伝わることはない。そして現状の二人ではそれは望むべくもない。

「……。そうですか」

 よって響くのはこの上なく冷え切った声音だ。

「わかりました。余計なことを申し上げたようです。お忘れください。

 ……陛下も…皇国の近衛軍があまりに無残なことになるのは軍の統率者として気がかりでございましょう?私からケンによく伝えておきます。

 では、失礼致します。皇帝陛下?」

 そして場違いなほど仰々しい礼をとって歩き出した背中を、レイヴスは何とも形容し難い表情で見送った。

 自分の態度が悪かったことは自覚しているが、あの態度も如何なものか。

 しかし今自分が歩き出せば程なくあの背中に追いついてしまうことは明白なので、意味もなく窓の外を眺めて時間を潰し、長い廊下を曲がって姿が確認できなくなったころに歩き出した。







「一体何なの?!あの態度はっ」

 後宮に与えられた部屋に戻り、アオ以外の女官を下がらせた後でショウコは力の限り叫んだ。

「傲慢厚顔横柄にも程があるわよ人を動物に例えるなんて品格を疑われても仕方がないのでは?そもそも今回が初めてではないことがまた不愉快極まりないわね。思い返してみればドーブで再会したときから態度は決していいものではなかったけれど……」

 延々と呪詛を吐き続けるショウコに、アオは顔に笑みが浮かんでくるのを抑えられない。

「よかったですねぇ、姫様」

「何が?!」

 力いっぱい聞き返してくるショウコに、アオは本当に良かったと思う。

「山は越したんですよね?安心したからそんなことに気分が逆立つのでは?」

 勿論アオはショウコの負けなど想定していなかった。しかし事態が急であったことと背後の様々な関係もあり知らず知らずに気を張り詰めていた部分はあったと思う。

 思い当たる節があるのか、頬に手を当ててポツリと呟く。

「アオ、私余裕なかったかしら」

「いえ、表面上は余裕綽々でしたよ?でも、お心の中は姫様でも把握しきれないですから」

「……」

 俯いたショウコはそのままアオの手を包み込む。

「アオ、今回はいろいろ迷惑をかけてしまってごめんなさい。多分、これからも…ね。

 あらん限りの力でそれに報いることが出来るよう…。ありがとう」

 小さな音で繰り出された謝罪と感謝に、アオは手を振り解いてショウコに抱きついた。

「アオ?!」

「えへへへへ」

「な、何?」

「今、お仕えする方が姫様でよかったなぁって思いました!」

 えへへへへ、と笑い続けるアオに、ショウコは意味がわからないながらもとても安心した。周りがどんなに変化しても、アオはこのままでいてくれるかもしれない。



「そういえば、先程細工師が品物を届けに来ました。結局間に合わなかったですねぇ、どうしましょう?」

「なくても平気だったし、渡さなくても…。

 ん〜、やっぱり折を見てお渡しするわ」

 細工師の仕事は確かで、十分に満足できる出来栄えだ。もとより皇宮お抱えの細工師の仕事が半端なものであるはずがないが、複雑な図面と細かい指定もすべて反映されている。


「失礼致します」

 聞きなれない声に反応すれば、入り口に後宮付きでない女官の姿があった。

「どなたですか?」

「表付きの者でございます。皇后陛下にお取次ぎを」

 姿が見えている相手への取次ぎというのも妙な習慣ではあるが、アオの誰何への答えは淀みない。先程発せられたばかりの命は既に浸透しているらしいことが呼称の変化でわかった。

「皇后陛下、御前試合で御馬をお飾りする武具を御貸しいただけますでしょうか」

「そう、ね…」

 この国が武を尊ぶという一端が現れている文化だろう。

 皇帝・皇后が観覧する試合ではそれぞれを象徴する武具で馬を飾る。馬の見事さは勿論、武具も実用性を兼ね備えながらも美しいものが多い。

「歴代の皇后様は、楯などでした。もし御所望でしたら、私どもでご用意いたしますが…」

 ショウコのためらいを別の方向に解釈したらしい女官の言葉に嫌味はないが、嘲りは隠しきれていない。

「いいえ。アオ、『干将かんしょう』を」

「……よろしいのですか?」

「ええ、構わないわ」

 一旦寝室に入ったアオは躊躇いがちに鞘に納まったままのつるぎを携え戻ってきた。

「騒がしい?」

「わかりません…どうでしょうか」

 剣を受け取り手になじませるように何度か握る。輿入れの際に持たされた古代の名刀。そのうちの一本が陽を属性とするこの干将だ。

「これを。唯一つ、これは絶対に抜かないで」

 その注意をどれほど女官が本気で受け取ったかはわからないが、あれ以外に選択肢はあり得ない。

「よろしかったのですか?姫様…」

 常になく不安そうなアオに苦笑するしかない。

「『時雨』が乗り手無しで落ち着いて携えていられるのは干将しかないもの。仕方ないわ。抜刀さえしなければ問題ないわよ。

 それと、『莫邪ばくや』も出して」

 干将が陽なら莫邪は陰。全く独立した剣でありながら、長い歴史の中で持ち主が別であったためしはない。

 これ以上一体何を、と顔に大書しているアオに言い訳するように呟く。

「だって、退屈にならない試合を陛下が御所望なのよ?莫邪はケンに使ってもらうわ」





読んでくださってありがとうございました。

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