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砂漠の蝶  作者: Akka
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引かず靡かず

 どうしてだろう。今夜訪ねてくることは分かっていた。

 この方を待っていたのかもしれない。だから人払いをして一人部屋にいるのかもしれない。


「派手な喧嘩があったそうだな?」


 灯りをともしていない部屋の中に、隣の部屋の照明が映し出す影が伸びる。

 扉を叩いて入室の許可を求めないのはいつものことで、それにもすっかり慣れてしまった。でも開け放った扉にもたれたままそれ以上足を進めようとしないのは、この方なりの優しさなのかもしれない。

「いつものことだと言われました。今後は目に余るようでない限り無視します」

 背を向けたまま、言葉を返した。

 喧嘩をしたそうだな、ではなく、あったそうだなと直接ショウコのことを聞かない気遣いが痛い。この方がそこまで気を回すくらい、自分の状況は酷く見えるのだろうか。

 本当に問いたいのはシューと第三皇妃の喧嘩などではないだろうに。それを分かっていてもショウコは答えをはぐらかした。

 その気配を察したらしい皇帝は、徒労の滲んだため息をついた。

「私に話すことは、何も無いか…」

「……ございません」

 何を言えというのだろうか。

 戦争の責任は私にはないと?彼女の兄を殺したのは私ではないと?

 それとも、守って欲しいとでも?

 何一つ口には出来ないことばかりだ。戦争の責任はその国を統べるものにあるのだから、ショウコとて幼かったとはいえ皇族として生きていた。そして皇族として戦後の後処理のためにこの国にいるのだから。

「もう一度聞く。私に言いたいことは何も無いのか?」

 再度問いかけられた意味がわからない。

 わからないながらも必死で別の答えを探すと、出てきたのは一つだけ。

「第三皇妃様の元へ、お渡りください。さぞお悲しみが深いことでしょう」

「……それがお前の望みか?」

 躊躇うようにかけられた言葉が意外だった。

 おかしいものだ。他の女の部屋へ行けという皇妃なんて、自分くらいではないだろうか。

「はい」

 でもそれ以外に言える言葉がなくて。

 これ以上話をしていたら、何か言ってはならないことを口にしてしまいそうで。

「……わかった」

 その声は酷く疲れていて、もしかしたら忙しい合間を縫ってわざわざ来てくれたのかもしれないと思い振り返った時には、既にその姿は無かった。


「……!」

 その時初めて、自分が一度も振り返らなかったことに気付いた。一度も顔を見ていないしみせていないと。

 一体何を思って部屋を訪ねてきたのだろうか。

 何かのついでだったのか、それとも本当に心配して?

 分からなかった。自分の気持ちも、相手の思いも。


 今部屋を飛び出して廊下に行けば、その姿を見ることが出来るのかもしれない。きちんと話をすることが出来るのかもしれない。

 しかし足は動かなかった。否、動かさなかった。

 昼間のことで傷つく資格なんて自分には無い。

 第三皇妃に言ったことは嘘ではない。国を背負いここにいる者として果たすべき義務を負うものとして、あの言葉で痛手を受けることは赦されない。


「……立派な理屈ね…」

 自分の虚ろな正論を思い返し自嘲する。

 自分がオースキュリテの皇族だと名乗ることを不快に思う人間は、おそらく故国にはたくさんいるだろう。

 最後の最後になって、切り捨てるために娘と認めた父。

 傍にいても触れ合うことが出来ず、この存在で苦しめ続けた母。


 鏡を覗けば、今の自分はあの頃の母にどんどん似てくる。


 ――『苦しかったら、死になさい』


 本当に母を思うなら、なるべく早く命を絶てばよかった。でもそれも出来ず生きながらえて、今は今は顔を見ることも叶わない異国で暮らしている。

 そうすることで母は救われただろうか。そうであって欲しいと願うことしかできないけれど。


 国に帰ればわからないが、ここでは確かに自分はオースキュリテの直系皇族。

 依拠するものは、それしかなくても。







 暗闇の中で振り返る気配の無い背中が痛ましかった。

 決して弱音を吐こうとしないその強さがかえって庇護欲をそそることに、おそらくは気付いていまい。

「私に話すことは、何も無いか」

 罵ればいい。その権利があるのだから。

 国と国の決定に従っている以上、そのこと自体を国の心臓部とも言える王城で否定される謂れは無いと。

「…ございません」

 しかし返された言葉は、何よりの拒絶だった。無意識にこぶしを強く握り締める。

 干渉するなと言いたいのだろうか。時には息苦しくなるほど強く向けられる漆黒の視線は、あまり豊かでない表情を補うように意志の強さを伝えていた。

 しかし今はそれが無い。こちらを振り返ろうとしない態度が、酷く気に障った。

「もう一度聞く。私に言いたいことは何も無いのか?」

 一言でも罵倒の言葉を聴くことが出来たならば、それで切り捨てられる。

 どこか他の女と毛色が違い、こんな短い期間で何故か気にかかる存在となってしまったが、ただの気の迷いだったと断じることができる。


「第三皇妃様の元へ、お渡りください」

 一瞬、耳を疑った。 

「…さぞお悲しみが深いことでしょう」

 そんなことが理由になるのか。

 今夜第三皇妃の元へ行けば、あちらではこの女がどれほどの悪人かを言葉を尽くして説得にかかるだろう。虚構も真実も織り交ぜて、どうにかして立后を思いとどまらせようとするだろう。

 それはこの女にとって不利益でしかないはずだ。それなのに吹けば飛ぶような理由だけで、その不利益を甘んじて受けようとしている。

「……それがお前の望みか?」

「はい」

 常のような覇気は無いが、それでも返事は聞き取ることが出来た。

 それだけで十分だった。

「……わかった」

 これからすべきことがはっきりした。

 希望を聞いたのはこちらだが、生憎それに従うことは出来ない。


 僅かに乱れた黒い髪が流れる背は動くことは無かったが、その顔を見ずとも既に心は固まった。





 


「シン、日程の調整は出来ているな?」

 あれから足早に後宮を出て、帰り支度をしていたシンレットを無理やり引きずって執務室に舞い戻った。

 当然、第三皇妃の顔など見ていない。機嫌をとる気はさらさらないし、報告を聞く限りでは喧嘩ではなく第三皇妃が一方的にまくし立てたようなので大事にしないほうがあちらにも都合がいいだろう。

「僕を誰だと思ってる?主だった貴族の出席も取り付けたし、軍部も演習日程ずらして隊長級は試合準備を整えてるよ」

「よくやった。何日後だ?」

「何もなければ三日後」

「なら三日で片付けることが山ほどある。すべての作業に優先しろ」

 こちらの事情を全く考慮しない発言に、シンレットは呻いた。

「何する気?裏工作?それとも買収?」

「そんなつまらないことをお前に頼むか。それにアレは根回しなしで皇后になれるだろう。騎士のほうは知らんがな」

 あっさりとそう言い、資料の束に目を通し始める。

 言われた方としては全く急な展開についていけるはずが無い。

「何、その信頼。君ちょっと前まで…うわっ」

 言葉の途中で薄い冊子が投げられた。反射的に受け取るが、付けられた題字には見覚えが無い。

「…『林檎についての中間報告書』?」

 激しくふざけた内容だ。この王都に林檎栽培など出来る場所があるはずが無い。また、地方の農作物の中間報告に皇帝自ら目を通している暇など無い。

 訝しげな視線に気付いたレイヴスは、しかし資料から視線を外すことなく怒涛の勢いで指示を出した。


「それを熟読して法に触れない範囲で厳罰を下せ。出来る限り林檎園・・・の人員は減らしたい。それにロイが中央官吏任用試験に合格したのは何年前だ?たしか10年はたっていないと思うが、一応確認して、もし10年経過していたら無理やりでも来月の試験にねじ込め。奴なら一ヶ月あれば首位で合格するだろう。いいな?ついでにケンといったか…騎士任用試験に合格することを前提に所属を決めておけ。騎士団には内密にしろ。自尊心を傷つけられたと大騒ぎするに違いない。まぁその分気のいい連中でもあるから、ケンとやらが出す結果次第では歓迎するだろう。良くも悪くも実力主義だ。もっとも、奴が出す結果次第ではこの件は徒労に終わるだろうがな…そのときは奴を恨むんだな。四日後に出発できるよう、船の用意を。妥当かつ実直で賢すぎない勅使の用意も。それに持たせる文は用意しておく。一応手土産も必要か…急ぎだからな、適度に相手が満足しそうな珍しいものを国庫から適当に選んでいい。質問はあるか?」


 息もつかずに流れるように出された指示を一度頭の中で復唱し、質問すべき点を洗い出す。

「船の行き先は?」

「決まっているだろう。オースキュリテだ」

「文の内容はお姫様のことだろ?今更あっちの意見でも聞く気になった?」

「まさか」

 シンレットの疑問を一刀両断切り捨てて、レイヴスは鼻で笑った。

 その顔は一国の皇帝とは思えないほど捻じ曲がった性格に見える。シンレットは嫌な予感に血の気が引き、変わりに夜の冷えのせいでは決して無い震えが足元から上がってきた。

「親書の内容は、アレの立后だ。オースキュリテに勅使が着く前に正式に立后の儀を済ませる」

「最低…」

 思わず漏れてしまった呟きだが、シンレットには撤回する意思は無かった。

 つまり、勅使が国を出た段階ではあちらの意見を求めるものだが、いざ親書を渡す段になればショウコは既に正式な皇后となっており、どのように文句を付けられても変更はもはや不可能になっているということだ。

 しかしそれは、裏を返せばそこまでしてもショウコを確実に皇后にしたいということ。

 それに気付いたシンレットは、よく知った幼馴染の顔を注視した。


「レイ…君、なんかあった?」

 その言葉にようやくレイヴスは顔を上げ、まっすぐにシンレットを見返した。

「お前は、アレをどう思う?」

「…この国の皇后も十分に勤まる。君の横に並び立つ資格さえあるかもしれない」

 これまではどちらかと言えばレイヴスがショウコを認めていない節があった。だからこそシンレットもはっきりと意見を口にすることは無かったのだが、今夜はどこか様子が違う。

「同感だな」

 シンレットの言葉をあっさりと肯定して、レイヴスは立ち上がり窓の外に視線を転じた。

 細い、細い、糸のような月が夜空に漂っている。

「アレは己の義務を十分すぎるほど心得ている。そしてそれ以上のことをやってのけるだろう」

 今夜部屋を訪ねていったのは、泣き顔が見られるのではないかと思ったからだ。

 泣けばいいと思った。あの誇り高い女が泣き崩れる様を見たいと思った。

 しかしどこまでも思い通りにならない。

 今にも崩れ落ちそうな華奢な背を支えているのは、やはりその誇りと自戒心だった。


 自分の思い通りにならない、異色の存在だと思っていた。

 しかしそれは当然のことで。

 最初から自分と対等だった。表層を取り繕うことはあっても、決して靡かなかった。

 この世に生れ落ちた瞬間からいずれは皇統を継ぐものとして育てられた者と幼いながら万民の命を背負って異国に嫁した者。

「10年間、飼い殺したかもしれないな」

「それは違うね」

 はっきりとした否定に振り返れば、シンレットが二つの杯に酒を注いでいた。初物として届いたばかりの献上酒。

「この国での10年が、お姫様を育てた」

 差し出された杯を受け取り、軽く持ち上げた。


「未来の皇后陛下に、乾杯」

久しぶりすぎる更新です。長々お待たせして申し訳ありませんでいた。

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