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砂漠の蝶  作者: Akka
24/53

千箇に乱れて

 本格的に始まった後宮暮らしは、思っていた以上に悲惨極まるものだった。

 第三皇妃をはじめとするこの国の貴族の令嬢方は、はっきりと対立する態度を表していた。大きく分けてその派閥に属する者が、全体の半分。残りの半分のうち更に半分は静観を決め込んでいて、残りはショウコにいくらか好意的な態度を取る者たちだ。

 最も敵愾心を露にするのは、古くからの家柄だが今は力衰えてオースキュリテとの貿易などで殆ど利益を出していない人間だ。まさに第三皇妃はこれに当たり、あちらがショウコを「視界に入れるのも汚らわしい」とばかりに避け続けるので、いまだにショウコはかの御仁をまともに見ていない。

 聞かせる目的での罵詈雑言は当たり前。

 冷たい視線と嘲りの笑いなら可愛いもの。

 どんどん部屋から物がなくなるので、戸締りと貴重品の管理には異様なほど気を使うようになった。

 それでも直接身体的な暴力にまで事が進行しないのは、ショウコの首に光る指輪の効果なのだろう。

 皇帝から紅玉の指輪を渡された次の朝、皇帝の言葉どおり宝石の加工の職人が訪ねてきた。しかし石も台座の細工も職人が手を入れるのを躊躇うほどすばらしいもので、ショウコもあまり手を入れたくないということで意見が一致し、結局は指輪に合う鎖を見繕ってそれに通している。

 果たしてその効果は絶大だった。

 この指輪は後宮に住む者なら常に皇帝が身につけていたものとすぐに分かるらしく、その皇帝の威光を恐れてか直接的な物理攻撃は今のところ無い。

 手さすびに大きすぎる環に指を通して、滑らせる。引っかかることなく滑り落ち鎖で揺れる指輪は、決定的に越えられない壁を見せ付けられるようで癪だった。

「気になるんですか?」

「全然。悔しいだけよ」

 苦々しく問いかけてくるアオに、心情そのまま言葉を返した。風がはらはらと頁を捲るが、集中は既に途切れてしまったので

 何故かアオは極端に皇帝を敵視している。悲しいのはそれが全く相手に堪えず、むしろからかわれ遊ばれいなされていることだ。

「悔しい?姫様は陛下と対等にやりあってるじゃないですか」

 この指輪を渡された夜から、気まぐれに皇帝はショウコの部屋を訪れるようになった。多くは夜寝る前の時間に、少し話をしていく。そのあとは表に戻ったり他の女性の部屋で夜を過ごしたり。

「どうかしらね……」

 確かに会話自体は同等なものかもしれない。身分も地位もショウコが極端に自分を卑下する必要は無いのだから。

 しかし、ショウコの部屋をかの人が訪ねてくるということ自体が守られている証だ。後宮に来るときは必ず立ち寄り、他の女性に用が無くても顔を出す。これによってショウコが他の女性とは違う『特別』であると印象付けているのだ。手を出せばただでは済まない、と。

 とは言っても自分と皇帝の間には、よく言って『共犯者』程度の繋がりしかないと思っている。

 国益の代表者。

 牽制と人質。

 その距離感を誤れば、多大な不利益が双方に降りかかる。自分たちだけでなく、それを取り巻くすべてに対して。

 よりその関係を安定させるために、皇后になる。これは双方の利益が一致した結果だ。その皇后の位を賭けた勝負は一週間後。負け戦は絶対にしないが、確実に勝つためのもう一手は間に合うかどうかそれ自体が賭けだ。

 

 未確定要素を心配しても仕方が無い。

 そう切り替えてショウコは組んだ脚の上に本を戻した。

「姫様、少々お行儀が…」

「……重い本を読むときは楽なのよ」

 とはいえ、着物の前が割れて脚が見えるのは確かに如何なものかと自分でも分かっているので、裾を捌いて衣服を直した。

「シュー様とご交流を持たれてから、そういうことに無頓着になられましたか?」

「私はあそこまではいっていないわよ?あれは見ているこっちが気詰まりだわ」

「でも後宮は暑すぎますよ。風とか全然通らないし。だからちょっと気持ちはわかるんですよね」

 シューは日に一回はショウコの元を訪れるようになっていた。女官長はじめ侍女たちは彼女のことを悪し様に罵ることはしなくなったが、それでもショウコに向けるもの以上に冷たい視線を投げかけていることに変わりは無い。

 ただ高級娼婦上がりというだけであの扱いということに、ショウコは引っ掛かりを覚えている。むしろショウコのような身分がないのだから、権力闘争の敵にはなりえないはず。だとすれば彼女は『安全な人間』とみなされてもよさそうなものだが。

「姫様、なんだか外騒がしくないですか?」

「また、何かあったのかしら…」

 少なからずげんなりした調子が出てしまったのは仕方が無い。ショウコが後宮に入ってから、小さなものも含めれば諍いが起こらなかった日は一日とてない。

「……ドーブの静寂が懐かしい」

 数枚の扉をも突き抜けて響く諍いの声に、どこか静かな場所は無いのかと頭が痛くなった。

「私、様子を見てきます」

 ショウコはここにいるのだから、原因は他にある。だとすれば冷静に状況を判断できる第三者が必要だ。

「アオ。…からかっては、駄目よ?」

 不安げな言葉に、どーでしょーねぇ〜と鼻歌を歌いながらアオは出て行った。

 

 最近の後宮での諍いの原因は、どう考えても自分が一番多い。

 それに対応すること自体は、ショウコにとって何ら問題ではない。しかしそれにより快適な生活空間が阻害されることは不愉快極まりないことだった。

 この現状を打破するため一週間後に席を設けてもらったが、ショウコとしてはその前に片をつけるのが最上の方法と考えている。こちらが負けられない以上、負けを喫するのはあちらだ。

 公の場で恥をかかせたいわけではなく、出来ることなら今後友好的な関係を築きたい。そのために第三皇妃との話し合いの場をと機会を伺ってきたが、あちらに徹底的に避けられている以上それは困難を極めた。

 時間はもうあまり無い。

 とにかく一度、話だけでも出来ないものか。

「皇妃様、よろしいですか?」

「ええ、何か?」

「アオさんが、皇妃様をお呼びするようにと。広間でお待ちですが…」

 アオは調停役を務めに行ったはず。理由は分からないながらも、ショウコは立ち上がった。




 広間に着けば、理由はすぐに判明した。

 争いの当事者は第三皇妃とシューだった。二人はショウコが来たことにも気付かず、口論を続けている。それはそれで好都合なので、ショウコに気付いて礼をとろうとした者達を仕草で制する。

「姫様、お呼びたてしてすみません」

「構わないわ。むしろいい判断よ。やっと第三皇妃様とお話が出来そう。

 どういう状況なの?」

 周囲がざわついているので二人の口論の内容は聞き取れないが、見たところ第三皇妃のほうが食って掛かっているようだ。第三皇妃の侍女たちは主人の怒気におろおろとするばかりで、まったく事態の収集の役には立ちそうに無い。

「それが全然分からないんですよ。シュー様はあれだけ責められているのに、全然堪えていないみたいだし。むしろ第三皇妃様が興奮してて……」

 ならばこれ以上聴衆でいてもどうしようもない。これ以上の騒ぎはいくら後宮が閉鎖された空間とはいえ、見苦しい。

「一体何の騒ぎですか?争いの声を聞くと頭痛がするわ」

「ショウコじゃない。貴女まで出てくるなんて、よっぽど皇妃様のお声は大きかったのね」

 事態を楽しむように笑うシューに、第三皇妃は更に牙を剥いた。

「お黙りなさい、この売女!お前のようなものがここにいることを許されているのは間違いよ!」

「まぁ、お育ちが疑われること。それがお上品なお貴族様の言うこと?」

「お前のようなものがいると、帝国の後宮の品位が損なわれるわ!本来ならば私たちを会話することさえ許される身分ではないというのに……!!」

「私がここにいるのは、陛下のご意志よ?勝手に入ってきたような言い方はやめてくださいな」

 この会話には何ら生産性が無い。想像以上に低俗な会話だ。

「このような醜い諍いが帝国はもちろん陛下の威信を傷つけると、お二人にはご理解いただけますか?最低限の分別をお持ちであるならば、即刻不愉快な罵りあいを辞めていただきたいものね」

 ため息とともにショウコが発言すると、第三皇妃は初めてショウコの顔を見据えた。

「お前ごときがしゃしゃり出てくる場ではないわ!敵国の人間に指図を受けるほど、私は堕ちてはいないの」

 この言葉に、周囲のざわめきが大きくなった。

 オースキュリテは敵国である。未だにそう考える人間は少なくないが、これは決して出してはいけない言葉だ。多くの犠牲を払って築いた和平が、決して恒久的なものではないということは誰もが知っている。

「……不用意なお言葉は、慎まれたほうがよろしいかと。二国間の和平を築くためどれほどの犠牲が払われたか、全くご存じないわけではないでしょう」

 この言葉は決定的に間違っていた。ショウコがそう知ったのは、第三皇妃の目に涙が溜まって、その決壊とともに叫ぶように向けられた言葉を聴いてからだった。

「犠牲?犠牲ですって?!私がそれを知らないとでも?

 お前にそれを言われるまでも無い!偉そうな口を聞く前に、お兄様を返しなさいよ!お兄様を失って、それで得た和平なんていらないわ。その和平の結果がお前なら、私はお前を否定するし、それを選ばれた陛下の判断も否定するわよ!!」

「………っ!」

「お兄様を殺したくせに……!」

「私はっ、その犠牲を無駄にしないためにここに……!」

 搾り出した正論は、自分でも滑稽なほど虚ろなものだった。

 そんなものは何の役にも立たないと知っていても、私はそれに依拠するしかない。存在意義を否定するわけにはいかない。

 ショウコの言葉に反論することなく、第三皇妃は背を向けて走り去っていった。

「……皆、仕事に戻りなさい。今後このような騒ぎのないように」

 その言葉に気まずげに視線を逸らしながら人々が散っていく中で、シューがその場に留まり声をかけてきた。

「ショウコ、貴女大丈夫?」

「……何がかしら。全く問題ないわ。騒ぎが静まって何より。

 シュー、貴女も無用な騒ぎを起こさないで」

「私じゃないわ。いつもあちらが突っかかってくるのよ。陛下のご寵愛が向かないからって、それは私のせいじゃないわ。選ぶのは陛下ですもの」

「貴女が挑発しなければ、ここまでの騒ぎにはならないはずよ。どうして相手を煽るようなことばかり……」

「だって下手に出るのも癪じゃない。あの人も私も、陛下の女という意味では同等。

 ……私の話はいいじゃない。いつものことだもの」

「この騒ぎがいつものことでは困るわ。この話以上に今しなければならない話はないけれど?」

 全く視線を合わせようとしないショウコに、シューはため息をついた。

「強がりね、お姫様。それともそれが皇族の矜持ってやつかしら?」

 無視して通り過ぎようとした背中に、更に言葉が投げられる。

 暴力的なまでの強さをもって。

「あの人の『お兄様』は、あなたの国との戦争で亡くなったの。初陣だったそうよ。帰ってきた遺体は何とか顔の判別がつくくらい、酷く傷ついていたらしいわ。傾いたお家を建て直すためには武勲が必要で、貴族で碌な戦闘経験もないくせに最前線を志願したらしいの。武勲は無理だったけどその忠誠が認められて、あの人は後宮に入れたのね。

 ……貴女は涼しい顔してここにいるけど、そういう人って多いのよ。貴女はそれを、本当に分かっているのかしら?」

「シュー様。それ以上の発言は姫様及びオースキュリテに対する侮辱ととりますが」

「あら、そんな心算じゃないのよ?ごめんなさいね、アオ」

 アオには謝罪してもショウコにはしない。それは自分の発言の正当性を信じているからだろう。

 これ以上ここにはいられそうになくて、部屋に戻るためにいつもより少し早足で歩き出した。

「だんまりなのね。所詮貴女の知識は本の中だけで、現実なんて全然知らないのよ。だから私に反論も出来ない。怒ってるくせにね。

 陛下だって貴女と交換に、唯一の弟君を人質にしたわ。憎しみしかない関係なのに、どうして陛下が貴女を皇后にしたいのか分からない。でもそれ以上に、どうして貴女が陛下の横で笑っていられるのかが分からないわ」

 怒ってはいない。

 怒りの感情からここを立ち去るわけではない。

 しかし、ここにいて背中を伸ばし続けていられる自信はなかった。

個々人によって「正しさ」は違って当然です。絶対悪なんて、そうそうありません。


コメント・ご感想よろしくお願いします。「最近あの人が出てないぞ、出せ!」とかでもOKです(笑)

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