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砂漠の蝶  作者: Akka
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行方知れず

「失礼する」

断りではなく宣言して部屋に足を踏み入れた人物を見てアオの思考は停止し、荷造りに勤しんでいた手からは荷物を取りこぼした。

昨日の昼間に姫様にあれほど無礼な振る舞いをしただけでは飽き足らず、夜遅くに呼び出した。何があったのかは分からないし姫様は自分が悪いの一点張りだが、いくらなんでも野蛮すぎる。アオはそう認識していた。

何といっても滅多なことでは負の感情を表に出さないショウコが、屈辱に震えたのである。

今朝の薄ら寒い団欒といい、許可なく部屋に立ち入る振る舞いといい、関係が急変するようなことが短い散歩の間に一体何が起こったのか。

 

皇妃の部屋を訪ねたのは、昨晩アオが『敵』と認定した男。

皇帝その人であった。






「オースキュリテの姫は、ここにいると聞いたが?」

冷ややかなレイヴスの声に、アオは精一杯冷ややかに言い返す。

「はい、いらっしゃいますが?」

「……。そのようには見えないが?」

「上のご寝室にいらっしゃいます」

もちろんアオとて、相手の意図は察している。本来侍女が取るべき行動も分かっている。

しかし昨日のことがある以上、出来る限り人目のないところでショウコとレイヴスを会わせたくないのだ。本当は今朝の散歩も、侍女仲間に止められなければお供したかった。デデを相手に怒りをかみ殺していたケンの気持ちがよく分かる。

「ではそちらに行く」

「いくら皇帝陛下とはいえ、主の寝室に許可もなくお通しするわけには参りません」

さりげなくレイヴスと塔へ続く扉の間に立つ。もし無理にでも通ろうとするのであれば何の役にも立たない行為だが、おそらくそれはない。

伝わればいいのだ。

アオが従う主はショウコであると。

最優先はショウコであると。

そのためには皇帝にさえ歯向かうと言う、その覚悟を。


「アオ・リューイ、か?」

「は?」

「違うのか?」

「いえ、そうですが。えっと…」

「あぁ、女人にだけ名乗らせるのは無作法だな。私はレイヴス・シャルディア・リュミシャール。この国の皇帝だ」

白々しく名乗るレイヴスの目は完全にアオをからかっている。

「存じております!先程から陛下と御呼びしているではありませんか!」

すっかり地が出ているが、本人はそれどころではない。

「知っていたか。それは重畳。先程からどうにも軽んじられているような気がしてな」

すべてを分かりきった上での嫌味に、身分上噛み付くことが出来ないアオはぎりぎりと歯噛みした。

「…!それは失礼をいたしました。……じゃなくて、どうして名前!」

舌戦を制して満足したらしいレイヴスは、悠然と笑んだ。

「話をするなら、座りたいものだが?許可いただけるか?」

会話の主導権を握られ、易々と相手を己の陣地に立ち入らせてしまったことにアオは気が付かない。

「どうぞこちらにっ!」

アオは荒々しく場を整え、乱暴にお茶を差し出し自らも一息に流し込んだ。ここまできて体裁に構っていられるほどアオは達観していないし、今のところする心算つもりもない。

気持ちを落ち着けて、もはや敵かつ不審者となった相手を見据えた。







随分と分かりやすい娘だ。

自分に向ける敵意も、その後の狼狽も。

感情がすぐに表に出るし、そもそも隠そうという気がないらしい。交渉術もなっていないし簡単に主導権を譲ってしまう迂闊さは幼稚といってもいい。

部屋に入ったとき、これが昨晩王宮に連れて行きたいと言った侍女だろうと分かった。この離宮で働くオースキュリテの者はアオ・リューイとケン・ショートしかいない。

そんな分かりきったことを言っただけであるから、その後の反応の良さに思わず笑った。こういった究極の直情型は周りには少ない人間だ。

レイヴスと同じく究極の理論型であろうオースキュリテの姫が、彼女をそばに置く理由も察しがつく。

先程取り落とした荷物もそのままに、のどを潤す侍女なんて滅多にいない。

自分にはない個性に惹かれるという心理は理解できないでもない。


「これは…」

何気なく眺めた荷物に目を剥いた。

法律に政治学、宗教に民俗学。一体誰がこんなものを。

「姫様の持ち物の一部です。何か?」

「一部?」

「はい。残りはまだあちらの本棚に入ったまま。荷造りの途中だったんですから」

不満そうな侍女を尻目に、本棚の前に立ち愕然とした。

理論派の学術書から実用書まで、中には相当古いものまである。

「これを……読んでいるのか?全てを?」

「私にはよくわからないんですけど、そこに残っているのは特にお気に入りのものだけみたいです。一度お読みになったものはほとんど学校に寄贈されていますよ」

過去に自分も精読した一冊を取り出してみると、中の余白には大量の走り書きがされている。それを読めばこの文章一つ一つにどれほどの理解があるのか、明白に示された。大家の言葉を盲目的に信じるのではなく、多少の偏りはあるにせよ自分なりの分析が加えられている。

相当なものだと認めないわけにはいかない。

その気になれば何冊かの本にすることも出来るだろう。

「この本は粗雑に扱うな」

「わかってますよ、それくらい。私だっていつもいつも落としたりしているわけではないですから」

「いや、分かっていない。これ一冊がどれほど価値があるか。物によってはお前の10年分の手当てでも買えないものだ」

本を眺めつつ答えれば、後ろで派手に物が倒れる音がした。

「そんなに!?ど、どうしよう今までの分!」

これまでにも何度かあるのか。そう呆れながら振り返るとテーブルの上にお茶がこぼれていた。

「言ってるそばから。その頭は飾りか?」

「突然で驚いたんです。心臓に悪いことをおっしゃる陛下が悪いんですよ!」

「心臓に悪いのはお前のこれまでの行いだろう。私に文句を言う暇があったらさっさと片付けろ。足元の本が濡れる」

その言葉に部屋を飛び出し掃除道具を取りに走る侍女にため息をついた。

見ている分には面白いが、30分以上相手をすれば理性が崩壊するかもしれない。







再度本に視線を戻すと、かすかな衣擦れの音とともに塔の上へと続く扉が軋んだ。

石の塔を通るかすかに冷たい風と、慣れない清浄な香りが流れ込む。

「アオ?何か音がしたけど、大丈夫?」

決して高くはない、しかしよく響く声にゆっくりと振り返る。

「陛下?」

「あの侍女は先程飛び出して行った。なかなかに面白いな」

ショウコはすばやく部屋を見渡し、テーブルの上で合点がいったというように頷いた。あっさりと状況を理解できるほど、あの侍女の粗相はよくあることなのか。


「あの、それで陛下は何かご用でしょうか?そうであれば私のほうで出向きましたものを……」

その問には答えず、ゆっくりと本を閉じる。

「皇帝機関説をどう考える?」

「……は?」

「思うままに言ってみろ。罰したりはしない」

 そうではなく質問の意味を問いかけたのだが、答えを要求する無言の圧力に屈する。

「恐れながら私は賛成です。この国の最高法規に皇帝陛下についての規定がないのは、その存在を前提として国家が成立しているからでしょう。しかし法の運営を適正にするためにはその地位を明確にせねばなりません。……。…」


明快な理論は、それが自分のものになっている証明。これほどとは思わなかった。

「読んだのだな、全て。何の為だ?」

「強いて言うなら、批判するためでしょうか」

「批判?」

「はい。今の政治を、社会の不条理を。知らずして文句を言うことは出来ません」

「それで、何を得た?」

緩く笑って、吐き出された言葉は意外なものだった。

「何も得ませんでした。これまでの私の手はせいぜいこのドーブにしか届きません。この完成された豊かな街で、私が出来ることなど殆どない」

それは嘘だと知っている。情報網の整備などで皇妃が果たした役割は小さくなかったと昨日庁舎で聞かされた。そのときは裏で手を引く者がいると思ったが―――。

「ですが、これからは違う。私の手はもっと遠くへ伸ばすことが出来ます。それが第二皇妃と皇后の違いでしょう」

「……国の政治に興味が?」


 





「ショウコ様、アオはどうしたのですか?」

 開いたままになっていた扉から顔を覗かせた男に、意識せず眉をひそめた。



 



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