掴めぬもの
「ロイ……か?」
「久しぶりだね、レイ」
皇帝に相対しているとは思えない気安さで、ロイはひらひらと手を振った。
そんな様子を皇帝の側近が許すはずもなく、シンレットの厳しい声がかかる。
「陛下に対してその態度は、不敬罪と捉えるが?礼を尽くすことも出来なくなったか?」
「シンは相変わらず融通きかないね。ここにはそんなこと気にする奴いないでしょ。せっかくの再会に水を差さない」
「戻ってきていたとはな。何年ぶりだ?」
「レイ、君も少しは窘めるとかしたらどうなんだ?」
「瑣末は気にするな。面倒だ」
「瑣末?!鷹揚と大雑把は違うんだけどね」
「シンは本当に変わらないね。そんなんだと若いうちに禿げるよ?」
どんどん気安いものになっていく三人の会話を、ショウコはあっけに取られて聞いていた。
貴族社会の中になっても、このような友情を育むことが出来るのか。互いの心の内を探りあい、有利にことを進めるために腐心する。そんなものだと思っていたが。
いままで表面的な付き合いで、波風を立てないことばかりを気にしてきた自分がなにかとても情けないような気がする。
姉様。
姉様ならば、この異国の地でも私などより器用に立ち振る舞うことが出来ますか?
ああ、違う。
姉様はそんなことは考えない。自然に人を惹き付ける、生まれ付いての華。
「ショウコちゃん、約束破ったね?」
思考に沈んでいたらしい意識が、浮上する。
「え?」
「昨日、謁見に同席させてって頼んだでしょ?」
ロイの言葉に、二人もショウコを注視する。
「ごめんなさい、いろいろ…あったものだから」
何と答えたらよいものか、逡巡して皇帝に視線を走らせたが、全く気にかけた様子も無い。
何だかひどく疲れてしまった。自分だけが空回りしていて、徒労感だけが残る。
「昨日ロイから伺いましたが、お三方は古くからのお知り合いですのね。積もるお話もございましょう。私は席をはずしますわ」
立ち上がり、略式の礼をとった。
「お連れいたします」
そう言い、シンレットはショウコに手を差し出した。
本音を言えば一人になりたい。庭の中なのだから大丈夫だと突っぱねたい。
しかし拒否されるとは露ほども考えていない相手をあえて不快にさせることは出来ず、礼を言って手を重ね東屋を出た。
東屋の出口の段差や隆々とした木の根に注意を払い、完璧なエスコートをする彼は、きっと紳士なんだろう。少なくとも表面的には。だとすると昨晩の態度は何だったのか。ああ、そういえばロイも何か言っていた気がする。
そんなとりとめのないことを考えながら歩いていると、突如相手が立ち止まった。
ちょうど館と東屋の中間あたりの、どちらからも隠れた場所だ。とは言っても、何かあれば人を呼べる近さだ。
多少警戒しながらも、いぶかしんで声をかける。日差しが強いので眩暈でも起こしたのだろうか。……この人いかにも文官っぽいし。
「シンレット殿、いかがなさいました?」
「皇妃様は、ロイとは親しくしていらっしゃるのですか?」
突然の質問にショウコは目を瞬かせたが、相手は無言で答えを要求してくる。
「えぇ。私がドーブに来た頃からの付き合いですが」
それがいかがいたしましたか、と訊ねるショウコには答えず、言葉を重ねる。
「では10年以上ということになりますね。昨日も会って話をされたと」
意図の読めない言葉に、ショウコは答える術を持たない。
自分だけが不利益を被るのなら致し方ないが、ロイを巻き込むわけにはいかない。不用意な一言がどれほど周囲に影響を及ぼすのか、分からないほど子どもではない。
これ以上ここで立ち止まるべきではない。
そう判断して一人歩き出したショウコの背中に、更に言葉がかけられる。
「皇妃様、いま一つお聞きしたきことがございます」
その言葉に立ち止まりはしたが、振り返ることはしない。表情さえ見られなければ、いくらでも誤魔化しは効く。
「なんでしょう」
「ロイに、御名を呼ぶ許可を、与えられたのですか?」
あまりに予想外の質問に、思わず振り返りそうになった。
この国には何か名前に関するしきたりでもあったのだろうか。
「そういって覚えはございませんが、問題がありましたでしょうか。何分幼き頃からの付きあいですので、自然とそうなったのだと思いますけれど」
「お時間を頂き、ありがとうございました」
そう言っておそらく礼をとっているだろう相手に、内心毒づいて歩き出した。
何がお時間を頂き、なのか。
意図は読めないが、東屋を出たときから計算づくだったでしょうに。
かの若き大臣は、紳士でもなければロイの言う蛇でもない。
おそらくは純粋なまでの政治家なのだ。
一本と押した筋を守るために、欺瞞も矛盾も是も非も無く、欺瞞も矛盾も是も非も内包する。
つかみきれない存在であるし、理解は出来ない。しかし今後短くはない付き合いになるであろうことを考えると、受け入れる努力が必要だろう。
「癖のある人ばっかり……」
ショウコはこっそりとため息をついた。
凛とした背中を見送りながら、シンレットは先程までの会話を反芻した。
皇帝と皇妃の間に、10年という隔たりがあるのは今更どうしようもないことだ。
昨晩からショウコの為人を注視してきたが、なかなかの器の持ち主だと思う。
皇后として最低限必要な矜持は持ち合わせていて、咄嗟の対応もなかなか板についている。なによりも、異国の地での10年が彼女の内面を磨き上げたのだろう。分かりやすい華こそないが、目を惹きつける人だ。
出来ることなら人目に付かぬ場所で、ただ一人のためだけに存在していて欲しかった。
漠然とした不安が胸をよぎるのは何故なのか。
めぐり合わせは皮肉で、思うようには動かない。
しかし思い定めたもののために、力を尽くすことは出来るのだ。
例えそれで、大切な者の一方を切り捨てることになったとしても。
ショウコも十分曲者ですけどね(笑)
なんだか今回いつも以上にまとまりが無いです。そのうち改稿するので、今はとりあえず話を進めたいと思います。すみません。
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