手繰るその先
「珍しいね、君が僕を訪ねてくるなんて」
「出来ることなら避けて通りたかったのですがね」
面白がるような声音に、ケンは苦々しげに言い捨てた。
平生は気ままな旅に出ているため家にいることは稀で忘れがちだが、ロイは有力貴族の跡取りである。ショウコが暮らす離宮からは少々離れた場所にあるが、高級住宅地の一角に彼は自分の館を構えている。
「せっかく訪ねてきてくれたんだし、お茶でも飲む?」
デデと会話をした後に、ケンはすぐにここを訪ねた。
訪問には早すぎる非常識な時間であることは承知しているが、この男に飄々とした態度で嫌味を言われると、何故だか申し訳ないという気持ちさえ海を越えて遥か彼方に消え失せる。
「結構です。貴方と馴れ合いたいわけではありませんので」
「ふーん。僕は一向に構わないんだけどね、君はつれない」
この男のこの態度は如何なものだろうか。
ショウコの身体的安全と精神衛生を秤にかけて、とりあえずは差し迫った身体的安全を優先したが、その判断はともかく手段の選択は間違っていたかもしれない。
「ショウコ様のことで、貴方に利する話を持ってきたつもりでしたが」
気が変わりましたと言って背を向けてしまいたいが、それも出来ないので相手の出方を伺う。
その変化は如実だった。この男が興味を示すものは極めて少ないが、その反面一度関心を示すと滅多なことでは揺るがない。
と言ってもケンはロイがショウコの他に何に興味を持っているか知らないし、知りたいとも思わない。
「君が、僕に利する話?新手の罠か何か?」
軽い口調は先程までと変わらないが、視線の強さがまるで別物だ。
これほど分かりやすく変化するならば、少なくとも現状の打破のために踊って貰おう。
「昨晩皇帝陛下とショウコ様が歓談のお時間を持たれました」
「昨晩?レイが離宮に入ったのは大分遅かったはずだけど」
意外に行動が早いなとつぶやきながら、ロイは瞳を眇める。
「読みが外れたな。昨日は対面しないと思ったから放っておいたんだけど」
「読みが甘いと言うよりは、詰めが甘かったのでは?どうせ陛下を足止めするなら、確実に一晩足止めすべきだった」
「僕の記憶が確かなら、君は昨日そのことで僕を責めなかったか?」
「……状況が、変わりましたから」
ケンが昨晩の顛末を説明する間、ロイは余計な口を挟むことなく話を聞いていた。
こういった場合、相手に話の先を促したり結論を急がせるのは良策ではない。結局は筋を見失って余計に時間を浪費することに繋がることの方が多いのだ。
「といわけで、俺としてはショウコ様と陛下を近づけるべきではないと考えています」
「君は僕がショウコちゃんに近づくのも不快なんだろう?」
「比較の問題としか言えませんね。少なくとも貴方は直接の危害は加えないでしょう」
「辛口の評価だなぁ」
まぁいいよ、と立ち上がりながらつぶやく。
「僕としてもショウコちゃんとレイを一緒にさせておくのは反対だから。君の提案に乗ってあげよう」
ケンは無言で軽く頭を下げて、退室しようと歩き出した。
「君と一緒に行くのはまずいだろ?若干ずらしてそっちに向かうよ。でさぁ…」
珍しく歯切れの悪い言葉に振り返ると、心底嫌そうな顔をしている。
「シン、一緒に来てるの?」
「……は?」
「シンレット・トリスバール。くすんだ銀の髪の」
ますます嫌そうな顔をして、視線をそらす。
「その方かどうかは分かりませんが、昨晩ショウコ様に言伝に来た方はそのような髪の色でしたね」
ロイは既にこちらに背を向けているのでその表情を窺い知ることは出来ない。
どちらにせよ、ケンには関係の無いことだ。扉の前で背を向ける相手に形だけの礼をとり、帰りを急いだ。
ケンが去り一人残された部屋に、小さくため息がこぼれた。
「……相変わらずか」
なぁ、シン。お前は疲れないのか?
圧倒的な存在に阻まれて、光はお前に届かないというのに。
東屋の二人には、昨晩のことが嘘のような穏やかな空気が流れていた。
もちろんそれは表面的なものに過ぎず、遠くでも見えるところに人の目があるという状況によるものではあるが。
そうであったとしても、互いに踏み込むことをしなければ、会話が成立するというのは双方にとって重要なことであった。不必要なまでに険悪にあることを望んでいるわけではない。
「昨日官舎で聞いたところによると、ドーブの情報網は姫が立て直したと?」
「そのような大層なことはしておりません。ただ……向こう見ずであっただけでしょう」
謙遜ではなく事実として恥じ入るショウコに、レイヴスは低く笑う。
「確かに、否定は出来ない。皇妃の紋章も安くなったものだと騒ぐ輩も多かろう」
「デデはその筆頭でしたわ。『皇妃様の御威光をなんと心得ますか!』と」
「らしいな。まぁアレは宮廷の内向きの仕事に就いていたから、そういったことを重んじる」
皮肉を口にしながらも、懐かしむ様子にショウコは先程からの疑問を口にした。
「陛下は…、デデをよくご存知なのですね」
「私が知っていると言うよりも、アレが私を知っている。12年前までは毎日のように顔を合わせていたからな」
その言葉にショウコは釈然としないものを感じた。先程の様子からすると、もっと親しみを持った間柄であるように感じたのだ。皇太子と臣下として顔を合わせていただけで、あのような態度になるだろうか。
その疑問をショウコが口にしようとしたとき、人の気配にレイヴスが視線を向けた。
「失礼します、陛下ならびに皇妃様。お目通りを願う者が」
余計なことを口にしなくて良かった、とタイミングの良い来訪者に目を向けると、そこにいたのは昨晩皇帝の伝言を持ってショウコの部屋を訪れた青年だった。
「貴方は…」
「昨日は夜分遅くに失礼を致しました。シンレット・トリスバールと申します。以後お見知りおきを」
銀の髪をさらりと揺らして、シンレットは優雅にショウコに礼をとった。
トリスバールといえば、間違いなく五指に入る名門貴族だ。何故そのようなものが昨晩は小姓の真似事などしていたのか。
ショウコが一瞬浮かべた不審そうな表情を捉えたレイヴスが、面白そうに付け足した。
「我が国が誇る最年少の大臣だ。外務全般を司っている」
「説明不足なんじゃない?」
場の空気にそぐわぬ飄々とした声が響く。
「そいつは蛇みたいに狡猾だからね、信用しちゃいけないよ。ショウコちゃん」
シンレットが憎々しげに振り返った先にいる人物を見て、レイヴスが軽く目を見開いた。
更新が遅くなって申し訳ございませんでした。その上これから二週間程度、忙しくなりそうで更新が滞るかもしれません。出来れば7月中にもう1回か2回更新したいとは考えています。
更に無謀なことに、この「砂漠の蝶」と裏表の物語(あらすじを読まれた方は想像できると思います)をアップしたいと画策しております。我ながら厭きれかえります、この性格。
ご感想をいただけると、忙しいなりにやる気アップです。よろしければ一言お願いします。