想いは埋もれて
翌朝、昨日の夜には何も無かったかのように二人は朝食に顔を揃えた。
「おはようございます、陛下」
「あぁ」
「昨晩は遅いご到着でしたが、お疲れではございませんか?」
「大事無い。姫を遅くに騒がせてしまったな」
傍目には和やかな会話を交わしながら食事を摂る。
使用人たちは二人が昨晩話しをしたことを既に知っているので、険悪な雰囲気や打ち解けない様子を見せるわけにはいかない。
王族の不和ほど、国にとって他に知られて不都合なものはない。国内情勢が不安定になり、国外には隙を見せることになりかねないからだ。ここにいる人間を信用していないわけではないが、悪意が無いものであっても不穏な噂が流れる可能性は出来る限り潰しておかなければならない。
それゆえ表面上は和やかに、当人たちにとっては白々しく、朝の時間が流れていく。
食後のお茶が出される時に、デデが皆が聞きたくても聞くことが出来なかった質問をした。
「して、陛下はこのたびはどのようなご用向きでこちらにいらっしゃったのですか?」
この言葉に、ショウコの手が一瞬止まった。それはショウコを余程注意深く見ていた者にしか分からないかすかな動揺であったが、その様子をレイヴスは視界に捉えていた。
「そのことだが」
言葉を切って様子を確認すると、既に落ち着いた様子で瞳を伏せている。
可愛げのないことだ、とつまらなく思う一方で感心する。昨晩は感情の制御がきかなかったようだが、一晩で立て直したらしい。
「街の皆に知らせがある。午後に席を用意するように」
「庁舎のほうに用意いたしますか?」
「いや、急なことだ。騒がせるのは本意ではない。この城の塔にはせり出しのバルコニーが付いていたな?」
「はぁ、ですがあの塔は…」
言いよどむデデの言葉に重ねるように、ショウコが口を開いた。
「私が私室として使っていますので、謁見室のバルコニーではいかがでしょうか」
そう提案した瞳が曇っていたのを、見逃してしまえばよかった。
「話には聞いていたが、事実とはな」
食後に二人で庭を歩きながら、前を歩くレイヴスが呟いた。
人工的に作られた小さな水路の周りに木々や草花が生い茂る、砂漠の街にあっては極めて贅沢な造りだ。所々にオースキュリテ風の装飾が見られるのは、ショウコに対する先代皇帝の気遣いか押し付けか。
「……先代皇帝陛下の、ご命令ですから」
先代はショウコが逃げ出すのではないかと、常に警戒していた。
ドーブに来た当初は何をするにも数十人態勢の監視が付けられ、オースキュリテから付いてきた侍女や近衛兵はその殆どが国に送り返された。残ったのは当時幼かったアオとケンのみ。
「先代、か」
レイヴスの父である先代皇帝は異国の姫に豪華な庭を与えてもてなす一方で、昼は厳重な監視をし、夜は高い塔に閉じ込めていた。
通常であれば貴人がそのような扱いを受けることなどありえない。いくら造りが美しいとはいえ、不便な塔で寝起きするなど囚人のような扱いだ。
「陛下が即位なさった五年前から、護衛の者が減って自由に動けるようになりました。ありがたく思います」
「不要だと思ったから減らしたまでだ。四方を砂漠に囲まれた街から簡単に逃げ出すことは出来ない」
その言葉は事実なのだろう。別にこちらを慮ってくれたわけではない。しかし。
「存じております。それでも、ありがとうございます」
感謝すべきところは感謝する。そうでなければ借りを作るようで気分が悪い。
「護衛が減ったときに、意を汲み取って部屋を移すことは考えなかったのか」
「危ない橋を…渡るわけにはまいりません」
そんな些細なことで国の関係は変わらない。
そう一笑出来ればよかった。
そうでないことを知っているからこそ、迂闊な行動一つが命取りになると分かっているからこそ、今日まで折れることなくやってこれた。
前を歩くレイヴスがふと足を止めると、わずかに眉根を寄せてショウコに手を差し出した。
反射的に手を重ねて歩き出したが、行動がまったく読めない。
「陛下?」
「東屋に行く」
「何故?」
「デデがこちらを伺っている。振り返るな」
苦々しげに、しかし怒っているわけではなく返された言葉に、ショウコは思わず小さく笑った。
主二人が去った食堂は、皇帝が言った「皆への知らせ」のことでざわついていた。
オースキュリテの要人が来るためショウコが一時的に呼び戻されるのではないか、という見方が多いようだ。
逝去した皇后は名門貴族の娘だったが、身分としては大国の皇女であるショウコに劣る。ショウコが輿入れした際に正妃をどちらにするかで論議になったらしいが、最終的にはショウコの父親の先代オースキュリテ国王が「娘に重い責務を果たすことはできない」と言ったことにより、第二皇妃という地位に落ち着いた。
そういった過程もあって、いかにショウコが第二皇妃であってもその出自からして立后するとは考え難いようで、そういった予想は今のところ無い。
精々都合よく解釈してくれ、とケンは視線を庭に投げた。
庭を散策する二人を視界の端に捕らえながら、ケンは忸怩たる思いを抱えていた。
昨晩受けた医師の診察では、背中のかすり傷以外は何も無いということであった。しかし怪我が無いから良いというものではない。
二人の間にどのようなやり取りがあったにせよ、自分にとって大切なのはショウコが害されたという事実だ。
それがある以上皇帝に気を許すことは出来ないし、極力ショウコから遠ざけるべきだと判断した。しかし。
「仲睦まじいご様子ですなぁ〜」
「デデ殿…」
窓に張り付いて二人の様子を伺う老人にしてやられた。内心の罵倒をかみ殺して平素と変わらない声を出した心算だが、僅かに尖っていることは隠しきれない。
食後にデデが半ば強引に二人を庭にやったのは、完全に計算外だった。護衛として同行しようとしたが、デデと侍女たちに止められたのは更に計算外だった。
「デデ殿は、皇帝陛下と面識があるのですか?」
「陛下が13になられるまでは、王宮で働いておりました」
二人から目を離さずに答える。その様子は子どもを心配する親のようだ。
「陛下とショウコ様は昨晩再会されたばかりです。お互いに気疲れをなさるだけではないでしょうか?」
暗に、余計なことはするなと牽制する。
いくら過去の皇帝を知っていても、デデは昨晩の暴挙を知らないのだから。デデが王宮を去ってから12年。人間が変わるには十分な時間だ。
ケンのとげのある言葉に、デデは小さく呟いた。
「…皇妃様に、……賭けているのですよ」
その声は何とか耳に届いたが、あまりに切実な響きを持っていたために聞き返すことが出来なかった。
前回から時間が空いてしまって申し訳ありませんでした。