相容れず、相反す
「…面を、上げられよ。オースキュリテの姫」
「皇后陛下のご逝去、謹んでお悔やみ申し上げます」
10年前には拙かった言葉は、今は完璧な発音と文法を身に付けたようだった。
「参列させていただくことは叶いませんでしたが、聞けば荘厳なご葬儀であったと。これも皇后陛下への深きご寵愛故のものと、皆が涙して……」
「やめろ。儀礼的な挨拶などいらん」
この上なく形式的な言葉に、自分でも意外なほど苛立ちを覚えた。
どうやら形式的に尊重されることに喜びを感じるほど、愚かな権力者ではないらしい。
先代が急逝してから5年、若干20歳の皇帝が国を率いてきた期間この国は確実に成長してきた。周りの力が大きかったとしても、そこまで暗愚であるはずが無い。
「ここに来た目的は、ありきたりな弔辞を聞かされるためではない。書状は読んだか?」
「拝見いたしました」
「では、単刀直入に」
突如強制的で暴力的なまでの力を帯びて、瞳が向けられた。
二色の瞳は歯向かうことを許さない支配する者の色。
「オースキュリテの姫、この国の皇后になっていただきたい」
言葉だけを捉えれば、ショウコには拒否が許されるのかもしれない。
しかしこの言葉はただ一つの答えを引き出すためだけに紡がれたもの。選択の余地を与えない、絶対の命令に他ならない。
「…。陛下に、お願いがございます」
他者が自分に従うことを信じて疑わない、こんな人間が世の中に二人もいるなんてとショウコは苦々しい思いでわずかに眉をひそめながら言った。
皇帝は無言で先を促す。
「従者を二人ほど同伴する許可をいただけないでしょうか」
「…その者たちの名は?」
「アオ・リューイにケン・ショート。私の女官と武官です」
「オースキュリテの者か…。一応の身辺調査はすることになるだろうが、問題が無ければ許可する。他は?」
「この城で働いている者たちが次の仕事を見つけるまで、生活の保障を。なにぶん急な話でしたので、戸惑う者もおりましょう」
皇帝の視線がわずかにゆるんだが、ショウコにはそれが何を意味するのかわからない。
「それ相応の手当ては当然に支給される。その点は心配ない」
「では私からは他に何もございません」
「最後に、一つ」
皇帝が立ち上がり、ショウコとの距離を縮めてくる。反射的に引きたくなる脚を、何とかとどめることに成功した。
シンが面白いと表現したのは何だったのか。
10年前と変わったのは姿かたちばかりの、どこにでもいる凡庸な女だ。
しかしこれなら扱いに困ることもないだろう。最低限皇后の役目を果たしてもらえればそれでいい。
立ち上がり、距離を詰める。今もなんとかその場にとどまるしかできない、その程度の人間。
「後宮で何をしても構わない。しかし他の男との間に子だけは作るな」
何を言われているのか、一瞬理解できなかった。
皇帝の中のショウコという人間は、随分と堕落した人間らしい。
理解した瞬間に、頭が沸騰した。10年も交流が無く今日はじめて顔をあわせたような相手に、ここまで愚弄される謂れはない。
自分が皇帝を叩いたのだと気が付いたのは、派手な音が鳴ってからだった。
右手が振り上げられたことには気が付いていた。しかしそれが自分に向けられるとは。
この部屋にいるのは自分と相手だけなのだから、普通に考えれば対象は自分しかいない。避けようと思えば避けることが出来たのにそれをしなかったのは、奇妙な非現実感と単純な興味だ。
派手な音の割りに痛みは少ない。
僅かに揺れた首を戻せば、たった今暴挙におよんだ相手の顔は驚いているようではあったが謝ろうとしている様子や言い訳をしようとしている様子は無い。
「……随分と、興味深い」
「冷やすものを、お持ちいたしますか?」
言外に、謝る気はないと伝えてくる。その瞳の強さは虚勢ではない本物だ。
「いや、結構」
頤をつかみ、上を向かせて強制的に視線を合わせる。
意志の強い瞳が、まっすぐに睨み返してきた。
「言い方を変えよう、最低限の義務を履行しろ。それ以外に何をしても私は何も言うつもりは無い」
「…そのようなこと、陛下に言われるまでもありません。私とてその程度のことは心得ているつもりです」
「……それは重畳。以上だ、下がれ」
そう言って手を離した。しかし相手はその場を動こうとしなかった。
「私は、陛下に同情いたします。さぞやご不快でしょうが」
「……何?」
「陛下と同じような方を、一人だけ知っています。その人も、悲しいお方でした」
「下がれ…!」
「何に怯え、て…っ!」
淡々と紡がれる言葉をこれ以上聞きたくない。
抵抗する身体を押さえつけ、噛み付くようにその唇を塞いだ。