身体の関係から始まる恋
私は鍵のかかった引き出しを開け、そこから「媚薬から始まる恋」と書かれた例の箱を取り出した。
蓋を開けると、中身は、刺身のツマのような緩衝紙の他にはたった一つの茶色いビンが入っているだけだった。
私は茶色いビンを取り出し、蛍光灯の光に翳す。軽く振ると、僅かに粘り気のある液体がゆっくりと畝る。
「ついに最後の媚薬か……」
過去に使った6つの媚薬は、いずれも一定の効果はあったものの、お兄ちゃんとのベッドインというゴールには結びつかなかった。
もしかしたら、私がもっと強引になったり、開き直ったりすればお兄ちゃんとヤれた可能性はあったかもしれない。しかし、「後の矢を頼みて初の矢になおざりの心あり」ではないが、どこかにまだ媚薬は残っているから大丈夫という甘えがあった。残りが最後の一本になるまで、その甘えから抜け出すことができなかった。
ただし、それも詮無きことのように思える。
なぜなら、私が最後までとっておいたこの媚薬は、「最強の媚薬」だからである。
この薬の効用説明をはじめて読んだとき、私は勝利を確信した。
この薬を使えば、確実にお兄ちゃんを仕留められる。久しぶりにお兄ちゃんと熱い夜が過ごせる。
この薬を使うタイミングをいつにするかは正直悩んだ。
読者の興は削いでしまうかもしれないが、一番最初に使って、早速お兄ちゃんとの愛を叶えてしまおうかとも思った。
しかし、結局は最後まで温存することにした。
理由は「物語の構成上」とかいうきな臭いものではない。もっと女の子らしい素敵な理由だ。
実は、私の生理周期から導き出された7つ目の薬を使う予定日、つまり今日は、12月24日なのである。
言わずと知れた「恋人達の祭典」クリスマスイヴ。何が何でも聖夜はお兄ちゃんとイチャイチャして過ごしたい。
窓の外はカラッとした冬晴れであるが、お兄ちゃんとベッドの中で「ホワイトクリスマス」にしたい。もちろん、これはド下ネタだが、可愛い女の子の私が言うのだからきっと許される。
「身体の関係から始まる恋」。
この薬は名前からして、私のニーズを正面から満たしている。
説明書きも何回も読んだが、「この媚薬を飲んだあなたの意中の人は、無二を言わず、無二を言わせず、あなたの身体を求めるようになります」と断言してあるし、「ただし、媚薬にあなたの髪の毛を1本混ぜることを忘れずに」以外のただし書きもない。
間違いない。この媚薬を飲んだお兄ちゃんはなりふり構わず私を襲う。
媚薬で操るまでもなく、お兄ちゃんは私のことが大好きだし、私のことを愛している。
私とお兄ちゃんとの兄妹愛において歪な部分は唯一、肉体関係がないことだけである。
欠けているのはたったの1ピース。「身体の関係から始まる恋」がこの空白を埋めることによって、お兄ちゃんとの幸せな夫婦生活の絵が完成する。
私は引き抜いた髪の毛をビンに投入し、蓋をきつく締めた。
イルミネーションやツリーによって派手に着飾った商店街は、1ヶ月前から同じ姿なので、すでに見慣れてしまい、今日という日の特別感をそこまで演出してくれなかった。この商店街では、ハロウィーンのかぼちゃが片付けられた次の日には「ジングルベル」が流れていた。張り切れば張り切るほどにクリスマスが翳っていくという悲しい逆転現象。
もっとも、そんなことはどうでもよい。
私にとって大事なのは今晩をお兄ちゃんとともに過ごせるかである。
何らかの方法で私が媚薬を使う日を把握しているらしいお兄ちゃんは、今朝方、またしても逃走を図った。
今年2度目の掲示板への真白様降臨の儀によって、この商店街でのお兄ちゃんの目撃情報を得たものの、お兄ちゃんの姿は見えない。先ほどから商店街を何往復もしているにもかかわらずである。
一体どこに消えたのか。
まさか、この前みたいにどこかで女とデートなどしてはいないだろうか。
クリスマスイヴに私を置いて女とデートすることは断じて許さない。仮にそんな場面にでも遭遇しようものなら、私はその女もお兄ちゃんも殺してしまう。おそらくお兄ちゃんもそれくらいの分別は弁えているはずだ。命をドブに捨てるようなバカではないと信じたい。
バイブした携帯を取り出すと、お兄ちゃんからのLINE通知が来ていた。
「今、ウグイス公園のベンチにいる」
自ら居場所を報告するだなんて、やっぱりお兄ちゃんはお利口さんだった。
報告通りのベンチに座ったお兄ちゃんを見つけると、私は気付かれないように後ろから忍び寄り、肩を叩いて、「わあっ」と叫んだ。
「わあっ」と驚いたお兄ちゃんが大きく開けた口の中に媚薬を流し込む。
よし、これで勝負あり。7ヶ月間続いたお兄ちゃんとの闘争も、この瞬間をもって、私の完全勝利によって幕を閉じることとなった。もちろん、寒気もブッ飛ばすような熱い聖夜が同時に始まる。
「今の気分はどう?」
「ヤりたい」
「私と?」
お兄ちゃんは大きく頷いた。
それどころか、両手で私の顔を掴むと、無理やり口づけをしようとした。私は唇と唇との間に手のひらを挟み、それを阻止する。
「慌てちゃダメ。公園じゃなくて、ちゃんと室内でしよ」
「じゃあ、ラブホテルに行こう」
「うーん、このあたりにはラブホテルないんだよね。家でしよ」
私の提案に納得していないのか、ベンチから動こうとしないお兄ちゃんの手を引っ張り、私は家路へと突き進んだ。
すでに私の部屋のベッドメイキングは万全だし、お風呂だって沸かしてある。まだ昼間なので、回復の遅いお兄ちゃんだって何回かできるはず。
想像するだけで胸が弾む。貧乳だから弾まないだろ、とか冷たいことを言われても、今だったら傷つかない。
家に入るやいなや、玄関で早速始めようとするお兄ちゃんを私は嗜める。
「ちょっと、焦り過ぎ。それに玄関の鍵もちゃんと閉めなきゃ」
お兄ちゃんは、私が玄関の扉の鍵を捻る数秒間ですら待つことができないようで、背後から身体を密着させてきた。
やっぱり、この薬は私が求めていたものそのものである。
「ダメ。待って。私の部屋に行くまで待って」
お預けの時間の解除はすぐそこまで来ている。階段を登れば、そこはもうめくるめく世界である。
私の部屋のベッドに私を乱暴に押し倒したお兄ちゃんは、キスするよりも先にまず私の服を脱がそうとしてきた。
「ちょっと待って!展開が早い!順序があるでしょ!まず、キスからにしよ」
「……ああ、そうだな」
今のお兄ちゃんは完全に理性のタガが外れている。お兄ちゃんはただでさえ早漏なのだから、私が手綱でコントロールしてあげないと1ラウンド開始早々のKOもありえるのである。
ベッドの上で仰向けになりながら、私はお兄ちゃんの目を見つめる。
待ちに待った瞬間である。
お兄ちゃんは私の唇にかかっていた黒髪を払い、私の唇を完全に無防備なものにすると、少しずつ顔を近づけていく。
「やっぱりちょっと待って!」
お兄ちゃんの顔は、私の顔の5cm上くらいで止まった。
「やっぱり、こういうのって愛が大事だと思うの。だから、キスするよりも先にまず、『真白、愛してる』って言って」
「……分かった」
「じゃあ、やり直しね!」
私はお兄ちゃんの目を見つめる。お兄ちゃんは照れくさそうに一度目を逸らしたものの、すぐにまた視線を戻し、小声で囁く。
「真白、愛してる」
「うふふ。よくできました。さあ、召し上がれ」
私はついに目を閉じる。
あとはグロスでいつにも増してボリューム感を加えた美味しそうな唇をお兄ちゃんに奪ってもらうだけである。
お兄ちゃんの鼻息が少しずつ近くなる。
ああ、私、もうダメ……
「ちょっと、待った!」
私は目を開き、声のした方を見る。
開け放たれた部屋のドアのところに誰かが立っている。
それは、私の知らない男だった。
-いや、知り合いではないが、全く知らないわけではない。
実は今日、私はこの男を何度か見かけている。
私が商店街でお兄ちゃんを探し回っているとき、この男は私のことをつかず離れずの距離でずっと見ていた。
年齢は、私やお兄ちゃんと同じくらいであろうか。生地の良さそうなコートや金色に輝く装飾品は年不相応で、親の金持ちを誇示しているようで感じが悪い。顔立ちは客観的に見たら美少年の部類に入るかもしれないが、焦点の合わない切れ長の目には優しさはなく、口角の上がった口元は過剰な自信の表れにすら見える。一旦キレると手が付けられない、そんなイマドキの若者の典型のように見える。
一端の美少女として知らない人からジロジロ見られることには慣れていたが、ここまで露骨に見られたことは生まれて初めてであり、気味が悪かった。
しかも、今はそいつが私の家に乗り込み、部屋まで押しかけて来ている。
完全なストーカーじゃないか。
恐怖で身体が小刻みに震える。
大体、こいつ、どっから家に入ってきたの?玄関の鍵はちゃんと閉めたはずなのに……
「お兄ちゃん、助けて……」
私はお兄ちゃんに助けを求めたが、お兄ちゃんは突然部屋に入ってきたストーカーを唖然として見つめるだけで、声を上げることすらしない。
「お前、早くどけよ!」
ストーカーはお兄ちゃんの顔面を殴った。
お兄ちゃんが思わず顔を背けると、その隙にベッドの上に乗ってきて、お兄ちゃんのお腹を何度も蹴り始めた。一方的な展開だった。
ついにお兄ちゃんがベッドから転がり落ちる。
絶望的な光景。
天国から地獄に突き落とされるとはまさにこのことである。
そして、悲劇はこれだけではとどまらなかった。
お兄ちゃんを追い払ったストーカーは私と目が合うやいなや、私に覆い被さってきた。
-嫌だ。絶対に嫌だ。
私の思いとは裏腹に、彼は腕力で私を捻じ伏せると、そのまま薄い唇を私の唇に近づけてきた。
「やめて…お願い…やめて……」
私の涙ながらの抗議は届くことなく、私はストーカーに唇を犯された。
私は必死で拒んだが、無理やり舌まで入れてきた。
-嫌だ。やめて。苦しい。
舌を噛み切ってやりたいと思ったが、意思に反して身体には一切力が入らず、私はストーカーの思うがままに蹂躙されていた。
-ねえ、どうして?どうしてこんな目に遭わなくちゃいけないの?
涙はとめどなく流れるものの、声は恐怖で一切出ない。
ベッドの下で倒れこんでいるお兄ちゃんは、その様子をあたふたしながら見ている。
最悪。こんな光景を見られちゃって。
私、もうこの人のところにお嫁に行けない……
そのときだった。
ベッドの下で倒れこんでいるお兄ちゃんがお兄ちゃんではなくなった。
比喩ではない。
お兄ちゃんが、今私を襲っているはずのストーカーに変身した。
え?何??どういうこと?
あまりのショックで、私の頭は壊れてしまったのかもしれない。
その証拠に、今私の唇を貪っているストーカーは、ストーカーではなくお兄ちゃんに変わっていた。
「え!?え!?」
まさに私のニットの上着を剥ぐところだった「お兄ちゃん」は、私の様子の変化に気付いて、手を止めた。
「真白、ようやく元に戻ったか」
「元に戻った?これってどういうこと?あなたは誰?お兄ちゃん?」
「ああ、間違いなく真白のお兄ちゃん、八鳳和生だ」
「え?どういうこと?忍術を使って、ストーカーと入れ替わったの?」
私は先ほどまでお兄ちゃんだったストーカーの方に目を遣る。
彼は魂が抜けたような顔をしていて、私と目を合わせることすらしなかった。
「忍術じゃない。媚薬だ。真白、『媚薬から始まる恋』に入っていた8つ目の媚薬を覚えているか?」
「8つ目の媚薬……ああ!!……って、なんだっけ?たしか、ネトネトトルコアイスみたいな名前の…」
「そう。それだ。『寝取ることから始まる恋』だ」
「身体の関係から始まる恋」
この媚薬を飲んだあなたの意中の人は、無二を言わず、無二を言わせず、あなたの身体を求めるようになります。身体の相性を確認しなければ始まらないのが大人の恋。ただし、媚薬にあなたの髪の毛を1本混ぜることを忘れずに。それを怠れば、意中の相手は一日中自慰行為にふける不毛な1日を送ることになります。あなたの意中の人は、いずれあなたの身体に癒しを求めるようになり、そこから2人の恋は始まるでしょう。