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7/10

大嫌いから始まる恋

 小学生の頃には宝石箱のようにキラキラと輝いて見えた遊園地も、高校生になった今では、びた機械が無秩序に配置されたバブル時代の残滓ざんしとしか思えなかった。

 それは単に私が大人になったからというわけではなさそうだ。遊園地に数年前の活気はなく、日曜日だというのに閑古鳥かんこどりが鳴いているのである。

 そして何より、今日の私は腹の居所いどころが悪く、どうしても浮ついた気分にはなれない。

 私は薄手のコートのポケットに手を突っ込み、銃の冷たい触感を確かめた。




 今朝はスタートダッシュに失敗している。


 私が目を覚ましたとき、時刻はすでに10時を回っていた。

 目覚まし時計のアラームは6時にセットしておいたはずなので、どう考えてもオカシイ。

 アラームの電源はオフになっていたが、二度寝をした覚えなどない。


 それがお兄ちゃんの仕業だと気付いたのは、家がもぬけのからであることを知った時である。

 今日はお兄ちゃんと冬服を買うために一緒にアウトレットに行く約束をしていたにもかかわらず、である。



 お兄ちゃんの居場所を突き止めるために、私は久しぶりにあそこに降臨こうりんした。八鳳真白やおましろファンクラブ掲示板。1日のアクセス数が平均して3000を超える人気板だ。


 「今日、誰かお兄ちゃん見なかった>_<?」


 

 私が「真白様」のユーザー名で一言そう書き込むと、掲示板の民は、1ヶ月ぶりにえさを与えられた熱帯魚のような怒濤どとうの食いつきを見せた。

 有益な情報も、わずか5分後にアップされた。


 「和生かずきなら、風間郁美かざまいくみちゃんと星美園せいびえん遊園地でデートするって言ってたぞ(=゜ω゜)ノ」


 名無しユーザーからの投稿だったが、それは間違いなくお兄ちゃんの友達からのタレコミだった。身内から謀反者むほんしゃを出すだなんて、お兄ちゃんは相変わらず脇が甘い。




 看板アトラクションの360度回転ジェットコースターですら20人程度しか列をなしていない閑散かんさんぶりだったので、お兄ちゃんを見つけるのにさほど苦労はしなかった。

 私の知らない女の子と横並びで、落下系アトラクションから出てきたお兄ちゃんは、その子と、

 「なんで途中で手を握ってきたんだ?」

 「だって、怖かったんだもん。私、高い所苦手で……むしろ、和生はああいうの得意なんだね」

 「まあな、高い所も得意だし、絶叫系も大好きだ」

 「素敵!頼り甲斐ある!ねえ、腕組んでいい?」

 「別にいいけど……おい。ちょっと近いって。胸が当たってる」

 とかイチャコラしていた。


 今すぐ飛び出して2人を邪魔したいという気持ちをこらえ、私は2人の動向を監視した。


 

 やがて2人は、遊園地のちょうど中央に位置する軽食店のテラスで、1つのソフトクリームをシェアし始めた。

 相手の女の子は、遠くから見た感じ、特段可愛くもなく、かといって特段ブサイクでもなく、至って平凡なルックスの女の子である。

 

 私は2人のいるテラスからSLが通る線路を挟んだ向こう側の生垣に身を潜めていた。

 今が好機だろう。生垣からチョコンと銃口だけを突き出し、狙いまして引き金を引く。



 パアンっという爽快そうかいな音から間もなくして、平凡女子の悲鳴が聞こえた。

 

 「和生!和生!大丈夫!?」

 

 凶弾に倒れたお兄ちゃんは、プラスチック製の椅子ごと倒れ、打たれた腕を必死で抑えながらのたうち回っていた。

 

 お兄ちゃん、安心して。

 麻酔銃に、麻酔薬の代わりに媚薬びやくを詰めただけだから。貫通力はほとんどないから、出血も最小限で済んでるはず。



 しばらくしてパニック状態から回復したお兄ちゃんは、「郁美、心配かけてごめん」と言いながら、平凡女子-風間郁美の肩を借りて立ち上がると、そのまま郁美の唇に自分の唇を重ねた。


 「えーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!!!!??????」


 今度は私がパニック状態に陥る番だった。

 叫ぶと同時に足が動き出していた。


 私が必死の形相で迫ってきているというのに、お兄ちゃんと郁美は2人だけの世界に入っており、顔を離す気配がない。私は2人の間に無理やり割って入った。


 「ち、ちょっと、お兄ちゃん、何してるのよ……わ、私というものが、あ、ありながら……」


 思ったような声にならない。私は泣きじゃくっていた。


 「真白、邪魔すんなよ」

 「じ、邪魔って何……?」


 こんな屈辱的くつじょくてきな日は初めてだ。どうしてこんなことになってしまったのだ。ただでさえ傷心の私に対して、お兄ちゃんはとどめの一言を突き刺してきた。


 「俺、真白のこと嫌い」


 お兄ちゃんは私のことが嫌い、お兄ちゃんは私のことが嫌い、お兄ちゃんは私のことが嫌い……

 

 「わああああああああああああああぁぁぁん」

 

 私は駄々をねる子供のように泣き叫んだ。遊園地では珍しくない光景かもしれないが、アイスクリームを転んで落としてしまった子供と今の私では深刻さの度合いが比べ物にならない。


 「あぁ、怖い顔してたから気づかなかったけど、この子、例のめんどくさい妹さんじゃん。なんでデートにまで付いてきてるの?ストーカーなの?」

 郁美の口調は昼ドラの嫁いびりをするしゅうとめのような意地の悪いものだった。


 「っていうか、妹さんってうちの高校でやたら人気あるんだよね?意味分かんない。ペチャパイだし」


 郁美は遠くから見ても平凡な見た目だったが、近くから見たらさらに平凡な見た目だった。その郁美が、唯一平凡ではないはち切れんばかりの胸を武器に、他のことを一切棚上げにして私をdisってくる。郁美は見た目は平凡だが、性格は最低最悪だ。


 「ねえ、和生、こんなステンレスばんは放っておいて、さっきの続きをしに行こうよ」

 ステンレス板?せめてまな板にしてよ。まな板のザラザラ程度の凹凸おうとつすら認めてくれないのはさすがにひどい。


 「ああ、そうだな。時代はデカメロンだよな」


 お兄ちゃんと郁美は腕を組みながら、テラスを離れた。

 郁美はわざと胸を押し付けるようにお兄ちゃんに密着しているし、お兄ちゃんの方もそれに応じて郁美に体重を預けている。地獄絵図とはまさにこのことを言うのだろう。




 私の心は完全に折れ、2人を追いかけていく気力すら失った。


 もうお兄ちゃんへの恋は諦めなければならないのだろうか。

 その場に崩れ落ちる私。

 しかし、地面に膝をついた瞬間に感じたコートのポケットの重みが、衝撃的な光景によって私の頭からぶっ飛んでいた大切なことを思い出させてくれた。



 -そうだ。これは全て麻酔銃に込めた媚薬のせいだ。

 「大嫌いから始まる恋」。

 この薬を飲んだお兄ちゃんは、好きと嫌いの感情が逆転する。好きなものが嫌いになり、嫌いなものが好きになる。

 私はお兄ちゃんにこの薬を飲ませれば、お兄ちゃんがあれだけ嫌がっていた私との性交渉に応じてくれるようになると思い、この薬を使った。いわば、薬の明るい側面だけを見ていた。

 

 お兄ちゃんと郁美のデート現場でこの薬を使ったのは最大の失策だった。

 なぜなら、デフォルトのお兄ちゃんは郁美のことが好きではないからである。

 お兄ちゃんは私以外の女性に一切興味がないにもかかわらず、妹離れをするために無理やり好きでもない郁美とデートをしている。そんなお兄ちゃんに「大嫌いから始める恋」を使って革命を起こしてしまえば、郁美のことが好きになってしまうに決まっている。デフォルトは大の貧乳好きのお兄ちゃんだって、「時代はデカメロンだよな」とか言い出すに決まっている。私に対して、「俺、真白のこと嫌い」と吐き捨てるのも、もはや当然の帰結である。



 そこまで気付いた私がすべきことは一つ。お兄ちゃんと郁美のイチャイチャを止めること。確変モードによって「最強の女」になっている郁美を早くお兄ちゃんから引き離すこと。


 2人の姿はもう見えなくなっていたが、「さっきの続きをしに行こうよ」という郁美の発言からして、2人が向かった場所は1箇所しか考えられなかった。

 私は涙を払い、遮二無二しゃにむに走り出した。




 案の定、2人は観覧車の列に並んでいた。

 「回るラブホテル」。それが遊園地における観覧車の位置付けである。


 「お兄ちゃん、目を覚まして!その女はただの性悪だよ!!」

 私は郁美の腰、というよりはお尻の辺りをでていたお兄ちゃんの手を無理やり引きがした。

 

 「ちょっと、あんた、また来たの?ストーカーもいい加減にしてよね?っていうか、性悪女ってどういうこと?」

 「真白、失礼なことを言うな。俺は郁美の美しい内面にベタ惚れなんだからな」

 郁美は、お兄ちゃんに最低の性格評価を下されたことに気付かず、良い気になって笑っている。


 「もう諦めなさいよ。あなたみたいなヤスリ掛けしたステンレス板じゃ、私には勝てるはずがないのよ」

 なんでヤスリ掛けまでしてさらにツルツルにするの?この性悪女、本当に嫌い。


 「そうだぞ。真白、俺は成熟した身体にしか興味がないからな」

 お兄ちゃん、もう喋らないで。そのロリコンアピールは確実にお兄ちゃんの首を絞めてるから。


 「じゃあな、真白」

 2人の番がきて、お兄ちゃんと郁美は観覧車に乗り込もうとした。私も同じ観覧車に乗り込もうと追いかけたが、「お客さん、横入り禁止ですよ」と係の人に止められた。

 

 「私、あの男の人の妹なんです!」

 「それがどうしたんですか?」

 「妹なんです!」

 「だから、それがどうしたんですか?」

 え?まさか、この遊園地では「ファストパス」が使えないということ?どういうこと?ママにチクって、この死にかけの遊園地にとどめを刺してもらっちゃうよ?



 そうこうしているうちにゴンドラの扉は閉まり、2人は「回るラブホテル」にチェックインした。

 シット。どうすればこの観覧車を止められるだろうか。やはり麻酔銃じゃなくて愛器トカレフを持ってくるべきだった。



 観覧車が一周するまでの十数分間はあたかも拷問ごうもんを受けているかのごとき苦痛の時間だった。2人がちちくり合っている姿が頭に浮かぶたびに、いっそ殺してくれ、とすら思った。




 しかし、ゴンドラから降りてきた二人の様子から、私の心配は全て杞憂きゆうだったことが分かった。


 「和生、もう最悪!この服弁償してよね!!」

 郁美の何の個性もない黒色のセーターは、お兄ちゃんの吐瀉物としゃぶつで汚されていた。


 「郁美、ごめん。俺、なんか急に高いところが苦手になっちゃって、気持ち悪くて気持ち悪くて」

 「観覧車で乗り物酔いするってどういうこと?乗っている間もオエオエしてるだけで何もしてくれないし。最低。信じられない。もう和生とは会わない」

 「え?郁美、それだけは勘弁してくれ。俺は郁美のことが大好きなのに……おい!郁美、ちょっと待て!ちょっと!」

 「あんたなんて大嫌い!!」


 郁美はお兄ちゃんの引き留めも無視して、プリプリしながら出口の方へと消えていった。

 それを追いかけていこうとするご乱心なお兄ちゃんを私が掴んで引き留める。


 「服に吐いたくらいであの態度、本当に性悪女だよね」

 「いや、郁美は最高の女だ。離せ」

 

 何はともあれ、デフォルトのお兄ちゃんが無類の高所好き・絶叫マシン好きで助かった。

 



 さてさて、ついに私のターンが巡ってきた。

 


 私はお兄ちゃんと星美園遊園地のすぐそばのラブホテルにチェックインした。もちろん、回らない。そして、言うまでもなく、私に誘われたお兄ちゃんは、この上なく乗り気だった。



 部屋に入るやいなや、お兄ちゃんは私をベッドに押し倒してきた。

 この感じ、すごく懐かしい。私は目を閉じ、お兄ちゃんに完全に身を委ねる。お兄ちゃんの顔が近付くにつれて、お兄ちゃんの荒い息遣いがリアルになっていく。お兄ちゃんが私の耳元でそっと囁く。


 「真白、愛してないよ」

 私は反射的にお兄ちゃんを押しのけていた。


 「やっぱり嫌だ!!」

 今のお兄ちゃんが天邪鬼あまのじゃくになっていることは頭では分かっている。しかし、やっぱり受け入れられない。愛の言葉を互いにささやき合うのは不可欠な前戯セレモニーなのである。


 「愛のないセックスなんて、クソ喰らえだ!!」

 私はそう吐き捨てると、ベッドで固まっているお兄ちゃんを後目しりめに、プリプリしながら部屋を出た。


 「大嫌いから始まる恋」

 この媚薬を飲んだあなたの意中の人は、大好きが大嫌いに、そして、大嫌いが大好きになります。普段、あなたをいじめている人、あなたに冷たく当たっている人ほど、一旦あなたへの想いに気付くと、もう止められません。この薬は、仲違いや倦怠期けんたいきからの立て直しにも有効です。恋の大逆転を狙いましょう。あなたの意中の人は、今までの自分の態度が愛情の裏返しだったことに気が付き、そこから2人の恋は始まるでしょう。

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