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一目惚れから始まる恋

 暦の上では八月オーガスト

 私は夏休みのとある1日を家から一歩も出ることなく、冷房の効いた部屋で贅沢ぜいたくに過ごしていた。

 夕飯の支度はもう済ませてある。お兄ちゃんの大好きなキーマカレーに、スパイスとしてウコン、ターメリック、コリアンダー、そして例の媚薬びやくを加えておいた。

 あとはお兄ちゃんが帰ってくるのを待つだけである。



 それにしても、お兄ちゃんはいつ帰ってくるのだろうか。朝方、「ちょっとコンビニに行ってくる」と出掛けて以来、9時間近く帰って来ない。

 間違いなく私に対してやましさを感じるようなどこかに出掛けている。

 握手会で暴言を吐いてめいりんを泣かせて以来、お兄ちゃんはめいりん現場を出禁できんとなっているはずだが、一体どこをほっつき歩いているのか。


 お兄ちゃんのスケジュールをすべて把握するのは妹の義務だが、今日に関してはお兄ちゃんを探索しに行くわけにはいかない。


 

 「一目惚れから始まる恋」。

 説明書きによれば、この薬を飲まされた者は、その後初めて見た者に対して情熱的な恋に落ちる。

 この「情熱的な恋」というのがミソだ。燃え上がるような恋の前では、「素直になることから始まる恋」のときのように、「エッチしたいけどしたくない」とかいう偏理屈へりくつは通用しない。理性が吹き飛び、獣のように私の身体をむさぼるはずだ。月に一度の臨戦態勢の私の身体を。

 

 この薬において気を付けるべきは、薬を飲んだお兄ちゃんが最初の目に映る相手は必ず私でなければいけないということだ。

 何かの間違いでお兄ちゃんが最初に見る女性が私でない別の女性だった場合には、お兄ちゃんがその別の女性に一目惚れしてしまう。私の大切なお兄ちゃんが別の女性に奪われてしまう。それを回避するために、薬を飲ませるのは誰にも邪魔されないここ-自宅でなければならない。




 明日の朝食の下ごしらえをしようと思い、ダイニングキッチンのある1階に降りると、そこにはすでにお兄ちゃんがいて、食卓のキーマカレーのお皿は米粒一つ残さず空になっていた。


 「お兄ちゃん、いつの間に!足音消してたでしょ!?」

 「クーラーをガンガンに付けてたから足音が聞こえなかったんじゃないか?というか、前作でも同じツッコミをしたけど、真白はなんで俺の帰りを足音で察知できるんだ?犬なのか?」


 その刹那せつな、お兄ちゃんと目が合った。ついに始まる。身も心も焦がすような熱い夜が。



 「お兄ちゃん、人のことを犬扱いしないでよね!それから、勝手に夕飯を食べちゃうのもやめて!一緒に食べようよ!家庭内別居みたいで嫌でしょ!それと、ちょっとコンビニに行ってくるとか言って、全然帰って来ないのはどういうこと!?お兄ちゃんには妹にも言えないようなやましいことでもあるの!?一体どこに行ってたの!?女の子のいるお店とかだったら承知しないからね!!」


 あれ?オカシイぞ?全部言い切れてしまったぞ?

 途中で「静かにしろ」と唇で唇をふさがれなかったぞ?壁ドンされてもいいようにジリジリと背後の壁の方に後退していったのに、お兄ちゃんは詰め寄って来ないぞ?普通に二人の距離が離れただけだぞ?



 「噂によると、真白、俺の匂いから俺の足取りも辿たどれるらしいな。もはや犬だろ。あと、家庭内別居っていうか、夫婦じゃないから同居義務はないからな。それと、なんで行く先をいちいち妹に伝えなきゃいけないんだ?真白は俺のマネージャーか!?…っていうか、女の子のいる店に行くわけないだろ!?俺は未成年だからな!!」

 「違う!私が求めてるのは、そんな一問一答形式の丁寧な受け答えじゃないの!!早く獣になってよ!!」

 「はあ!?……あ、分かったぞ!真白、もしやまた怪しげな薬を俺に飲ませたな!?カレーに混入してただろ!?どおりでいつもよりほろ苦いと思ってたぜ」

 「それは隠し味にコーヒーを入れたからなんだけど……」




 私はお兄ちゃんに「一目惚れから始まる恋」について説明した。お兄ちゃんは空のビンのラベルに書かれた説明をじっくり読んでいる。


 「真白、これってもしかして、初対面の相手にしか惚れないようになってるんじゃないか?ほら、説明書きをちゃんと読んでみろよ。『この媚薬を飲んだあなたの意中の人は、初対面・・・のあなたに一目惚れし、情熱的な恋に落ちます。ただし、意中の人が恋に落ちるのはこの薬を飲んでから初めて見た相手』。ほら、「初対面」って書いてあるだろ。俺と真白は16年以上前から顔を合わせてるから、初対面とは程遠いよな」

 「本当だ……」

 

 しまった。「情熱的な恋」という言葉に引っ張られて、他の部分をちゃんと読んでいなかった。不覚だった。


 「っていうか、真白、なかなか面倒なことをしてくれたな。この薬のせいで、俺は今から24時間外出できないじゃないか」

 「なんで?」

 「だって、今の俺は『この薬を飲んでから初めて見た相手』に一目惚れしちゃうんだろ。真白はノーカウントなんだから、誰か別の知らない女性を目に入れちゃったらマズいだろ」

 「たしかに……じゃあ、もうベッドインしちゃおうか。さっきのカレー、隠し味にスッポンの生き血も混ぜておいたんだ」

 「俺は一体何を食わされてたんだ!?どおりで身体が火照ほてってると思ったら……」

 



 初めて見た人に恋をする薬なんて、如何にも高橋留◯子のラブコメに出てきそうな設定だ。ただ、この作品はら◯ま1/2ではないので、巨大なお好み焼きのヘラを持った少女が突然窓を突き破って入ってくるようなことはないはずだ。夏休みなので明日も学校に行く必要はないし、お兄ちゃんは家に引きこもらせておけば安全だろう。




 「ピンポーン」というインターホンのチャイムと同時に、「宅配便でーす」という男性の声が聞こえた。ソファーに腰掛けていたお兄ちゃんがやにわに立ち上がる。


 「お、Amaz◯nで注文しておいためいりんのイメージDVDが届いたか」

 「え!?お兄ちゃん、現場出禁になったのに在宅ヲタク続けてるの!?っていうか、めいりんのイメージDVDって大丈夫なの!?単純所持でおなわにならない!?」

 「そんな過激なDVDじゃないから大丈夫だ。衣装はランドセルと体育着が主体。水着もスク水だけ。露出はほとんどない」

 たしかに法律の網はそれでくぐれているのかもしれないが、露出の多いセパレートタイプの水着よりもそちらの方がロリコンの性欲をいたずらに刺激せしめるのだから、やはり規制すべきだ。私はそう思った。



 「っていうか、ちょっと待ってお兄ちゃん!もしかしたら、お兄ちゃんが一目惚れする対象は異性とは限らないかもしれない!」


 まさに玄関に向かおうとしていたお兄ちゃんの足がピタッと止まる。


 「その可能性はありえるな。説明書きにも『この薬を飲んでから初めて見た相手・・』となっていて、『異性』という断りはどこにもない」

 「あ、でも、もしかしたらこの小説の読者には腐女子の人もいるかもしれないよ!一話ぐらいBL的展開のストーリーがあってもいいかもしれない!」

 「相手は宅配便のオッチャンだぞ!?……いや、オッチャンかどうかは見ないと分からないな。真白、俺の代わりに荷物を受け取って来てくれ。仮に配達員が中性的なイケメンだったら呼んでくれ。そのときは腐女子層のために一肌脱ごうじゃないか」



 私は外で配達員から小さなダンボールを受け取ると、それをグシャグシャに踏み潰し、庭の肥やしとした。



 「お兄ちゃん、ヒゲのガチムチ系の人だったよ。お兄ちゃんが一目惚れしちゃったら、そのまま両思いになっちゃいそうな感じ」

 「真白、それは分かったんだが、どうして手ぶらで帰ってきたんだ?めいりんのDVDはどうした?俺は今晩、スッポンで高められた欲情をどこで発散すればいいんだ?」




 「一目惚れから始まる恋」が空振りだったのは想定外だった。今晩ママに電話して文句を言っておこう。「7つの媚薬の中に全く使えない薬が混ざっていた」と。

 そして、私がせっかく考えた明日の朝食のメニューも台無しだ。

 とはいえ、せっかく買ったからには食さなきゃもったいない。


 「真白、どうしたんだ。またエプロンなんて着て。もしかして、デザートを用意してくれるのか?」

 だから、デザートならお兄ちゃんの目の前にいるじゃん。


 「違うよ。明日の朝ごはんのための下ごしらえ」

 「下ごしらえが必要な朝ごはんとはなかなかってるな」

 

 お兄ちゃんは流しを向いて立っている私に歩み寄ってきた。私が期待しているような後ろからギュッ、そのまま欲望のおもむくまま……という展開はなく、お兄ちゃんは私が手に持っていたトレーの食材を覗き込んだ。


 「アサリだよ。前日から塩水に漬けた状態で冷暗所れいあんしょに置いて砂抜きをしなきゃいけないんだよね。明日の朝のお味噌汁に使おうと思って。お兄ちゃん、知ってた?アサリってうなぎとかにも負けないくらいに精がつく食材なんだよ」


 お兄ちゃんは私の食材についての雑学を全く聞いていなかった。

 それどころではなかった、というか、お兄ちゃんにとってその食材はもはや材ではなかったのである。



 お兄ちゃんは私からトレーをさらい、その中から1個のアサリを取り出すと、自分の口に運んだ。


 「アサリを生で食べたらお腹を壊すよ!」

 という私の注意は無意味だった。

 なぜなら、お兄ちゃんはそれを食べず、ただそおっと接吻せっぷんしただけだったからである。

 


 「え?お兄ちゃん、何してるの……?」

 「この子に一目惚れした……」

 「一目惚れって、アサリに?」

 「ああ。だって、この子はただのアサリじゃないだろ。模様がとてもセクシーだ」

 「何言ってるの?どこからどう見てもただのアサリだよ?」

 「真白、嫉妬は見苦しいぞ」

 

 お兄ちゃんはアサリを抱きしめたまま、自室へと消えていった。

 

 

 たしかに「この薬を飲んでから初めて見た相手・・」という説明書きには、人間に限る、という絞りはないものの、まさか生物全般を含むとは思わなかった。しかも目も口も鼻もどこにあるのか分からない貝類まで含むだなんて。

 アサリに嫉妬していると思われたことは心外であるとはいえ、お兄ちゃんがアサリに一目惚れしてくれる分には私にとって何ら害はない。

 お兄ちゃんはどのようにアサリとメイク・ラブしているのだろうか。お兄ちゃんの部屋からは大音量の音楽が漏れ聞こえているが、私に聞かせたくないアサリのあえぎ声というのは一体どういうものなのだろうか。


 とりあえず、明日の朝、食卓にアサリの味噌汁が並んだときのお兄ちゃんの反応が楽しみである。


 「一目惚れから始まる恋」

 この媚薬を飲んだあなたの意中の人は、初対面のあなたに一目惚れし、情熱的な恋に落ちます。ただし、意中の人が恋に落ちるのはこの薬を飲んでから初めて見た相手。意中の人にキョロキョロさせないで、常にあなただけを眼中に入れておいて。大切な人をライバルに奪われないように。あなたの意中の人は、あなたの美貌に心を奪われ、そこから2人の恋は始まるでしょう。

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