KAMIKAZE
1940年12月6日 真珠湾
「母艦に打電!トラトラトラ我奇襲二成功セリ。」
信号弾が上がる。色は………赤か。奇襲に成功したんだな。
遂に日本はアメリカとの戦争に突入してしまった。
そう。あの眠れる巨人、アメリカとだ。
半年は暴れ回れるだろうが、それから先はわからない。
兎も角、自分はただ戦うのみだ。
俺の敵はアメリカでもイギリスでも無い。
戦闘機乗りは全て敵だ。
さて、前方に少しだけ迎撃の為に上がってきたアメリカの戦闘機がいる。
どうやって"料理"してやろうか。
1942年6月5日ミッドウェイー海域
さっきからどうも各空母の飛行甲板上が慌ただしい。陸上攻撃用爆弾に今さっきやっとこさ変え終わったと思ったら、今度は航空魚雷に変え始めた。
一体何がしたいのだろうか。魚雷に変えたと言う事はきっと敵さんを見つけたと言うことだろう。
見つけたならば、さっさと発艦を始めて少しでも速く相手を攻撃するべきでは無いか。
確かに轟沈迄は追い込めないかも知れないが、相手方の艦戦や艦爆、艦攻の発艦を遅らせることが出来るではないか。
………ん?何か海面すれすれを何かが…飛んでいる?
しまった!敵さんもこっちを見付けていたのか!畜生!しかも腹に抱えているのは明らかに航空魚雷!いかん!
俺の他に敵機に気付い空母直掩隊が敵機に集中する。
また一機、また一機と海面に堕ちて行く。
その時だった。
雲の中から何かが急に出て来たかと思うと、急降下で空母に何かを落としていった。
一瞬、その瞬間だけ全てがゆっくりに見えた。
ゆっくり、ゆくっりと甲高い音を立てながら爆弾が各空母の飛行甲板に堕ちて行く。
そして…着弾…
ドォォォォォォォォォォォン
物凄い音を立てとてつもない大爆発が起きる。
その爆発で置いてあった航空魚雷や陸上攻撃用爆弾に誘爆し、又新たな爆発を起こさせる。
それが、空母4隻で同時に起こる。
気付くと、俺は泣いていた。
仲の良い艦爆乗りの彼奴や、何時も丁寧に俺の戦闘機を整備してくれていた整備兵の人。
その人達の命がたった一瞬で。一瞬で消し去られた。
俺と仲の良かった艦爆乗りの彼奴は、いつも俺にまだ幼い息子の写真を見せて、自慢していたっけ。
この時、始めて自分はアメリカを恨んだ。
絶対に、復讐してやると誓った。
1945年8月10日沖縄のどこかの海上。
俺は中々頑張ったと思う。
数々の同胞達が死んでいく中で、よく生き残ったと思う。
次第に戦況は悪化して行き、遂に帝都まで爆撃されるようになってしまった。
軍部の人間は、遂に狂ったのか、十死零生の攻撃、所謂神風を行った。
こうして今自分も、とても重い爆弾を腹に抱えて海面すれすれを飛んでいる。
今思うと、ミッドウェイー海戦で空母達を雷撃しようと海面すれすれを飛んでいた艦攻の搭乗員は、非常に勇気のあるやつらだと思った。
ああ、敵空母が見えて来た。後ろや横を見ても、周りは敵艦しか見えない。まぁ、全員敵機に落ちされたのだから当たり前っちゃ当たり前だが。
対空砲火が物凄い。言葉に言い表せないほど物凄い。
彼方此方から弾が飛んでくる。
だが、俺の機体は海面から4mの所を飛んでいるので勿論当たりはしないが。
敵空母との距離が300mを切ったその時。
一斉に対空機銃弾が雨霰と降ってくる。
数発が当たったが、運良く弾き返した。
だが、段々と近付くにつれ次第に命中弾が多くなる。
もう、俺の機体は彼方此方に穴が開いてボロボロだったが、発動機と燃料タンクがやられていなかったのでまだ飛べていた。
だが、敵空母との距離がもう100mしかないと言った時、遂に最も恐れていたことが起きた。そう。燃料タンクに被弾したのだ。
一瞬で飛行機が燃え上がる。物凄く熱い。だが、まだ…まだ飛べる。
そして、遂に空母との距離が10mとなった。
突然、周りの景色がとてもゆっくりになった。
すると、頭の中に小さい頃の記憶が鮮やかに蘇る。
嗚呼、此れが走馬灯か。
敵空母との距離残り2m。
敵兵の恐怖に歪んだ顔が良く見える。
最後に、俺はこう言いたい。
母さん、親孝行出来なくて、ごめんな。と。
土井 涼介、米空母に特攻を敢行し、死亡。
どうでしたでしょうか。
感想等、お待ちしています。