Last Jump
八月三日、午前十時。
うだるような暑さの中、校舎の端のコンピュータルームで、飛翔はパソコンと睨み合いを続けていた。表示されているのは、同じ高校の文化部のチラシだ。八月末に控えた文化祭に向けて、コンピューター部で分担して全ての部活のチラシを作ることになり、その一枚を任されていた。
「あとどれくらい?」
「三十分もすれば終わる」
そう、と傍らで携帯を弄っている深雪は椅子の背もたれに顎を乗せる。
「終わったら、先輩に提出だっけ」
「ああ」
「分かった。じゃあちょっと図書室に行ってるね」
「悪いな、付き合わせて」
「ううん」
深雪はひらひらと手を振ってコンピューター室を出て行く。飛翔は溜息を吐いた。
深雪の足音が遠ざかるのを待ってから、飛翔は、何度作ったか分からないポスターを完成させる。USBをしっかり鞄にしまい、壁の時計を見上げた。
大丈夫、と自分に言い聞かせて飛翔は立ち上がる。
図書館で深雪と合流し、飛翔は昇降口へ向かった。靴箱を開けたところで、深雪が飛翔の袖を引いた。
「何だ?」
「飛翔君はさ」
ガラス戸の向こうは、眩しい日差しに照らされていた。それを背負って、深雪は眉根を寄せて笑う。
「タイムリープって知ってる?」
「……!」
深雪の言葉に、飛翔の心臓が強烈に痛んだ。
間違えてはいけない。飛翔は慎重に一度瞬きをして、深雪を見返した。
「知ってる」
「じゃあ」
「でも、あれは」
深雪の言葉を遮り、飛翔は深雪の肩を掴んだ。
「あれは、どこかの未来で、ここじゃない未来だ」
分岐点を飛び出して、それでも飛翔の中にはあの日々が残っていた。分岐点に至るまでの数日ほど気を張って生きてきた数日はないだろう。
「深雪も全部覚えてるのかもしれないけどさ。俺は、だんだん忘れていってるんだ」
逆光で薄暗い深雪の顔を直視できず、飛翔は視線を落とした。だが、大きく息を吸いながら顔を上げ、口元を笑わせた。
「でも、どんな時よりも今ここが、今この瞬間が、俺が勝ち取った時間なんだ」
深雪は、死が待っている未来を嫌って飛び降りた。どこかの世界の自分は、その事実を受け入れきれずに過去を目指した。
けれどその先は行き止まりの未来で。
「この世界なら、未来は決まってなんかないんだよ」
それが希望的観測であったとしても、正史に行き止まりがないと確かめるすべはない。だが事実、ループの日々で、全く同じ回は一度もなかった。
「未来は常に変化している。それを作るのが、俺達だ。……だからさ。だからさ、深雪」
深雪の肩から手を離し、飛翔は長く息を吐いた。
「俺はここで、生きていくつもりだよ。できればそこに、深雪がいてほしい。怖いなら俺は戦うから。守るから。……それくらいしか言えないけど」
深雪のまっすぐな視線に、飛翔は視線をまた落とす。深雪は目を閉じ、すっと背筋を伸ばした。
「未来って変わると思う?」
「ああ、変わると思う」
「……そ。じゃあ変えよっか」
深雪はポケットから、小さく折りたたんだ紙を取り出した。折りたたんだままのそれを、深雪は小さく破って握る。
「信じるよ、飛翔。私のために飛んでくれたもんね」
深雪はスニーカーを引っかけると、足早に昇降口から出て行った。紙を握った手を開くと、まるでそうと決まっていたかのように風が吹く。放り投げられた紙片は、あっという間に風に攫われていった。
「えっ」
ぱっと深雪が手を払い、紙片はすっかり飛び去った。深雪はくるりと振り返ると、陽光に目を細めて微笑んだ。
「何書いてたか知りたい?」
「あ、ああ」
「じゃ、駅まで競争。勝ったら教えてあげるよ」
深雪はスニーカーの踵に指を引っかけて、とんとん、と軽くつま先で地面を突いた。
「はやくおいでよ。置いて行っちゃうからね」
深雪が踵を返して、飛翔は慌てて靴を履く。昔から、かけっこで深雪に勝てたためしはない。
目が痛くなるほど眩しい日差しの中に、飛翔は駆け出していった。
(了)