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 正午の鐘が鳴る。十二回目を数えてから、飛翔は目を開いた。背中にひやりと、コンピューター室のドアの感触がある。

 携帯電話の画面に示された日付は、八月三日。外で待っているらしい深雪から、遅い、暑いと文句のメッセージが来ていた。

「……何だよ……何なんだよ……」

 手が震え、握った携帯電話も震える。明るい画面に、ぽたりと雫が落ちた。

「何で深雪が死ぬことが分岐点で……何で……何で俺は何もできねえんだよ……!」

 手首のリープ装置を握り、飛翔はずるずるとその場に座りこんだ。

 この分岐点で、深雪の死を防ぐ。そのために来ている楓のリーダーが自分ならば、自分は未来でも、深雪の死を悔いていることになる。そして過去の自分にリープ装置を託したのだ。

「……先輩!」

 乱暴に戸を開いて、飛翔はコンピューター室に入る。楓は、やや驚いたように飛翔を振り返った。

「どうしたの、そんな……泣いて……」

「飛んできたんです。先輩、俺もう、全部知ってます」

 涙を拭い、楓に近付く。楓は息を一つ吐き、暗幕の中から飛翔の鞄を取り出した。

「これも?」

「知ってますよ!」

「じゃあこれは?」

 差し出されたのは、ノートよりも一回り小さい、タブレットだった。

「……えっ?」

「私も、全ての記憶を保持しているわけじゃない。けど、きっと私はこう言ったと思う」

 タブレットの画面が明るくなり、そこに、見覚えのある服装の男が現れる。

「未来は常に変化しているわ」

 画面の中の男は、カメラの角度をしつこく調整したのち、やや離れた椅子に座った。カメラが下向きで、男の顔がほとんど写っていないのは、わざとだろうか。

『よう、泣き虫』

 勝気な低い声で、男が言う。

『俺は、ループに敗北した、つまり彼女を失った未来から、まだ彼女を失っていないお前に語り掛けている。何故そんなことができるかって? そりゃあ、お前がいるそこが分岐点だからとしか言えないな』

 歳は二十代半ばといったところか。

『さて、一つお前の勘違いを正しておこう。お前は、今何度目の八月三日にいる?』

 そう呼びかけられて、飛翔は首を捻る。タイムリープしてきた自分にとっては二十度目だ。この画面の向こうの男は、何度ループしたのだろうか。

『ああ、確か二十度目だった。……信じるな? ああ、信じるだろうさ。もう一度言う。俺は、ループに敗北した未来にいる。お前が体験している今も、記憶の中だけの十九回の彼女の死も、何一つ、無かった未来じゃない。全てがあった上で敗北した未来がここだ。お前は、もうすでに偽史の中にいるんだ』

 つう、と飛翔の顎を汗が伝う。

 深雪の死の先にあるのが、偽史ではなく。まさに今自分がいるここが偽史であり、自分のループが、偽史の中にある。

 ふ、と飛翔は息を吐いた。確かに今、ここが偽史なのだと言われても、深雪の死を見過ごそうなどとは露ほども思わない。

『蒼雲飛翔、お前がいるからこの偽史はあり、俺がいる』

 画面の向こうの男が、椅子から立ち上がった。キャスター付きの椅子は、ゆっくりと男から離れていく。

『お前は目撃者だ。そしてその分岐点からの逃亡者だ。分岐点の外へ、ループの、偽史の記憶を持って行け!』

 タブレットを支える飛翔の手首で、銀色の輪がぎらりと光った。



 待っていた深雪に、遅い、と文句を言われて飛翔は頬を掻く。

「あれ? その手の……そんなのしてたっけ?」

「ああ、先輩にもらったんだ。肩こり防止だってさ」

「確かに、飛翔君猫背だもんね」

 通学路を並んで歩きながら、飛翔はぎゅっと手首の装置を握る。深雪と別れたら、即座にタイムリープする。そうすれば自分の意識は、分岐点の外、八月三日よりも前に行く。

 未来の自分の行動は、今の自分には想像できない。だが、いつかの未来、今の自分を思い返すこともあるのだろう。臨界点という絶対の終わりを持った世界で、長かった四日間を振り返り、そこが分岐点だと知る日まで。

「飛翔君」

 くい、と袖を引かれて、飛翔は足を止める。下り坂、ガードレールと緑のフェンスの向こうの街を見下ろして、深雪は足を止めていた。

「前も、それ、先輩にもらったって言ってたね」

 深雪はフェンスに手をかける。え、と飛翔がつぶやくと、深雪は振り返って微笑んだ。

「知ってる? 世界にはさ、世界に選ばれた人間がいるってこと」

 深雪は、鞄から一冊のノートを取り出した。橙色のそれは、どこにでもあるような大学ノートだ。

「時空移動に耐性を持つ、時の放浪者」

 だが。開かれたノートの中身に、飛翔は見覚えがあった。理解できないのは、そのノートが、八月三日現在、深雪の手にあるということだ。

「……深雪、まさか」

 飛翔は理解する。だから、自分はループに敗北したのだ。

 随分前に、タイムリープの理論を教えてもらって、ノートにメモをした。図書館で勉強していた時に、深雪がそのノートを見ていたら?

 そして深雪がループに耐性を持ち、自分が繰り返し死ぬ記憶を保持していたら?

 はじめは悪夢だと思うだろう。だがいずれループを自覚し、苦痛の記憶は積み重なっていく。

 仮定に過ぎない。仮定に過ぎないが。何度も変わった未来で、タイムトラベル理論を初めに唱えた人物は、きっと。

「……全部……」

 そして、タイムトラベルの理論を確立させた理由は、きっと。

「飛翔君、もう助けなくていいよ」

 冴えた青空と白い街並みを振り返って、深雪はフェンスをつかむ。

「私、もう……死にたくないんだ」

 フェンスは、驚くほどあっさりと向こう側へ倒れた。ガードレールを踏みつけて、深雪は、錆びたフェンスの支柱を蹴る。

 飛翔は、目の前で空へ飛ぶその姿を、見ていることしかできなかった。


「飛翔!」


 低い声が耳朶を打つ。ぱん、と弾かれるように、飛翔の足が地面を蹴った。鞄を投げ捨て、低いガードレールを飛び越えて、折れ曲がったフェンスの上を走る。二歩で踏み切れば、深雪の体はすぐそこにあった。

 飛べ。

 熱くなる手首の装置が、光を反射した。飛翔は、深雪へと手を伸ばす。足が地面につかず、さっと開けた視界が、底冷えするような恐怖を抱かせる。

 それでも、深雪はこの恐怖を選んだ。不可避の死を、今ここで選択した。その心うちは、自分が推し量っていいものなのか。

 知るか、と刹那の迷いを噛み殺して、飛翔は深雪の手を掴んだ。

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