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 両手で楓の胸ぐらをつかみ、飛翔は俯いた。

「知ってること全部話してください」

 八月三日。いまだ目の裏から消えない遺体の幻影に顔を青ざめながら、飛翔は楓の体を窓に押し付けた。

「俺は何回、目の前で深雪が死ぬのを見ればいいんですか」

 手に力が入って、楓が呻く。飛翔はその声ではっとして手を離した。

「深雪が死ぬのが陰謀だって言ってましたよね。あなたは何を知ってるんですか」

 自分より背が高い男子に胸元をつかまれていたというのに、楓は眉一つ動かしていない。しわになった制服の胸元を直して、ふうと短く息を吐く。それにまた心がざわついて、飛翔はこぶしを握った。

「やっぱり、無茶よね」

 楓の言葉の意味が分からず、飛翔は眉根を寄せる。楓はコンピューター室の後方、暗幕がわだかまっている場所へ足を向けた。暗幕をさっと引くと、そこに小さなカバンが置いてある。見覚えのあるカバンに、飛翔は首をひねった。

「未来は常に変化しているわ」

 楓が持ってきたカバンに、飛翔は目を見開く。

「だけど、分岐点を変更するのは、国の首相を暗殺するに等しい難しさがある」

 楓が持っているのは、ややくたびれているが、紛れもなく飛翔のカバンであった。楓はそこから、薄い橙色の、くたびれたノートを取り出す。

「俺のノート……?」

「それでも、やらなきゃいけないって決意している相手は怖いわ」

 ぱさりと開いて見せられたのは、ノートの一ページだ。

「分岐した未来は可能性、イフの世界線となる。正しい道じゃないから綻びがあり、その綻びがタイムトラベルの隙間となる……私はそこから来た」

 ノートには、飛翔の字でびっしりと、メモ書きがされていた。



 一定の強さで、エアコンが冷気を吐き出す。遠くのはずの校庭から、運動部の声がはっきりと聞こえてきた。

 一つ離れた椅子で、楓は黙って、飛翔が顔を上げるのを待っていた。

「……敵の狙いは何なんだ?」

 膝の上にノートを置いて、飛翔はゆっくりと顔を上げる。どろりと濁った瞳に、楓は一瞬顔をゆがめた。

「ここに書いてあることが……分岐点とか、世界の書き換えとか、パラレルワールドとか、臨界点とか……正直半分も分かんねえけど、これが本当だとしたら、敵は三日後に深雪が死ななきゃ困るんだろ?」

「ええ」

「その目的は何なんだよ!」

 飛翔のこぶしが机を殴った。楓は一度長い瞬きをする。

「私達の世界では、世界は大きく二つの歴史を持っている」

 楓は、指を二本立てた手を突き出した。

「まずは、そのノートの直線……干渉を受けず、あるがままに進んだ歴史。正史。なぜこれが正史と認められるかは、長くなるから割愛するわ。それと、過去干渉によって分岐した偽史(ぎし)。本来存在してはいけない、歯車が狂ったイフの世界……タイムトラベルの技術の応用で、人は、世界の外側があることを知った。時空のゆがみだとか、スキマ、人が干渉しえなかった、認知できない空間。その外側には時間の概念がない。それを利用して、過去の正確な観測が可能になった。そして、過去に歴史の分岐点を発見した」

「観測?」

「事実をデータ化すること。例えば、今ここで私達が話していることは、私達の記憶にしか残らないでしょう?」

「はい」

 楓は、足の先で床をつついた。

「けど、世界……もっと狭く言えば、場所の記憶、というものにも残っているの。それが、世界の外側から観測できる、過去」

「……ふうん?」

「見せた方が速いのかも知れないけれど、見せられないから、ごめんね。前に、世界の時間と個人の時間の話をしたと思うけれど」

「……えっ?」

 楓は足を組み、頬杖をついた。とんとん、と中指で頬を叩き、眉間にしわを寄せる。飛翔は首を捻ったが、楓は長い瞬きを一つ、意を決したように口を開いた。

「……ごめん。うん。私もリープしたの。あなたより前にね」

「……でも」

「過去干渉、ね。もう分かってると思うけど、私未来から来たの。私が何とかできると思った。……けど、私が過去を変えたら、私はここにいない。だから、私は変えることができなかった」

 楓は立ち上がり、ホワイトボードの前に立つ。

「だから、あなたにお願いしたの」

「……えっとぉ……ちょっと整理していいですか?」

「ええ。手伝うわ」

「このノートを信じるなら、世界の正しい歴史は一本道なんですよね?」

「ええ」

 楓は、黒いペンで水平の線を書く。

「で、ええと……たまに、過去に歴史の分岐点があると。その分岐点って、何なんですか?」

「歴史の分岐点。漫画なんかで見たことがない? もし、織田信長が死んでいなかったらとか、もし第三次世界大戦があったらとか。そういう『もしも』の分岐点のこと。正史から分岐した偽史の基礎であり、偽史を偽史にしている時間」

 黒い直線に、緑の点が不規則に追加された。

「……ふぅん……?」

「さっきも言った通り、世界という大きなシステムがあるとしたら、分岐点はバグなの。大小さまざまな歯車が組み合わさってできた複雑で巨大な時計、その針がたまに止まったり戻ったりするような」

「とにかく、過去に何回か、そういう……未来が変わる可能性がある時間がある、ってこと……なん、ですね?」

「ええ、その理解で問題ないわ」

 飛翔はがりがりと頭を掻いた。ノートに書いてあるのは確かに自分の字だが、いつの自分が書いたノートなのかも定かではない。もし未来の自分だとすると、自分は案外頭がいいのだろうか。

「で、偽史っていうのは、その分岐点から分かれてー……実在する?」

「……実在しているとも言えるし、無いとも言える。分岐した先は互いに観測領域外の別世界だから、正史の中で言えば偽史は『ない』し、私達偽史の人間からすれば自分達の世界も歴史も『ある』」

 楓は肩を竦めてみせた。

「そういうものなの。イエスノーで分けられればいいのだけど、こればっかりはね」

「……じゃ、臨界点って?」

 楓は赤のペンを取り、緑の点から分岐し、正史と並行する線を引いた。

「この赤いのが偽史。正史がどこまで進むか知らないけれど、偽史には、限界がある」

 楓は赤い線の先に、バツ印を書いた。

「……そこまで、分かってる……ん、ですか?」

「私が来た世界はね。さっき言った通り、タイムトラベルの理論の応用で、人が見える領域が広がってるの。そして、自分達の歴史が正しくないと知った。バグから生まれた可能性、歯車が狂ったまま進み続けた、行き止まりの世界。……そう分かっているから、過去の分岐点に手を出すことにした。あなたが聞きたい、敵の目的よ」

 ペンにキャップを被せ、楓は指先でペンを回す。

「今日から六日までの四日間。それが、私達の世界に繋がる分岐点。『もし白羽深雪が死んだら』という仮定を、過去干渉で事実に書き換えようとしている。それが成功すれば、私達の世界は、偽史から正史になる。……と、相手は考えている」

「じゃあ、深雪を殺す目的は……臨界点を迎えないため……」

「きっとね」

 ふ、と楓は微笑んだ。

「私も全部が分かっているわけじゃないの。未来から来た人間が過去に干渉できる限界とか、そのあたりは、ループを繰り返すうちにようやく分かってきたことだから」

「……何回、ループを?」

「秘密」

 楓は唇の前に指を立てる。飛翔は眉根を寄せて顔をしかめた。

 ノートを閉じ、飛翔は両手の指先を合わせて目を閉じる。 ゆっくりと息を吸って吐くと、心臓の鼓動が穏やかになっていくのが分かった。

「正史に、タイムトラベルは無い……」

「ええ。……きっとね。理論はあっても実現できない。偽史だからこそ、時間の概念がない領域外への渡航、逆光ができる」

「……先輩、これは、世界の話とか以前の疑問ですけど」

 飛翔は目を開く。視界に映る楓は、制服のスカートを両手で握りしめていた。

「……敵の目的は、何となく……理解できます。世界が終わるって分かってて、それを防ぐ方法があるなら、俺だって何とかしたいって思う」

 世界が終わる日が来るなど、誰も想像だにしないで生きている。戦争、自然災害などは想像できるし、その先を描いた小説や漫画も少なくない。だが、世界そのものが終わるということは、抵抗すらできない、存在の喪失だ。まして偽史は、正史にとっては『ない』ものであり、目の前に生きて、立っている楓すら、はじめからいなかったかのように消失する。

 それがどれだけ恐ろしいことか。

「先輩はどうして、ここにいるんですか」

 楓が言っていた陰謀というのは、つまりは、偽史による正史の乗っ取りだ。それを防ごうとする楓の行為は、偽史の臨界点を許容する、そして自らのいずれの消失を肯定する行為にほかならない。

「……分かんない?」

「……分かんないです」

「これね」

 楓は飛翔に近付き、机の上のノートに手を触れた。

「うちのリーダーの私物なの」



 八月六日。正午の鐘が鳴る直前に図書館へ行くと、既に深雪がそこに倒れていた。

「深雪!」

 何度目か分からない叫びを吐き出して、飛翔は図書館に駆け込む。が、ゆらり、と本棚の奥から影が出て、飛翔は足を止めた。

「……誰だ」

 声が剣呑になる。パーカーのフードを目深にかぶったその人影は、手に、銀色のナイフを持っていた。腹部はぞっとするほどの量の血で汚れている。

「……あいつ、」

 ざわ、と背中が粟立つ。恐怖と怒りが入り混じり、飛翔はほとんど無意識に拳を握っていた。

 初めて、姿を見せた。あれが、深雪を殺しに来ている、未来からの『敵』だろう。

「てめぇっ……よくも……」

 じり、と足を前に出す。ポケットを探ると、捨てようと思っていたボールペンが出てきた。芯を出して握りしめたボールペンを、体の前に構える。

「うわぁあああああああああああああああああああああああっ!」

 恐怖を振り払うように叫んで、飛翔はその人影に向かって駆け出した。

「蒼雲君!」

 がん、と乱暴にドアを開く音が、背後で響いた。

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