Jump 4
八月三日、午前十二時過ぎ。
「人が死なない未来って、俺にも作れますか」
今しがた別れたばかりの楓に、飛翔は唐突にそう言った。
「……飛んできたの?」
「えっ……あ、ああ、はい」
「そ。もしそれが初めてじゃないのなら、前の私もこう言ったんじゃないかしら。『あなたは今の人間。今の人間が今を変えることに、何か問題があるというのかしら』。あなたが変えるのは、未来じゃなくて、今でしょう?」
「……、」
楓の言葉で、少しだけ肩が軽くなる。
「明後日、ちょっと相談したいことがあるんですけど」
「五日? いいわよ。ここにいる」
「……ありがとうございます」
飛翔は頭を下げて踵を返した。
時計の秒針が一周する。ただそれだけで息が詰まりそうだった。
「先輩って、本当は、」
切り出した飛翔に、楓がすっと視線を向けた。
「何?」
「……先輩って、俺のこと、覚えてるんじゃないですか」
二つ離れた椅子で、楓は足を組んで頬杖をついた。
「そりゃ、たった二日で後輩の顔を忘れたりしないわ」
「そうじゃなくって」
手首の装置を握って、飛翔は意を決して言った。
「俺は、タイムリープの記憶を持ってます。でも、本当は先輩も、俺が未来から飛んできたって最初から知ってて……深雪が死ぬのを知ってて、俺にリープ装置を渡したんじゃないっすか?」
開けた窓から入った風が、カーテンを揺らした。楓が口を開くと同時に、教会の鐘が鳴り始める。
「明日のこの鐘が鳴り終わったら」
「深雪は死ぬんですよね知ってるんですよ!」
「いいえ」
三つ目の鐘が鳴る。
「明日、この鐘が鳴り終わって」
四つ目の鐘が鳴る。
「それでもあなたが飛ばなければ」
五つ目の鐘が鳴る。
「……彼女が死ななければ」
六つ目の鐘が鳴る。
「ようやく……」
七つ目の鐘が鳴る。
そこで楓は俯いて、ぐっと指先でこめかみを押した。八つ目の鐘が鳴る。
「……先輩?」
「私達は囚人よ」
九つ目の鐘が鳴る。
「彼女を救わなければ、永遠に明日が来ない」
十回目の鐘が鳴る。
「でも、私じゃ何もできない」
十一回目の鐘が鳴る。
「蒼雲君、彼女が死ぬのは決して偶然でも運命でもないわ」
十二回目の鐘が鳴った。
「陰謀よ」
手が痛いという深雪の文句も聞かずに、飛翔は駅前の人込みを歩いていた。
もし次のループがあるのならば、今度こそ楓を問い詰めよう。深雪が死ぬのが陰謀だなんて、そんな理不尽で唐突なことがあってたまるものか。学校の図書館で死ぬのならば、遠くに逃げてしまえばいい。
助けられるのが自分だけだというのならば、心が動いている限り、逃げてやる。
「ねえ!」
両手で手をつかまれて、ようやく飛翔は深雪を振り返った。
「どうしたの? 怖いよ……」
自分を見上げて震えている深雪に、飛翔はぐっと喉が詰まった。今、自分はどんな顔をしているのだろうか。
血の通っている上気した頬が、潤んだ瞳が、汗ばんだ首筋が、命を失って乾いてゆく夢を見た。手のひらから落ちていく血の雫に、自分の涙が混ざって吐き気がする。そんな悪夢に振り回されて、無いはずの未来だと自分を落ち着けた。
今目の前に、深雪は生きているのだから。
「……ごめん。ちょっと、焦ってたみたいだ」
「何にそんなに? まだ十一時じゃん。そんなに宿題やばいの?」
そうじゃないけどさ、と無理やりに顔を笑わせた。
警察車両が封鎖した道の先で、握ったままの手の先を見ていた。足を動かして飛べと自分に叫んで、それでも、手を離せずに飛翔はうずくまっていた。
「……彼女が何をしたっていうんだ」
張り付いていた手のひらをはがす。
「許さない」
飛翔は呻いて、拳を握った。