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オスカーを連れて行った村はそこそこ大きくて、小さいながらも神殿があった。常駐の神官もいて、闇の信者のところから逃げてきたオスカーを快く受け入れてくれた。
「あの、本当に助けて貰えませんか?」
なおもオスカーは懇願した。
スピカが断ろうとする前に神官が割り込んだ。
「無理を言いなさるな。闇の信者は憎むべき存在であるが、少女一人が挑んでどうこうなるものでもないでしょう。神殿騎士の派遣を要請するので、ここはひとまず待ちましょう」
「そんなっ!」
オスカーは納得が行かないようだった。
そもそも無茶な話である。たまたま出会った人に闇の信者を倒してもらおうなんて。そりゃ正義を成せないのは心苦しいが、人間限界というものがある。神官にたしなめられて、ようやくオスカーは悔しそうに身を引いた。
「それでは彼をよろしくお願いします」
「あなたもここに泊まっていかれてはどうですか? 部屋もありますし……」
引き止める神官にスピカは首を振り、神殿を後にした。
今から神殿騎士を呼んでも、きっと二週間以上かかるだろう。
その間に捕らえられている人たちが助かるとはとても思えない。
スピカは再び森に戻ると、辺りに誰もいないことを確かめて、着替え始めた。
アイテムボックスにしまい込まれていた装備を取り出す。
体のラインが分からない銀色の鎧に篭手、そしてブーツを履く。そして最後に通称バケツと呼ばれる兜で頭部をすっぽり覆って、銀鎧の全身装備となる。さらに装備していたショートソードをしまってクレイモアを取りだした。これでどこからどう見てもスピカと分かるまい。そしてこの装備に手早く俊敏性を上げるスキルを付与して、軽くその辺のモンスターを狩って体に慣らす。
まぁ、いいだろう。
この装備には所属を示す紋章などを刻むことができる。
アルシュティナーの紋章を刻むのなら、アルシュティナー家の紋章を製造でつければいい。だが今は何もしていないので、まっさらである。これでいい。どこの誰とも分からなければ、それでいい。
そうして、オスカーが来た方をひたすら進んでゆくと、苔むした石造りの遺跡が現れた。
これね。
遺跡の名前は「ロドネス遺跡」。セイサガにも出てこなかった遺跡だ。
周辺のモンスターのレベルを考えても、今のスピカなら余裕で踏破できる。そう確信して遺跡に足を踏み入れた。
そもそも自らの領内に遺跡が見つかったなら、どうするかはその領主に判断が委ねられる。と、いうのも維持するにも調査するにも、支払はすべて領主持ちだからだ。財政に余裕があるならやってもいいし、とても手が出せないというのなら放置する。
スピカはそう母から教わった。
そんなに広くなさそうね。
この銀鎧装備をつけてから、スピカは一言も発していない。
体のラインが分からなければ、背の低い男とも、少年とも見える。ならばあえてそう勘違いされるように声を発することをやめた。
さて、闇の信者を探すついでに、この遺跡を探索してしまう。
出てくるモンスターもそんなに強くなかったし、宝箱からしか手に入らないアイテムもある。それにこの遺跡にも採取ポイントがある。モンスターのレベルからしてあまりいいものが手に入らなかったが、地図にはきちんと記載された。
そうこうしているうちに、外はすっかり日が沈み、今日は月が昇らないから静かな夜が訪れた。
だいたいこういうのって、一番奥に何かあるんだよね。
そう考えていたので、遺跡の奥のほうは調べていない。だから地図で見てもそこだけはまだ黒塗りだった。
そしてその方を目指して歩いていたときである。
むん、と嫌なにおいが鼻に届く。
強力なモンスター避けであり、見ると松明を持った人々がその香りを纏いながら遺跡の奥のほうへ歩いていくのが見えた。
皆一様に黒いローブを被り、ぼそぼそと呪詛を呟いている。
世界を呪うその言葉こそ、闇の信者においての祈りである。彼らはナメクジのようにのろのろ、ぞろぞろと遺跡の奥を目指し、やがてスピカが進むのをやめた扉の向こうへと消えていく。
やはりあそこが闇の信者たちの集会場か。
鎧の音に気をつけながら闇の信者たちの後を追い、扉をくぐった。
扉の向こうはそれはもう見事な闇の聖堂が広がっていた。
闇の女王の石像に闇の紋章のタペストリー。世界の忌まわしい記憶を描いたステンドグラスが並び、どうやらここの信者たちは長いこと闇を信仰していたことが分かる。一日二日ではない。十年近い歴史があるはずだ。
このすぐ近くのアルシュティナーには元聖女がいるというのに堂々としたものである。
闇の信者たちは世界を憎んでいる。そして、世界を滅ぼすことを至上の目的とし、すべての破滅が救済だと考えていた。そして女神の教えに背くことはもちろん、人の道に外れることも彼らは好んで行う。そうすれば自らの闇を深めることができるからだ。
そして闇を深めるよい方法として、無垢なる者を無残に殺すことというのがある。
だから、闇の信者による子どもの誘拐も後が絶たなかった。
聖堂の奥、天井から大きな鳥かごのような檻が吊るされていた。
その中にはぐったりとした様子の小さな人影。どうやら今日はあの子が生贄らしい。
信者の中の一人が前に出て、まるでパフォーマーのように長い剣を振り回す。信者たちは彼に奇妙な喝采を送り、前の一人が人々を大振りで手招いた。すると信者たちは呪詛を口々に唱えながら槍や剣を手にし、檻に群がった。
まずい。
スピカは咄嗟にアイテムボックスから魔法のスクロールを取り出して使った。
檻の中のぐったりとした子どもを魔法の防壁が取り囲み、突き出された剣や槍を弾いた。
「何ですと……?」
信者たちはどよめき、スピカは高らかに足音を響かせて彼らの前に姿を現した。
「ほう、騎士ですか」
一番初めに剣を持ち、皆を手招いた信者が嘲うように言った。こちらが一人なので侮っているようだ。それだけでなく、身に着けている装備もまだ真新しい。使い込まれているとは言えない代物で、こちらは小柄なのもあるだろう。
スピカはクレイモアを構える間にアイテム・インスペクトレンズを使って、信者たち全員のステータスを確認した。
このアイテムは一度使えばその場にいる全員のステータスを確認できる。
敵の名前は全員闇の信者。いや一人だけ闇の司祭がいる。それもあの、先に前に立って、こちらを見て嘲ったあいつだ。そうか、奴は司祭だったのか。そして彼だけレベルが20と高い。確かに20ならそこそこ強いほうだ。余裕ぶった態度もよく分かる。
そして他の闇の信者たちはAからZまで、さらに1から10まで番号をふられたものがいる。と、言うことは36人いるということか。なかなか多い。
闇の司祭が手にした剣の先をスピカに向ける。
「生贄が一人増えただけです。さぁ、我らの女王に彼の者の血を!」
信者たちは雄たけびを上げながらわっとスピカに押し寄せた。だが数が多くてもスピカのレベルは現在72。レベルだけならセイサガでラスボスに挑める程だ。対してあちらは高くて20。さらに平均10程度の雑魚に負けるはずがない。
スピカがクレイモアを一振りしただけで5人を纏めて斬った。闇の信者はその身と心を闇に落とした瞬間、すべてが闇と化す。だから死ぬとすべてが黒いもやへと変わってしまうのだ。そしてその黒い靄こそ闇である。
5分も経たぬ内に信者はすべて闇と化し、スピカはクレイモアを床に突きつけた。そしてバケツ兜の細長いのぞき穴を闇の司祭に向ける。
「な、何と言うことを……!」
闇の信者が自ら闇に落ちることもあるが、一番多いのは闇の司祭に煽られて、闇に落ちてしまうことだった。
闇の司祭は闇の女王に愛を示すためにより多くの者を闇に落とそうとする。
こいつがいると更なる闇の信者を生んでしまう。斬ってしまおう。
クレイモアにもたれかからせていた体を起こし、そのまま一思いに一閃してしまおう。そう思った瞬間だ。
「“黒き移り身”」
闇の司祭は魔法を使って忽然と姿を消してしまったのだ。
辺りを見回してもその姿はない。逃げられたのだ。
まぁ、それならそれでいいだろう。
スピカはクレイモアを納め、吊るされた檻の元へと向かう。10歳くらいのやせ細った少女がうつろな目をこちらに向けた。
スピカはさっと回復魔法をかけてやり、檻の鍵が見つからなかったので、檻の端を切って彼女を取り出した。
「あっ、っ、おう」
どうやら喉が渇いているらしく、うまく喋れないようだった。
アイテムボックスから井戸から汲んだ水を取り出し、彼女に手渡す。
そして、お腹を空かせているようでもあったので、鶏肉のスープを手早く作って彼女に差し出した。
「ありがとうごじゃいます」
ちょっと噛んだ。
スピカは一言も発せず、気にするなとバケツ兜を左右に大きく振った。
「まだ、捕まっている人がいるんです」
と、少女がいい、さらに奥に案内した。そこには大きな牢屋があって、少女と同じようにぐったりとした子どもが5人もいた。それぞれに少女と同じようにしてやり、ふと全員が全員、ぼろ布のような服を着ていることに気付き、これまたアイテムボックスの中からただの布の服を取り出し、彼らに着させた。
「そんなっ、何から何までありがとうございます!」
少女は目を潤ませ、何度も何度もお礼を言った。
またもスピカはバケツ兜を振って、ふと視界に入った宝箱を確かめた。
ダンジョンの最深部には金色の宝箱がある。その豪華な見た目同様、中身も豪華である。ダンジョン探索の醍醐味でもある。
金宝箱の中身を回収すると、少女と牢屋の中に入っていた5人を引き連れて闇の聖堂を後にした。もう、ここには用はない。
今回は同行者がいるから、モンスター除けのアイテムを使う。闇の信者たちが使っていたような強力なものではないけれど、十分だった。
そして遺跡の入り口を出たときだった。
「エスター!」
森の中から村の神殿に託したはずのオスカーが現れたのである。
「お兄ちゃん!」
吊るされた檻の中にいた少女エスターは兄オスカーに駆け寄った。
「良かった。無事だったんだな?」
「うん。騎士様に助けて貰ったの」
「騎士様?」
オスカーが見ると、そこには騎士はいなかった。
と、いうのも、咄嗟にスピカはアイテム・カメレオンのうろこを使って姿を見えなくしていたのだ。
「あれ、騎士様……?」
呆然とするエスター。
彼女には悪いが、スピカはここで消えることにする。オスカーには助けないと言ってしまった手前もあるし、彼はスピカの家名まで知っている。アルシュティナー家の令嬢が闇の信者狩りをしているなんて広まれば、人々はその勇気を称えるだろうが、闇の信者からは恨みや反感を買う。どこの誰が闇の信者かなんて分からないので、いきなり後ろから刺されるなんてごめんである。
それにオスカーの後ろには村の神殿の神官がいて、アイテムでステータスを見てみたら彼のレベルは25とちょっと高かった。彼がいるなら子ども7人村に連れ帰るのも苦ではないだろう。
あとは彼に任せてスピカはほとぼりが冷めるまでおとなしくしていることにした。