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オドの町の神殿では避難した町の人たちすべてを収容することができなかったようだ。神殿の周りには町の人々がうろついていた。彼らがスピカとアースレイの姿を見つけると、ワッと歓声が上がった。
「神官様が戻られたぞ!」
人々はスピカたちの元に駆け寄った。
まぁ、スピカはおまけで、彼らの目的は神官アースレイ。ちょっと気が引けることがあるので、スピカは大人しくしていて、この場はアースレイに任せることにした。
「神官様、ファントムは……」
結果は分かっていて、でもやっぱり神官の口から聞きたい町の人が尋ねた。
「ご安心ください。無事に退治いたしました」
アースレイの言葉をかき消すような歓声が沸きあがる。
「ああ、ありがとうございます」
「ありがとうございます」
「神官様、このご恩は決して忘れません」
「女神様に感謝いたします」
町の人々は口々にお礼を、女神への祈りを口にした。
人々が喜びにわき上がる中、ポツリとその一言が零された。
「それにしても、誰がファントムなんか呼び出したんだ?」
スピカの表情が固まった。
それが最も恐れていたことだったからだ。
ファントムは闇の眷属。闇の信者が呼び出さなければ決して現れない。つまりこの町の人々の中に闇の信者がいる。
人々を包む空気が張り詰め、互いに顔を見合わせ始めた。よく知った人同士がお互いに疑い始めた。そして一度疑い始めるときりがない。
カンッと鋭い音が響き渡る。
人々の肩が跳ね、その音を放ったものを注目した。
神官アースレイ。杖を地面に突きつけ、ゆっくりと人々を見渡した。
「落ち着きなさい。みなさんが不安にかられること、それがファントムを呼び出した闇の信者の思う壺でしょう! 女神を信じなさい。みなさんが日々女神に忠実であったからこそ、ファントムが現れた今日、神官である私が居合わせ、彼女のように腕の立つ旅人が居合わせたのでしょう。女神はあなた方を今も見守っています。さぁ、隣人を疑うのはやめなさい。共に手を取り合い、女神を称えるのです」
人々ははっと息をのみ、アースレイの言葉を聞き込んでいた。そして彼らは口々に女神への祈り、賞賛した。
その様子を見ていたスピカは、ただ感心していた。
ファントム退治後の犯人探し、闇の信者探しをどうやって回避しようか。ずっと頭の片隅でひっかかっていた。最悪退治したら神殿に行かず、町を離れようかとまで考えていた。それは呪いを受けてしまったからできなくなったけど。
人々が平静を取り戻し、神殿を後にしてから、アースレイに話しかけた。
「すごい説得だったわ」
ファントム出現で滅びる町や村もあるが、ファントム退治後の闇の信者探しで滅びる町や村もある。ファントムは闇の信者にとって美味しいモンスターであるのだ。
「あれぐらい。大神殿の人たちもあれぐらい素直だったらいいんですけどね」
「え?」
「何でもありませんよ。ところで今日はどうしますか?」
「今日って?」
「まだ昼前でしょう? 町を発ちますか?」
「そういうことね」
スピカは少し考えて、かけられた呪いについて調べたいと言った。
「それなら今日はこの神殿にお世話になりましょう。ここにも小さくとも蔵書室ぐらいあるでしょう。解呪士はいないでしょうけれど」
「解呪士はホーリーセレスにしかいないの?」
「そういうわけじゃないですけど。大きな街じゃないとまずいませんね」
「なら、王都にもいるんじゃないの?」
「ええ、いるでしょう。ですが石化の呪いを解けるほどの腕かと聞かれると自信がありませんね。石化の呪いって、とても強力な呪いなんです。ですから、それだけ強い解呪士でないと解けないのですよ」
「それだけ強い解呪士ってのが、ホーリーセレスにしかいないって訳ね。面倒だわ」
「神殿の意向ですから、こればかりは……」
「いいわよ。行くって決めたから」
恐縮するアースレイにスピカは微笑んだ。そしてそのまま神殿の蔵書室に向かった。
石化の呪いは闇の呪いの中でもありきたりなものだった。ありきたりなものだからそれほど大きくないオドの神殿の蔵書室でも十分な情報を得られた。
アースレイの言った通り、受けて100日後に体が石になってしまう。99日目までは無事というわけだ。だから99日目までに解呪士の元へ行き、呪いを解いてもらえばいい。
解呪士への依頼は当然ながらご寄進が必要だ。相場を聞いてみると、とんでもないボッタクリ。財布がすっかり肥え太り、はちきれそうなスピカにとっては微々たる額だが、庶民だったら1年の稼ぎを丸々持っていかれる。
闇の信者もたいがいだけれど、それを利用している神殿側もなかなかである。
「大丈夫ですよ。私が口利きしますから」
アースレイがヘラヘラと笑い、手を軽く振った。
彼はどこかこの状況を楽しんでいるような気がした。
多分、彼はスピカを利用しようとしているのではないだろうか。先ほどのファントム戦、彼はレベルが上がった。今までも彼は十分強かった。しかしさらに強くなれるとしたら? 彼は上昇志向を持っていることは分かっている。きっと、彼がスピカに解呪士への口利きを申し出たのはレベル上げに使いたいからだろう。
それならそれで、スピカの方も彼を利用させて貰おう。
神官というのはそこにいるだけで便利なものなのだ。
神官の使いどころ。それは人がいるところすべてだ。
この世界において、神官というのは総じて位が高い。街道を歩けば巡回の王国騎士が必ず敬礼するし、農民は神官だからと無償で作物を分けてくれたりする。店に行けばまけてくれたり、店主が信仰心の厚い人なら御代など結構ですと申し出てくれる。町や村に宿が無くても神殿があればそこに泊まれるし、無くても町民や村民がぜひ我が家に泊まってくださいと言ってくれる。
何にしても、至れりつくせりなのだ。
「巡礼、そんなに大変でもなさそうね」
アースレイ曰く、巡礼は1年間と期間が決まっている。彼は丁度3ヵ月後ぐらいで1年になるそうだ。これも女神の計らいかと思うほど、スピカの石化の呪いのリミットと同じであった。
「そうでもないんですよ」
「たとえば?」
「そうですね。ほら、私って回復魔法が使えないでしょう?」
「ああ、そういえばそうね」
神官=回復魔法という常識は田舎に行けば行くほど染み渡っている。それも昔、女神の教えを広めるために神官に回復魔法を教えて布教させた名残だった。今では回復魔法専門の職業、回復魔法術師とか、治癒術師とか、治療士というものがあるが、神官に比べたらまだまだ少ない。神殿も医療という格好の人の心をつかむ術を捨てたくないから、神官に回復魔法を教えていた。だからって神官すべてが使えるわけが無い。この世界は素質、才能が最重要。無いものは無いで他の道を探るのだ。
アースレイが回復術が使えなくても、人々は神官に治療を求めた。
アースレイは応急処置や、医療の知識を持っていたが、それ以上はできなかった。だから回復術を使えない彼に人々は失望することもあったという。
スピカは、回復魔法が使えない彼を補うことができた。
旅の安全を踏まえても、神官アースレイの従者というのは悪くない。スピカは目を落としていた本を閉じ、アースレイとの旅路もそう悪くなさそうだと思った。




