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三人殺せ  作者: 仙堂ルリコ
7/16

ユキナの母

勝也が出て行ってから一週間が過ぎた。

里美はずっと魂が抜けたように、家にこもってぼんやりしていた。千華の世話は習慣でなんとか身体か動いたが、外へは出られなかった。

千華は文句も言わず一人で遊んでいた。「お父さんは」と聞かなかったが「二人殺したね」とは何度も言いに来た。

 何度も何度も言いにくるから里美はきつく叱った。すると、泣く。それが鬱陶しい。

 勝也からはメールも電話もなかった。

 誰かが何回もチャイムをならしている。勝也なら鍵を持っている。今は夫以外の誰にも会いたくない。ところが、千華がドアを開けた。

「こんにちは。隣の松村です。」

 声と一緒に松村の息子、亮がすっと入ってきた。ソファから起き上がる暇も無かった。

「俺、今からだったらカレンに行けますよ、エントランスの前に車まわしとくから、なるべく早く降りてきてください」

 否応無し、だった。思考を放棄していた里美は、「はい」と従った。

 四輪駆動のモスグリーンの大きな車だった。後部座席は広々していて千華は喜んだ。

「あの、私どうしたらいいんでしょうか」

 車に乗り込んですぐに聞いた。自分で何も考えられない。

「全部話したら、すっきりするかも。まずは、ご対面。その子見てあっちが何か感じるかも知れないし。そうだ、普通に客として散髪して貰おう、そうしよう」

 喜々としている。面白がっているのだ。それがわかっていても里美は不快な感じはしなかった。夫が逃げていって半分死んだような自分を強引に連れ出してくれた、差し伸べられた救いの手だと縋った。

 

 美容院カレンがある古い商店街は幅が狭く、車は通れない。入り口のアーケードに「本町通り商店街」の文字がある。かつては繁華街であったことの名残だった。昔は長い商店街で賑わっていたらしい、と亮が話してくれた。

 スナック、大衆食堂、串カツ屋、の並びにカレンはあった。青いガラスの扉に、里美が子供の頃に自殺したアイドルのポスターが貼ってあった。

「いらっしゃいませ」

明るい声にびっくりする。

三つある椅子の真ん中に白髪の綺麗な顔立ちのお婆さんがいた、その後ろに水色のエプロン姿の目元と鼻筋のはっきりした、がっしりした体格の中年の女の人がいた。

野閒祐子は愛想の良い、人を引きつける華やかな雰囲気の人だった。里美は、娘を亡くしてやつれている母親を描いていたので、大きく違っていて、何故だか、少し、生気を取り戻した。

鏡の隅に水色の花が飾られていた。野閒祐子のブラウスと同じ色だ。雪奈のワンピースも水色だった。この人が好きな色なのだ、里美は、そう思った。

「おばちゃん、元気になったか? まだ犯人捕まらないから無理か」

亮は里美と千華をドアの近くの長いすに座らせた。


「亮ちゃん、心配してくれてありがと。今日はどうしたんだい?」

客の老婦人に仕上げのスプレーをしながら鏡越しに愛想たっぷりに声を掛ける。 亮は答えないが、それ以上聞きもせず、老婦人の肩をほぐして送り出した。

 客を丁寧に見送ったあと、なぜか鍵を閉め、入り口のガラスのドアに水色のカーテンを下ろした。

「おばちゃん、この子の髪を切ってやってよ」

亮が言うので里美はお願いします、と頭を下げた。

「お嬢ちゃん、ここにおいで、さあ」

端の椅子の高さを調整し、千華を抱き上げて連れて行き座らせた。霧吹きをかけブラッシングする。それから鏡越しに千華を見つめ、亮に、

「亮ちゃん、この子、生きてないみたいだ」

何でも無い事のように言った。

里美は心臓を掴まれたように、驚いた。

「おばちゃん、冗談キツイよ、子供なんだからさあ、考えてよ」

亮はあたふたしている。

野閒祐子は笑った。

「お嬢ちゃん、怒ってないよね。すこしの間おとなしく座ってて頂戴よ。約束できるかな」

千華はにっこり笑って大きく頷き、唐突に

「約束、オカアタンも守ったよ。二人、約束守って殺したよ。でもあと一人だから、チカはまだ生きてないの」

言って、振り返り母親を見た。

「……亮チャン、何でこの子を連れてきた?」

祐子が横目で亮を睨んだ。亮は叱られた子供のようにビクリと身体を震わせた。

「おばちゃん、雪奈ちゃんの幽霊見たって、この人が言うんだ」

亮は、里美に確認しながら、替わりに話した。

祐子は千華の髪をカットしながら話を聞いた。

「その田端って親子、赤い電動自転車に乗ってなかったかい?……やっぱり。雪奈の『トマト』だ。コンビニで盗まれたんだ。鍵を抜くのを忘れて。あの子学校から帰ったら毎日コンビニへ行ってたよ。子供だから、無くした場所で見つかると考えたんだろうね」

 死んだ田端真弓が、雪奈の自転車を盗んだ犯人かも知れないと言う。

 雪奈はコンビニで自分の自転車を見つけた。コンビニは放置されていた公園に近い。

 雪菜は当然、取り返そうとする。それから、何があったのか。

 田端真弓は雪奈の死にも直接関わっていたのか。関係なくても、盗んだ自転車の持ち主の死に動揺はあっただろう。

 公園と駅前にある雪奈ちゃんのイラストの看板を見ていたはずだ。だから長い髪の水色のワンピースの女の子に怯えたのか。

「で、おばちゃん、呪いか何かで千華ちゃんを使って雪奈ちゃんの復讐をしてるのか」

 と、単刀直入に亮は聞いた。

「そうならいいんだけどね。残念ながら、アタシにはそんな力はないよ。雪奈の幽霊なんてねえ。ちゃんと成仏してるはずなんだけどねえ」

「でも、見たんです、髪が長くて、水色のワンピース着て、黒いサンダル。田端さんの自転車の後ろに乗ってたんです。田端さん、怯えてたんです」

 里美がたまらず詰め寄った。

「アタシが見ない娘の幽霊を、なんで、赤の他人のアンタが見るんだろうか。アンタ、見える、たちなのかい、それか、まさか、この子、一回死んで生き返ったとか、不治の病が奇跡的に治ったとか、そういうのは無かっただろうね?」

 口調とは裏腹に、あったんだろう、とその目は里美を見据えた。

「あったの? もしかして、ブランコから落ちたって言ってたけど……」

 亮に問われて、里美は力なく頷いた。

 そして、忘れてしまいたかった事実を話した。

「そうかい。あのブランコなんだね。じゃあ、オサメ様だね。オサメ様が雪奈が死んだ場所におられたんだ。アンタの願いを聞いて下さったんだよ、」

 ……オサメ様、と祐子は何度も言った。

「オサメさま? 誰、それ」

 亮は里美に心当たりはあるかと聞いた。

「アタシそんなの知りません。ただ、助けてくれって祈りました。当たり前でしょう? なんでもするから子供を助けて下さい、神様って…」

「だからさあ、その願いを、オサメ様が聞いておられたんだろうね」

「何だよオサメ様って。おばちゃんの信仰してる神様か?」

 亮は手帖を広げオサメ様と書き込んだ。

 裕子は、千華のケープを外し、隣の椅子に座り、タバコに火を付けた。白い煙が拡散せずに一本の筋になって千華に纏わり付いていく。

 千華は面白そうにそれを掴まえようとしている。一瞬、娘の姿が薄くなった気がして里美は膝の上にしっかり抱きかかえた。

「雪奈は、川で溺れて、死にかけた事があるんだ。一年前の、丁度今頃だった。意識が戻らなくてね、手の尽くしようが無い、って医者に言われた。アタシは諦められなかった、なまじっか、あっちの世界を知っているもんだから……」

 オサメ様に、祈ったという。そして、奇跡的に雪奈は助かった。オサメ様のおかげだと感謝し、自分の力を信じた。

「最初に雪奈が妙な事を言い出したのは、まだ病院にいる時だった。悪い夢でも見たのだと気にしなかった。でも、毎日、毎日言うんだ。ママ、三人殺せってずっと言ってるよ。約束したんでしょ、何でもするって。だから、約束だから三人殺さなきゃ、って。」

「三人殺せって、千華ちゃんと同じじゃないか。それで、おばちゃん、まさか殺したとか? ほら半年前に火事で死んだ地主一家、夫婦と中学生の息子で、丁度三人じゃん」

 亮が冗談のよう言う。

「まさかそんな恐ろしいことするもんか」

 祐子は鼻で笑った。

「誰にも言わないから言っちゃえよ。おばちゃん、呪術で遠隔操作したんじゃないの?」

「あの、火事の話なら、アタシは潔白だよ。立ち退きの一件で揉めてたのは確かさ。うちだけじゃない。商店街全部の問題だったからね。裁判で争う相談してたんだ。あの夜も、向こうが酔っ払って脅しの電話架けて来たんだよ。腹が立って文句言ってやった。話がつかないから長くは喋ったけどね。それが最後さ」

「火事の原因はタバコの不始末だったよな……あのおっちゃんヘビースモーカーだから、おばちゃんと電話してたときも、タバコ片手に喋ってたのか?」

「知らないよ。そうだとしても千里眼じゃないんだから、そんなの、分かる訳無いじゃ無いか」

 酔っ払って長電話して、タバコを消し忘れたんだとしても、電話の相手に責任はない、確かにそうだ。でも、丁度三人、死んだ。

「そう三人死んだ。……雪奈は三人殺せと言わなくなった」

 里美は、ぞっとした。

 亮はまた手帖に書き込んでる。好奇心丸出しで、喜々として質問を続ける。

「偶然三人死んだ。それで、オサメ様との約束を果たしたってことになるんじゃないの?」

 里美は恐ろしくて身体の震えが止まらない。じゃあ、千華の命と引き替えに田端親子が死んだとでもいうのか?

「確かに当時は、嫌な偶然だと思ったけどね。それも雪奈が死んでしまった今になってはどうでもいいことさ」

「……ところで、その、怖いカミサマは、どこに祀ってあるの?」

 亮は立ち上がり、店の中を見渡した。

「もう祀ってないよ。雪奈が死んだ日から、開けていない。見てもいない」

「え? それって、ここにあるわけだ。ねえ見せてよ」

「見たいって? アンタもかい」

 里美は混乱して問われた意味さえ解らない。千華が「見たい」と答える。

「そうかい、どうしても見たいんだ」


 祐子が二階から抱えてきたのは、長さが五十センチ位の大きな黒い箱だった。

 漆塗りで蓋に蓮の花が彫ってある。

 赤ん坊の棺のようだと、何故か里美は思った。

「わあ、プレゼントだ」

 千華が、箱に手をかけた。

「お嬢ちゃん、これ欲しいかい?」

 聞かれて千華は嬉しそうに頷き箱を手にし、開けようとした。

「ここで開けるのはやめとくれ」

「なんで?」

 亮が聞いた。

「どこへでも持って行って好きなようにしたらいい。この子が欲しいと言った。アタシは手放したい。だから、もうこの子のモノだよ。アタシが呼んだ、オサメ様は雪奈を守ってくれてたのに、雪奈は、もう居なくなったから、その子を守ってるかもしれないじゃないか。だから持って行きなよ」

「……へっ?」

 早口で捲し立てられて、亮が素っ頓狂な声を上げた。

 こんなモノを、体良く押しつけられたんじゃ無いかと、考える隙も無く、

「もうこんな時間。見たいドラマが始まるからさあ、カット代二千円、払ってもう帰っとくれ」

 追い出された。


「うへっ、重い」

 駐車場に着くなり亮は箱を乱暴にボンネットの上に置いた。

「なあに、なあに、プレゼントなあに」

 千華は勘違いしている。

「オサメ様、開けますよ」

 亮が手を合わせて一礼するから里美もそうした。

 立派な箱に見合った、観音様か阿弥陀様か、何でアレ神か仏の形をしたモノが現れると思っていた。

 でも、中には髪の毛が詰まっていた。

 黒、茶色に混じって白髪、赤い毛もある。

「うえーっ、気味悪い」

 亮は一見して顔を背けた。

 しかし里美には、髪の毛の塊がコケシの形なのが分かった。

「これ、髪の毛を巻き付けてるんじゃないですか?」

「そうなの? つまり本体は、この中なわけ?」

 亮は、車に積んでいる工具箱からカッターナイフを持ってきた。中身を傷つけないように、慎重に髪の毛を取り払っていく。


「……これ、あの人が作ったんでしょうか?」

 里美は姿を現したオサメ様を見て亮に聞いた。

「おばちゃん、工作は苦手なんだろうなあ。不細工すぎる、いくらなんでも、これはひどい」

 頭部と身体のくびれだけがある薄い板に、髪と目と口が墨で書いてある。簡単でおおざっぱな作りだった。

 これは、神じゃない、このシンプルすぎて怖い感じは……。

「身代わり人形かな。災いや病気の肩代わりしてくれるっていうの。何て言ったっけ、確かナデモノ、かな。でも変だよ、こういうのって、本人に降りかかる災難を引き受けさせるンだろ。災いごと川に流すか、燃やすか、するんだ。こんな風に厳重に封じ込めてるって何でだろ?」

 亮は何枚か写真を撮った。

「気味が悪いですね」

「おばちゃん、やっぱりオサメ様を雪奈の復讐に使ったのかもしれない、なんてね。しっかし、気味悪いし、臭いし、ただのゴミだよ。……どうする? 捨ててしまおうか」

「捨てたりして大丈夫でしょうか。千華に悪い事が起きるんじゃないんでしょうか」

 里美も、オサメ様なんて、馬鹿馬鹿しい、と理性では亮に同意していた。

 でも、復讐する力があるなら千華を守ってくれる力もあるかも知れない。とふと思った。

 誰が死のうが関係ない、千華さえ守ることが出来たら……。

「会わせといて言うのも何だけど。おばちゃん、普通じゃ無いよ。俺、思ったんだけど、おばちゃんも、山本さんも、霊感ありそうじゃん。怒らないで聞いて欲しいんだけど、そういう人って、思い込み激しくて、空想と現実の区別付かないかも知れない。三人殺せって、千華ちゃんが言ってるけど、それは、誰かが吹き込んだと第三者は疑う訳だよ。たとえ、全く接点の無い、つまり雪奈と千華ちゃんが、同じ、何だか怖い言葉を言った、ってだけでしょ? テレビとか、大人が知らない子供の間での流行とか、可能性はいくらでもあるよ。……そう、俺は呪いとか幽霊とか信じてない。俺には唯のゴミに見えるよ。……こんなモノを恐れるの?」

 里美は答えられない。

 幽霊は見間違い、田端真弓と関わり合ったのは偶然、雪奈が死んでいたブランコでの事故もそう、そして千華が「三人殺す約束」と歌い、それも雪奈と同じなのも、きっと現実的な理由がある、そう納得したい。

 しかし無理だ。自分は雪菜の幽霊を見たと今では確信しているのだから。

「オカアタン、これ千華のだよ」

 ボンネットによじ登って千華がまた言う。

 里美の脳裏にあの雨の公園で動かない、息もしていない娘を抱いていた感触が夢では無く現実だったと、まざまざと蘇る。

 オサメさまが何様なのか分からない。

 でもたとえ鬼でも悪魔でも……死んだ娘を蘇らせてくれたのなら、処分してしまえば、娘が死ぬかも知れないではないか。

「いつでも捨てられるから、とりあえずは、私が持って帰ります」


 黒い箱は家に帰ってすぐにクローゼットの奥に隠した。

 



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