二人目がしんだ
母親からのプレゼントが届いた。真っ赤な箱に金のリボン。
わくわくして開ける。ピンク?黄色?
……よりによって、水色だった。
見た瞬間嫌な感じがしたのを、里美は理性で振り払った。地が水色なだけで、スカートの裾に黄色い花の刺繍がある。丸い袖も付いている。
水色で何が悪い?雪奈ちゃんの着ていたのが水色、髪の長い不気味な子も水色。それが何?水色の服なんて無数にあるじゃない。被害妄想に陥いりそうな自分を笑い飛ばした。
「値段ネットで調べたら二万八千円だったよ。刺繍細かいしさあ、上品で可愛らしいデザインだよね。千華、お姫様みたいだよ」
一生懸命雰囲気を盛り上げているのに、勝也は、褒めるのが照れるのか、何も言って呉れない。ただ、しげしげと娘を見つめていた。
一番近いファミリーレストランまで自転車二台で行った。
ショッピングセンターのフードコートで食べるのと料金は変わらないが、座席がゆったりしてるのと、お子様ランチが一見豪華なのが良い。
「一ヶ月でこんなに大きくなるのね。髪もめちゃくちゃ伸びてるし」
先月撮った写真を見せる。
勝也は成長を喜ぶというよりは不思議な現象を見るように真剣なまなざしで画像と千華を見比べている。
「お前にはそう見えるのか?俺には一ヶ月前と髪は同じにみえるけどなあ」
「そんな訳無いじゃん、それは無いって、良く見てよ」
千華の肩に掛かっている髪をすくう。
「それより、顔だよ、だんだん酷くなってる」
「はあ?ヒドクなってるって、何それ」
そういえば、前にも酔って、千華の顔色が悪いと言っていた。
「普通よ。照明のせいでしょ」
言いながら、何気なく携帯で千華を撮った。
画面を見て里美は凍り付いた。
「これ、千華、今、撮ったんだよね」
映っている顔は、目は落ちくぼみ法令線がくっきり刻まれている。髪は肩までしかない、里美は目を背け、衝動で消去した。
「おい、消したのか?」
「……こういうのは消した方がいいのよ」
「こういうのって、なんだ?言えよ」
勝也は箸を置いて返事を待っている。
「だって、千華じゃなかった。怖いモノが写ってた。……心霊写真だよ」
里美の声は涙でくぐもっていく。
せっかくの誕生会なのに、なんて不吉なんだろう。どうしてこんなに怖い事ばかり起こるのか。あの轢き逃げされた子が千華に憑りついてるの?でも、なんで、関係ないじゃん。
「おい、今度は泣いてるのか?何か言えよ」
勝也に全て聞いて欲しかった。だけど、口が裂けても言えないことがある。田端ツヨシの転落に関わっているとは言えない。涙が止まらない。
勝也は怪訝がって母親を見上げる娘を取り繕う。
「おかあさん、千華が四才になったから嬉しくて泣いてるよ。明日おもちゃ屋に行こうか。何が欲しい?ぬいぐるみかな?」
「ぬいぐるみはいらないの。何にもいらないからオカアたんに約束守って欲しいの」
「約束?どんな」
「あと二人殺すの。とってもうるさいの。二人殺せって、ずっと言うの」
「はあ?おい里美、千華何言ってるんだ?」
勝也は里美の肩を揺する。
答えない。娘は「あと二人、二人殺せ、二人殺せ」と妙にゆっくりした調子で大きな声で歌いだした。近くのテーブルの客が好奇の目で見ている。勝也はいたたまれず、二人を促して店を出た。
「おい、大丈夫か?あとで話せよ、な」
里美は泣きながらもはっきりうなずいた。
エレベーターの前に、田端真弓が立っていた。
こっちを見て微笑む。
里美が「あっ」と小さく呟いて勝也の腕にしがみついた。
勝也は軽く頭を下げる。真弓は扉に背を向けて立ち、布の袋をぶら下げて、にやにや笑っていた。降りてきたのか乗ろうとしてるのかわからない。
扉が開くと、里美達三人に続いて、乗ってきた。
様子が、変だ。囁き声でしゃべり出した。独り言では無かった。自分たち三人に言っている。
「アンタ、アタシを脅迫してるわけ?娘にそんな格好させて、アタシが怖がるとでも思ってるのか。もう怖いモノなんかないさ。はっきりいいなよ、見てたんだろ、」
「おい、何の事だ?」
勝也は里美をつっついた。
里美は千華を守るようにしゃがみ込んでしまう。
八階。真弓を押しのけるように三人、転がり出た。
後ろから真弓も降りた。
「だいたいあの子が悪いんだ。自転車から手を放さなかったんだ。危ないから、ツヨシが振り払っただけさ。アタシのせいじゃない。あの子の自業自得だ。トラックの運転手も可哀想なもんだよ。今頃どっかで怯えてるんだろうね。アタシが殺したわけじゃ無いんだ。あの子の幽霊が取り憑いてるって嘘ついたり、その子使って脅したり、アンタ何者なんだよ。その子はお化けかい?気味が悪いんだよ、」
八階の廊下を追いかけてきて怒鳴る。
「すみません、妻が何をしたんですか、ちゃんと聞きますから冷静に話してくれませんか」優しく言われて真弓はケラケラ笑った。
「忘れてました、ハハ。済みません、渡すモノがあってね、ウフフ。お留守だったから、下でね、ずっと待ってたんです、」
笑ってる。それが突然、口調も顔つきも変わった。全くの無表情、仮面のように突っ張った顔で、手提げ鞄の中をごそごそして……
「これ、これどうぞ」
低い、小さな声で呟いて、袋から出したには茶色い柄の、使い古されたようなペティナイフだった。
ふうう、と大きく息を吸い込んで、ナイフを両手でしっかり握り迫ってくる。
「落ちついて、ね、奥さん」
勝也は言いながら後ずさって距離を取った。
ゆっくり近づいてくる。
「うん、うん」
子供が返事をするように、一定のリズムで頭を大きく前に傾げ、腕を伸ばせるだけ伸ばしナイフを振り回す。千華だ、千華を狙っている。
「何するんだ、やめろよ」
勝也の絶叫に、八階の十のドアのいくつかが、ぱっと開き、数人が廊下に出てきた。勝也は里美と千華を家の中に入れた。
大柄でスキンヘッドの初老の男は隣の松村だった。彼は素早い動作で真弓の背後から近寄り、足を払って転倒させた。一瞬の出来事だった。
「ちくしょー、死んでやる」
松村は、隣に立っていた若い男と一緒に叫んで立ち上がろうとする真弓を床に押さえつけた。女二人も加勢した。
真弓が完全に動かなくなるまで……全身を覆い尽くすようにそれぞれの体重をかけて押さえつけた。
「あ」
肩を押さえつけていた長いスカートの若い女が最初に立ち上がった。
薄い色のスカートの裾に、べっとり血が付いている。
「あーっつ、みんな、離れて」
誰かの指示に皆従った。
真弓の首から血だまりが広がっている。
右手に握ったナイフの先は垂直に喉に刺さっていた。
……息絶えている。
「これは自分で刺したんだ、仕方ない」
松村がきっぱり言って、手を合わせた。
「この人、あの、田端さんでしょ。時々エレベーターの前で、独り言を言ったわよね。気が変になってたんでしょ。あ、あたし晩ご飯、途中なのよね」
中年の女が、笑ってるのか泣いてるのか分からない上ずった声で早口に言って五号室に入った。
廊下に残っている人の視線が勝也に集まる。その中に里美と千華の姿もあった。
「とにかく、私が、警察に電話します。あ、救急車が先だ」
携帯を出したが、指がぶるぶる震えて操作できない。
「俺が警察に架ける。救急車もな。もうホトケさんだけどな。おい、あんたは、この場を離れるなよ、」
また松村の指示で、長いスカートの若い女は七号室へ。里美と千華も家に入った。
勝也と松村の他に、背の高い痩せた若い男が廊下に残った。
警察官が来るまで松村は勝也に、色々質問した。聞かれるまま正直に、自分はこの人とは面識がないし、妻からトラブルがあったと聞いていない、と話した。
家族の氏名、生年月日、職業、までも細かく聞かれた。
「旦那が三十七で奥さん三十五、勤務先は日本ゼラチン、製造でいいな」
……なんだ、このおっさん、偉そうに。
勝也は不快だった。その後、警察官とのやりとりで、松村が元警察官だと分かり、納得したが。おかげで、聴取は手短に終わり感謝した。後日再度の聴取があるかも知れないとは言われたが、とりあえず、やっと家の中に入れそうだった。
勝也は自分の膝がずっと小刻みに震えているのを感じていた。
気がつけば、松村と若い男が廊下の血を洗い流してくれていた。心から感謝し、「家でビール、いや発泡酒でも」と誘ってみた。
松村は「そりゃ、いいね」と笑った。
最初から殆ど口をきかない、どの部屋の住人なのか不明な若い男も黙って付いてきた。
里美はまるで待っていたように、てきぱきと簡単な料理の載った皿を並べた。化粧直しして涙の後もない。
「そうか旦那は秋田お出身で、奥さんは……」
千華はまだ起きていた。パジャマを着て、隣の部屋の布団の上でウサギのぬいぐるみ相手に、ご機嫌で歌ってる。
「三人殺せ、三人殺せ、あと一人、あと一人」
と。
「お嬢ちゃん、怖い歌だなあ。それなんの歌?」
松村の問いかけに里美の唇が歪む。
「オカアタン、三人殺すって約束したの。だから二人殺したの」
千華は、はっきりと言った。
若い男はよほど驚いたのか、発泡酒に咽せて咳き込んだ。
松村は、はは、と笑いながらも
「ぶっそうな事いうねえ。お母さんは人を殺したりしないだろ」
勝也と里美の顔をしっかり見て言った。
「殺したよ、今殺したじゃ無い。それからこの前お兄ちゃんも殺した」
これには勝也も驚いた。元刑事の前でいくらなんでも聞き捨てならない。
「千華、そんな嘘はいうな」
「うそじゃないよ。三人殺せ、あと一人」
また歌い出した。
里美は、泣き出した。もう一人で抱え込むのは限界だった。
「奥さん、何かあったんでしょ。あの子の幽霊って言ってたけど、あの子って誰なんですか?」
松村はそれを聞くために、此処にいるのだ。里美は全てを話してしまおうと決心した。




