葬儀場で
朝のテレビのニュースに、このマンションが映っていた。
塀に上って遊んでいて、誤って転落したと言っている。高層マンションで育った子供は高さに鈍感になり平気で塀に腰掛けたりして転落する事故が増えているとコメンテーターが喋っている。
里美は恐る恐る、あの時の状況を思い出してみる。……大丈夫、母親に見られていない。叫びながら息子めがけて走って来た。一度もこちらを見なかった。視界の隅には入っていただろうが、誰かは分からない。それに、もし、わかっていても、息子の転落と結びつける理由は、全くないじゃないか。
私はあの子を塀に登らせてしまったかも知れないけど、落とした訳じゃないんだ。
はやく忘れてしまいたい。
でも、後ろめたい。もし、自分が余計な声掛けをしなかったなら……。責任が全く無いとまで言い切れないのだ。
田端強史の葬式は公園に隣接するメモリアルホールでおこなわれるという。
里美は、迷った末に葬式に千華を連れて行った。大勢の弔問客に紛れて焼香を上げ、冥福を祈れば罪悪感から逃れられる気がしたからだ。
予想通り小学生とその父兄で弔問客は多かった。
同級生のうち男の子は泣いていない。笑ってふざけ合っている子もいた。女の子の数人と保護者が泣いていた。
千華には紺色のワンピースを着せた。持っている中で一番地味な服だった。初めてのお葬式が面白いのか、機嫌良くしていた。
「旦那?居ないわよ、母子家庭。……働いて無いわよ。生活保護じゃないでしょ、あのマンション、あれでも賃貸じゃないから。愛人って噂あるわよ。いい年して派手でしょ。それより、ツヨシ君に保険かけてたんだって。だからね、疑ってる人もいるらしいよ、怖いよねえ」
ひどい噂話が耳にはいった。強史と同級生の母親達だった。その一団に混じって焼香をあげ、俯いている田端真弓に型どおりの短い言葉をかけた。
誰を見ているのかわからない充血した眼が、なぜか大きく開いた。背中が硬直する。
真弓の視線は里美では無く千華に向けられ、嫌なモノを見たように露骨に眉をひそめた。一瞬の出来事だった。
何が気に障ったのかわからない。後ろめたいから過敏になってるんだろうか……。
帰り道、ぼんやりしていて、交差点で信号待ちの弔問客に自転車が当りそうになった。
急ブレーキの音に女の二人連れが振り向く。
「済みません」
降りて謝る。いいのよ、と言いつつ背の高い大柄で茶髪の方が千華を指さす。
「うわあ、雪奈ちゃん、なわけないか。でも、何かそっくり」
と言う。雪奈ちゃんって全然知らない、と答える。
「四月にひき逃げされた五年二組の雪奈ちゃんよ、雪奈ちゃんの親戚?」
違うけれども、ひき逃げ事件は知っていると答えた。娘がその子に似ているなんて知らなかったと。
「ちょっと、やめなよ」
連れの小柄で痩せた女が小声で言う。
なんだか下世話な人達だ。里美は不快になってきた。
「ほら、あのコンビニよ」
信号待ちの間、公園の向かいに在るコンビニを大柄な方が指さす。
「買ったばかりの電動自転車をね、あの駐車場で盗まれたんだって。雪菜ちゃん鍵外すの忘れたらしいの。毎日コンビニ行って、自分の自転車探してたんだって。家から此処まで遠いのにねえ。それで轢き逃げされちゃうなんて、かわいそうにね」
「雪菜ちゃんの事件で子供達怯えてるのに、今度は田端くんでしょ、二人とも悲惨な死に方だし、二度ある事は三度あるっていうから、怖いよねえ、」
「犯人早く見つかるといいですね」
当たり障りの無い言葉で里美は話の輪から逃げた。
……雪奈ちゃんって子は五年生で、千華は三才、それを間違うなんて、どうかしてる。ひどく感じが悪い。
千華が寝てから、里美は警察のホームページを開いてみた。
四月十七日午前六時、旭が丘公園内ブランコに遺体で発見。複数の打撲傷あり。
死因は脳挫傷。死亡時間前日午後三時から九時。
衣服に青い塗料が付着している事から交通事故の可能性あり。目撃情報を求めています。
当日の着ていた服と靴の写真が載っていた。やっぱり似てる。赤い自転車、「トマト」の後ろに乗ってた気味の悪い子も水色のワンピースだった……あれは、雪奈ちゃんの幽霊?
里美は、自分が、死者が見えるなんて、受け入れられなかった。
「どうしてアタシが雪奈ちゃんの幽霊見なくちゃいけないのよ、全然他人、関係ないのに」
無関係の子供の死に苦しめられるのは理不尽だと、腹が立ってきた。
気分を変えようと、久しぶりに実家の母親に電話を掛けた。
交通費がかかるので、この夏は帰れない、とまず謝った。
母親は、千華の誕生日に何を送ろうかと聞いてきた。里美は洋服をねだった。百貨店で買ってくれるならどのブランドでもいい。ワンピースがいい、明るい色、ピンクか黄色、赤でもいいと。
勝也に田端強史の葬式に行ったのは黙っていた。雪奈ちゃんの話も二度としない、忘れよう、と努力した。
千華の誕生日が近い。その夜の家族イベントはどうしよう?久しぶりに外食しようとか、楽しい話を毎夜毎夜した。
七月七日、 田端真弓死亡。享年四十五歳。




