隣で
千華の死に、祐子は「可哀想だったねえ」と目頭をハンカチで押さえた。
でも驚いた様子は無かった。
予め誰かに、聞いていたのだろう、と里美は思った。
勝也が雪菜の電動自転車「トマト」を盗んだと、土下座して謝った。
祐子は、それには驚いた。
しかし、責めも咎めもしなかった。
祐子は、笑っていた。
「なんだ、そうだったのかい。いいよ、旦那さん、頭上げてちょうだい。自転車は、誰かが店の前に置いていったと警察に電話しとくから、もう忘れよう」
里美が、内心期待していた、有り難い選択をしてくれた。
短いやりとりは商店街での立ち話だった。
祐子は、店の中に誘う気配も、ゆっくり話すつもりもないようだった。
それでも、里美は祐子の慈悲に涙した。
勝也は犯罪者にならなくて済んだ。
もう、娘を失った悲しみだけに浸って良いのだと、里美と勝也は商店街で、行き交う人の目も気にせず、抱き合って、泣いた。
「おい、亮、明日な、お隣の山本夫婦、秋田へ引っ越すんだってさ。今、エレベーターで旦那と一緒になって聞いたんだ」
松村は息子の亮の部屋のドアを開け、
良い知らせのように明るい、大きな声で告げた。
隣がいなくなる……。
本当に?
最後に里美と千華をカレンへ連れて言ってから、一度も会っていない。
亮は、救急車が来たのも、千華が亡くなったらしいのも、廊下で話して居るのが聞こえて、知ってはいた。
小さな棺が運び出されるのは窓から覗いた。でも、出ていかなかった。
三週間前のことだ。
雪奈、田端強史、田端真弓、身近で三人続けて死んで、興味本位で、成り行きで関わり合った。
理性では、死の連鎖は偶然にすぎないと思っていた。いや、思いたかった。
自分は安全な場所から他人の不幸を覗いている只の野次馬だと。
千華が死んだと知って
その安心感が、崩れてしまった。
いくら何でも四人死ぬのは多すぎる。
……恐ろしさに歯の根も合わず、数日は大学にもバイトにも行けなかった。
体調が悪いと父親に嘘を付き、家に、布団の中に籠もっていた。
「あの子は生まれつき心臓に障害があったらしい。今まで症状が出なくて分からなかったんだと。雪奈にそっくりだった、あの顔も、病気のせいだったのかな。雪奈は溺れて意識不明になってる間に顔が変わっちまったって聞いたんだが、心臓が原因でも、同じように、年寄りみたいなしわくちゃの顔になるんだなあ」
初めて千華を見た、田端祐子が廊下で死んだ夜を亮は思い出した。
千華の老婆のように皺くちゃの顔は、雪菜に似ていた。
美しかった雪菜が溺れて一命を取り留めた後に面変わりした、その顔にそっくりだった。
「このマンションにゾンビがいるって子供が喋ってたな。あの子のことだったのかなあ」
「ゾンビって、それ雪奈のあだ名だったんだよ。雪奈は去年の夏、溺れて生死の境を彷徨ってから、顔が変わって……学校でゾンビって呼ばれてたんだ」
「そうか。子供は情け容赦ない、残酷だからなあ。雪奈も哀れだったなあ。器量よしだった子が、醜くなって、学校で虐められて、不登校になって、挙げ句の果てに轢き逃げだ。娘が散々酷い目に合って、カレンのオバハン仕返しに呪いかけたんじゃないのか? 雪奈の自転車盗んだの、田端真弓だろ、そいで轢き逃げ事件にも関わってる。それが親子とも続けてあっさり死ぬなんて、変だろ? 俺は、なんか、隣の千華ちゃんは、雪奈の復讐の道具にされたような気がしてならないんだ。三人殺せって、怖い歌、唄ってたし」
亮は、まだ話していなかったオサメ伝説、三人殺す約束、とカレンで聞いた通りを父親に喋った。
酒を飲みながら聞いていた父親は、雪菜の母、野間祐子について色々思い出したようだ。
「……雪奈は、あれは養女だったよな。四十過ぎてから、遠縁の二歳の雪奈を養女にしたんだ」
「そうなの? 自分で産んだんじゃないの?旦那居ないから離婚したと思ってた」
亮は雪奈が幼児の頃から知っている。それ以前は知らない、というよりは、知っているかどうかも、記憶に残っていない。
はっきり知っているのは雪菜は色白の美少女でいつも綺麗な服を着ていた。
祐子は娘を溺愛し、年に何回も美容院を臨時休業して、母子二人で旅行していた。
……一年前に、雪菜が溺れたのも、確か、旅行先の信州の川だった。
「それとなあ、商店街の土地、今はオバハンの名義になってるんだ」
「そうなの? カレンのおばちゃんが買い取ったのか」
「違うんだ、それが。遺産相続だよ」
「遺産って、じゃあ、地主一家と親戚だったわけ」
「地主の家は、元は商売してたんだ。確か、呉服屋だったな。商店街で一番の店構えだった。老舗ってやつだ。何代も続いてたんだが、先代夫婦には子供ができなかった。そんな事情で、遠縁のオバハンが養女になった」
当時は、後々親の面倒を看させる為に養子は女の子が好まれたという。
ところが、養女を貰ったとたんに跡継ぎの息子ができた。
「跡継ぎの息子が、つまり、死んだ地主のおっちゃんか? 」
「そういうことだ」
「跡継ぎが出来たという事は、養女のオバハンは用無しになったのか」
「オバハンは中学を卒業して家を出た。惨い仕打ちを受けて養父母の元から逃げたと、本人は言ってたらしい」
それが二十年前に舞い戻ってきた。
商店街で美容院カレンをオープンした。
丁度、先代が亡くなった頃だ。祐子の養父だ。
美容院は遺産分けだったかもしれない。
二年前に養母も亡くなった。
その遺産分けで地主と祐子は争っていた。
決着がつかぬまま火事は起こり、自動的に、野間祐子は火事で死んだ地主の財産を相続した。
「えーと、焼け死んだ地主のおっちゃんは、カレンのおばちゃんの弟か。それは立ち退き反対運動してる商店街の人達、みんな知ってるわけ?」
「さあ、どうだか。俺は母さんから聞いたんだ。母さんはカレンのオバハンと幼なじみだからな。母さんが何かの折にちらっと話してた。余所様の事だから聞き流していたけど、思い出しちまったんだ」
「オバチャンと地主との揉め事は、立ち退き云々のレベルじゃなかたんだ。商店街の土地の所有権がかかってたのか」
「商店街だけじゃない。駅の北側の、あの一角全部だろ、少なく見積もっても千坪だな」
「じゃあ、オバチャン、今は金持ちなんだ」
「大金持ちだ。三人焼け死んで、おかげで大金持ちになった」
「成る程。呪い殺したって噂されてもしかたないか」
「雪菜が死んでから誰も陰口叩かなくなったけどな。いくら金があっても娘が死んだら元も子もない。結局オバハンは不幸な人なんだ。それでも、なんか、おっかない。お前、もう行くなよ。関わりあいになるな」
亮は、言われなくても二度とカレンに行く気はなかった。
「おい、酒が切れたぞ。飲み足りないなあ……お前買ってこい。ついでにコンビニで唐揚げも買ってこい」
父親は他人の不幸を話しながらも上機嫌だった。
青い顔をして縮こまっていた息子が久しぶりに屈託のない様子なのが嬉しかった。
亮は、
雪菜が養女と知って
美容院のオバチャンは術に使うために養女にしたのかも、
とふっと湧いた怖い推理も、
もう考えまいと頭の中から消去した。
すぐ隣に感じる恐ろしい、一連の死が、自分から離れていく。
明日が待ち遠しかった。




