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三人殺せ  作者: 仙堂ルリコ
12/16

目隠し鬼

「俺があの子の自転車を盗まなかったら、あの子は死なずに済んだんだ。でもまさかあんな結末思いも寄らなかった」

 勝也は喋りながら、発泡酒の缶を開けていく。もう4つ目。

里美は夫がこんなに飲むのを見たことが無い。

「俺、最低だよなあ。みじめだよなあ」

里美は呆けたように布団の上に座り込んで、開いたドアの向こうを芝居でも眺めるように、夫と娘を見ていた。

側に行けない。身体が動かない。掛ける言葉がない。

「おとうさん、おまわりさんに、つかまるね、かわいそう」

千華が慰めている。

「防犯証はすぐ取った。『トマト』ってだけで疑われるはずは無い。マンションだけでも数台乗ってるんだから。絶対バレないと思ったんだ。でも警察が調べたらわかっちまうさ。……ごめんな。でも俺、あの日、もう一歩も歩けなかったんだ」

勝也は泣いていた。

「ね、おとうさん、お願いがあるの」

千華は勝也の背中に抱きついた。

「ねえ、肩車して。ね、してよ」

言うなり、勝也の背中に登ろうとする。

「おい、おい、」

思いがけない娘の行動に、崩れていた勝也の身体に少し力が戻った。

「さあ、早く、早く立ってよ」

父が泣いているのに容赦なくわがままを全身でぶつける。

千華にしては珍しく強引だ。勝也は観念してふらふら立ち上がった。

(危ない)

里美は声に出さず、止めもしなかった。

「目隠し鬼、しよう。鬼はオカアタンだよ。オカアタンを捕まえるの」

千華は両手で勝也の目を塞いだ。

「うおおお」

勝也が泣いているのか笑っているのが分からぬ奇声を上げ、身体を揺らす。

「鬼は、オカアたんは、手を叩いて」

「違うでしょ、そっちが鬼でしょ、」

鬼さんこちら、って手を叩くんだ確か、

千華があんまり楽しそうにいうので、里美は反射的に立ち上がった。

だから、そっちが鬼よ……でも千華、こんな遊び知らないでしょ……。

長い怖い物語が終わろうとしているのを里美は悟った。

きっと救いの無い結末であろうけれど、もういい、終わらせたい。

終われ、もう終われ、

投げやりな心は平和な日常に踏み留まる努力を放棄した。

もうすぐの終焉へ向って千華が舵をとっている。

今夜、決着を付けようと娘は企てていたのか。

なんでもいい

「三人殺せ」から解放されるなら。

里美は手を叩いた、勝也はふらふら近づいてくる。

千華の視線は寝室の奥、ベランダで止まった。

「開けたら」と指図する。

開けてどうする?

酔っ払ってる勝也の動きは予測が付かない。

もし里美がベランダに出て、手を叩いて「鬼はこっち」と声を掛けたら、千華をのせたまま走ってくるかもしれない。

「はは」

もうどうでもいい。

夫が窃盗で逮捕される人生など要らない、酷すぎる。

いっそ自分がベランダから飛び降りて、この嫌な世界から離脱しようか。

……それくらいなら、あの二人を落としてしまってもいいじゃないか。

二人の生命保険でマンションのローンを完済できるし……。

里美はベランダに出た。

外は暗い。

暗くて静かだ。

手を叩く。

「あっち、あっち」

千華の声にふらふら揺れながら勝也がくる。

千華は笑っている。

勝也がベランダに出てきた。肩の上の千華はぶらんぶらん、揺れている。

「鬼は、どこだ、どこだ、どこだ」

勝也は止まって、小さい声で何度も何度も呟いている。

里美は勝也の足元にあるプチトマトの赤い実を見つける。

長方形のがプランタンが二つ。……重ねたら、丁度良い踏み台だと気がつく。

「此処を登って、ほらしっかり足上げて」

千華が前のめりになってる。

だから、落ちるかも。

勝也の肘を持ち誘導する。

慣れ親しんだ男の臭い……死ぬ間際に見るという人生の走馬燈さながらに、初めて出会った日、プロポーズ……愛の時間が蘇る。

大きな身体、大きな目、大きな声の、初めて愛した男。

この人は……雪奈事件の看板をどんな思いで見たのだろう。

自分が見た長い髪の不気味な少女にどれだけ怯えただろう……。

そして田端親子の死も、私より、ずっとずっと怖かったのだ……。

……もう、充分罰を受けているじゃないのか。

「だめ」

里美は勝也の身体にしがみつき、引き戻した。

勝也は「なに?」と、振り向いた。

大きくぶるんと。

「あれ、里美、おれ今何してるんだ」

丸い目が覗き込む。

肩の上に、千華が、居ない。

「え、そんなあ……」

ベランダから下を見る。暗くて何も、全く見えない。

「おい、どうしたんだ?」

「あ、ああ、千華が、落ちて、死んじゃったよ」


里美は千華が死んだと分かった。

もう不安も恐怖も無かった。

絶望を受け入れた。


「ホントだ。息してないよ。千華、千華、起きろよ……駄目だ、心臓の、音してない、里美、救急車、救急車だ」

「えっ?」

勝也がベランダにいない。

部屋の中から呼んでいる。

そして千華は、布団に横たわっていた。

今、目の前で勝也の肩の上から消えた。

下の駐車場に落ちたはずだ。

なのに、此処にいるのだ。


勝也が泣きながら心臓マッサージして居る。

……肩車して、闇に消えた千華、あれは違う、本当の千華じゃなかった。

冷たい娘の身体に触って、分かった。

里美の目から止めどなく涙が溢れる。

「うん、救急車呼ぶよ」


千華はその夜に死んでいた。

救急車で搬送された病院で、突然死の原因は先天性の心臓病だと、医者は言った。



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