疑惑
「ねえ、赤い自転車買おう。おとうさんのと、同じの」
買い物の予定は無かったが、大きな声で何度も千華が言うので、店員が寄ってきた。
小柄で愛嬌の在る丸顔の三十代の男だ、
「電動自転車は置いてないですよ。普通の自転車なら、そこに並べてる以外に、中にも有りますよ。子供用の綺麗なのも」
里美に説明しながら横目で千華の顔を何度も見る。
ロリコンかと、里美は不快になる。
「そうですか、主人が前に、電動自転車を、こちらで買ってきたから、またあるかなと思って」
さっさと帰ろうとしたら、呼び止められた。
「ちょっと、ちょっと待って、それ、いつですか」
「え?いつって、四月の初めかなあ」
「此処で、買ったって、間違いないんですか。今年の四月に、」
なんで、申し訳なさそうな顔でしつこく聞くのか?
「リサイクルショップって言ってたから、だから此処かなあって。うち、旭が丘公園の上なんですけど、駅からの帰り道に、買ってきたって……」
「もしかして、トマト?」
「……そうですけど」
店員は里美のジャケットの裾を掴んで、「店長、店長」と叫ぶ。
……何?これじゃあ、まるで万引きでもしたみたいじゃない。
「ちょっと、なんなんですか、放してくださいよ」
言ってる間に、大柄で短い髪を金に染めた四十代の男が,後ろに立っていた。
「奥さん、中、入って。中で話、しよう」
嗄れた、脅すような声、有無を言わさぬ気配だ。
里美は理由がわからぬまま、二人の男に挟まれるようにして店の奥の、狭い事務所に連れて行かれた。
吸い殻があふれた灰皿が二つ、たばこ臭くて、気分が悪くなる。
「痛いよお」
千華の手を強く握っていたのだった。
「お嬢ちゃん、すぐ終わるから、ごめんね」
店長小林、と書かれた写真入りの身分証名称をぶら下げた大男は、千華には猫撫声だ。
「これ、警察からまわってんだよ」
ばん、とテーブルの上に置かれた書類には、「トマト」の写真があった。
「盗難届け出てるんだ。事件がらみでね、知ってるだろ、雪奈ちゃん事件。これ雪奈ちゃんがコンビニで盗まれたのと同じやつ、アンタの旦那、此処で買ったって言ったんだよな」
「ちょっと待ってください、雪奈ちゃんの自転車を盗んだのは、同じマンションに住んでる、田端って人ですよ、」
「そんな話、警察から聞いてないよ。いいか、この店でも、他の店でも、トマト はまだ一台も扱ってないんだよ。……アンタの旦那は嘘付いてるんだ。何で嘘付いたんだろうなあ。考えろよ、わかるだろ、コンビニで盗まれたんだよ、どこのコンビニか知ってるか? 旭が丘公園の向かいの店だよ、そう、この道真っ直ぐ上がっていったところ」
「そんな、あり得ません、主人は,泥棒なんかしません」
里美の声は小さくかすれて、自分の耳にさえ届かない。
勝也が自転車泥棒?
しかも、雪奈ちゃんの自転車を?
絶対違う。
じゃあなんで話が合わないの?
頭に血が上ってめまいがしてきた。涙がボロボロこぼれた。
ぞっとした。泣いてる場合じゃ無い、何とか、切り抜けないと、
「あの、もしかしたら、新品同然、って言ってたけど、ピカピカだったんで、リサイクルショップは嘘で、新しいのを買ったかも。そうですよ、アタシが怒ると思って嘘ついたんです。あり得るでしょ?聞いて、確かめますから、だって、わかんないじゃ無いですか」
言ってるうちに、そうかも知れないと思えてくる。
「子供の服、うちにあったやつですよ。奥さんの鞄も、そこのキズに見覚えがある」
それまで黙っていた店員が店長に告げた。
「……お得意さん? そいじゃあ、会員登録してもらってるのかな」
店長の目つきが若干柔らかくなった。
里美は財布から会員カードを出した。店長は店員にナンバーと名前を控えさせた。
「じゃあ山本さん、ご主人に確かめていただきましょうか。何分警察が言ってきてる訳だから、こちらとしては聞き捨てに出来ないですよ。二三日うちに、こちらから電話しますから、おたくのトマトの出どこ、はっきりさせといて下さいよ」
犯罪者のように拘束される理由はない、強気で、千華を抱きかかえて、店を出た。
「あのね、今日ね、リサイクルショップ、行ったんだ。いつも行くとこ。もしかしてトマトがね、安くあったらいいかなって思って。そしたらね、電動自転車は扱ってないって言われた」
暗い部屋の中、隣でもう眠っているかも知れない夫に、里美は何気なさを装って、伝えた。
返事が無ければ、明日にしよう。もし、「あった?」と普通に会話を続けてくれたら、警察のビラ見せられた話をしよう。
……夫は、勝也は泥棒などしない。わかりきってる。夫は動かない。眠っているのだ。里美にも不安に勝ってくれる眠気がやってきてくれた。
「それで?お前、何喋ってきたんだ」
夫の声を夢だと思っていた。
「おい」と身体を揺すられた。
目を開けると、勝也は座っていた。暗くて、顔が見えない。でも、怒っているのは分かる。嫌だ、何故?
「お前、俺を売ったのか、言えよ、おい、たかが自転車一台で、俺の人生つぶしてきたのか」
「なんの話? アタシ何にも言ってないって……もう遅いし、」
里美は取り繕いながらも、耐えきれず涙が溢れてきた。
なんてことだ、考えもしなかった。雪奈の自転車を盗んだのは、勝也だったのか。
ぎしぎしと勝也は歯ぎしりしている。暗い部屋のその顔だけ闇が濃く、絶望の穴のように里美には見えた。
何も言いたくない、聞きたくない、長い沈黙を、破ったのは、バタンとドアの開く音と明るい台所に立っている千華だった。
「お父さん、泥棒だね。犯罪者は死刑になっちゃうの」
いつから起きていたのか、どうして、台所に居るのか、何が面白くて笑ってるのか。




