第87話 娘との再会
思いもよらない連絡は、警察から届いた1本の電話だった。児童虐待で現高田夫妻が逮捕され、娘の杏奈ちゃんは病院で治療中だという。
慌てて俺達は杏奈ちゃんが居る病院へと向かう。電車で移動する余裕もなかったから、タクシーを呼んで直接病院へと向かう。
まさかの事態にリサ姉は情緒が不安定で、握った手が震えている。どうして良いのか分からないのだろう。俺だって分からない。
杏奈ちゃんは、リサ姉に会いたくないと言っていた筈。なのに虐待をするような両親の方が良いのか? どういう事なんだ?
もし虐待が日常的だったのであれば、普通はリサ姉を暮らす事を選ぶ。父親と暮らし続けようとはしない筈だろう。
だがリサ姉と会おうとせず、今日まで父親と暮らして来た。流石に変じゃないか? 会いたくないというのは、本当に杏奈ちゃんの意思か?
一度は反抗期だと思って仕方ないと考えた。だがこんな事態に発展すると、疑わずにはいられない。もしもその話が、偽りだったなら?
父親と暮らす道を望んだ事すらも、真実ではないとすれば。まさかそんな事を、高田さんがやったとは思いたくない。
だがもし何らかの不当な方法で、親権を得たとするならば。だいぶ昔に、父さんから教わった話が脳裏をよぎる。
例えどんな立場に立っている者でも、正義を掲げている者でも、必ずしも心からの善人とは限らない。いつだったか言われた言葉だ。
「……リサ姉、大丈夫?」
「うん……」
今は親権の話はいい。それよりもリサ姉と杏奈ちゃんだ。リサ姉は凄く不安なのだろう。杏奈ちゃんがどうしているのか。
そして、再会した際に嫌がられないか。母親の自分よりも、虐待で捕まる父親を選ぶというなら。そうなれば、傷つくのはリサ姉だ。
もし俺の考えが間違っていて、杏奈ちゃんがリサ姉を拒否してしまったら。俺はどんな言葉を掛ければ良い? なんと慰めれば良い?
どうやって娘から拒絶された女性を、支えて行けば良いんだ? そんな経験なんて普通は積めない。高嶺部長だって答えを持たないだろう。
こんな難問の答えは、どこに転がっているというのか。どれだけ考えても、何も思い浮かばない。俺も全然考えがまとまっていない。
「お客さん? 着きましたよ?」
「あ、ああ。すいません! お会計を」
様々な事が脳内を駆け巡っていた俺達は、到着した事にすら気づけなかった。慌てて会計を済ませて、リサ姉と共に病院へと足を踏み入れる。
沢山の人が訪れている病院の中を歩いて行き、総合案内で事情を説明する。事情聴取も必要なので、警察官とも会わねばならない。
話は通っていたので、俺達は指定された病室へと向かう。廊下を歩く音が、嫌に大きく聞こえる。どうにも落ち着かないまま進んで行く。
エレベーターに乗って、目的である5階のボタンを押す。他の利用者と共に、ゆっくりと上昇していく。今もまだ、リサ姉の手は震えている。
「きっと……大丈夫だからさ」
「……うん」
全く根拠のない励ましだ。何をもって大丈夫だというのか。杏奈ちゃんの安否も、彼女の本心も何一つ分からないというのに。
一応リサ姉が電話で聞いた限りでは、命に係わるような怪我ではないらしい。でもだからと言って、安心出来る事ではない。
杏奈ちゃんが心に負った傷までは、外見を見ただけで分かる事じゃない。どの程度のダメージを受けたのか、まだハッキリしない。
きっと心のケアが必要になる筈だ。杏奈ちゃんはもちろん、リサ姉にだって必要になるだろう。だってリサ姉は、とても責任感が強いから。
こうなってしまった事で、今もきっと自分を責めている筈だ。全然リサ姉は悪くないのに、母親だからと考えてしまうだろう。
「リサ姉のせいじゃない。それだけは間違いない」
「……でも……ウチは……」
「俺が知っている。リサ姉はちゃんと、ずっと母親をやっていた。真っ当な親だったよ」
リサ姉が必要以上に自分を責めないように。不必要な責任感で圧し潰されないように。励ましながらエレベーターを出て歩く。
もうすぐ杏奈ちゃんが保護されている病室に到着する。簡単に辿り着いた、507号室と書かれた個室。ここに杏奈ちゃんが居る。
繋いだ手をリサ姉が強く握って来た。不安なのは分かっている。だから俺も、強すぎない力で握り返しておく。
俺達は目配せをし合って、意思を確認する。覚悟を決めたリサ姉を見て、俺はゆっくりと病室の扉をスライドさせた。
中にはベッドに腰かけている杏奈ちゃんが居た。久しぶりに見た杏奈ちゃんの姿は、少しだけ懐かしい。表情は、あまり優れていない。
「ママ!」
「……杏奈」
リサ姉を見るなり杏奈ちゃんは、ベッドから降りてリサ姉の下へ駆け寄った。正面から抱き着いて、顔を埋めている。
どうやら拒絶される事はなかった。むしろ歓迎されている様子で、大丈夫そうだと判断した俺は一旦リサ姉の手を離す。
リサ姉は優しく杏奈ちゃんを抱き締めた。何があったのかは分からない。だけど、どうにか母娘の絆は途切れていなかった。
やはり何か杏奈ちゃんの意思とは関係ないところで、何かが起きていたと見るのが正解らしい。それはそれとして、警察の事情聴取だけど……。
「一輝君じゃないか。どうしてここへ?」
「堂島さん、その……色々と事情が」
父さんの後輩である少年課の警察官、堂島さんが病室の中で待っていた。俺は事情を説明して、杏奈ちゃんが昔から知っている子である事。
母親であるリサ姉とは、10年以上の付き合いがある相手である事。そして高田さんの家が、実家の隣にある事を伝えた。
もちろん恋人として同行した事についても説明した。色々と複雑な事情がある事を分かってくれたのか、堂島さんは苦笑していた。
知っている警察官が事情聴取の相手で良かった。きっと上手く処理してくれるだろう。変な事にはならない筈だ。
「それでお母さん、少し構いませんか?」
「ええ、どうぞ」
杏奈ちゃんと手を繋いだ状態で、リサ姉は堂島さんの事情聴取を受ける。とは言っても、リサ姉は何も関与していない。それは警察側も分かっている。
離婚して別居状態なのに、虐待に加担するなんてまず無理だ。聞きたいのはあくまで、離婚前から虐待はあったのかという一点のみ。
少なくともリサ姉が離婚する前は、元旦那である高田さんは虐待をしていなかった筈だ。体に痣を作っていた事はなく、躾と称して強引な行動に出る事もなかった。
それについては俺もある程度知っていたので、補足しておいた。それにしても何故今になって、高田さんが虐待で逮捕なんてされたんだ?
夫婦揃ってという事だから、相手の女性が主犯だという可能性もある。でもだったとしたら、止めなかったのか? 分かれた相手との子供だから?
じゃあなんで親権を主張したんだって話だ。どうであったとしても、やっぱりおかしくないか? リサ姉が親権を取られた理由も謎だ。
「杏奈ちゃんはどうして、リサ姉と一緒に暮らさなかったの?」
今聞く事ではないかもしれない。だけど俺はどうしても、聞いてみたくなった。何か知らない事情があるんじゃないかと思って。
「……だって、パパが……。ママについて行ったら、違う学校へ行かないといけないって。友達とは会えなくなるって」
他にも色々と、吹き込んでいたらしい。金銭面で困るだとか、欲しいものが買えなくなるとか。将来の生活に困るとも言っていたらしい。
まあ随分と卑怯な手段を取ったものだ。小学6年生ともなれば、ある程度の知能がある。そうやって、不安を煽る効果は高いだろう。
「変ですね? それだけで父親が親権を?」
堂島さんが不思議そうにしている。確かに離婚の際、子供の意思は重要である。だけどそれだけで、親権を決定する事はないという。
「……そう言えば、弁護士さんも何か言うてはったような……」
「その弁護士さん、連絡先を教えて頂けますか?」
堂島さんが事情聴取もそこそこに、リサ姉から当時の詳しい状況を聞いている。虐待とは関係ないのに、どうも気になるらしい。
そのまましばらく説明をリサ姉が続けたあと、俺達は杏奈ちゃんを連れて病室を後にした。




