第86話 突然訪れた連絡
新しい年度が始まって、俺にも後輩が出来た。新入社員達を見ていると、俺も去年はこんな感じだったのかと思った。
それからリサ姉に誕生日を祝って貰い、幸福な時間を過ごす事が出来た。新たに3月から始めた副業も、順調に稼げている。
土日限定だけど、引っ越し業者のバイトをやっている。3月は10万円近く引っ越し業だけで稼ぐ事が出来た。
ただ体力が続く限り働くと、リサ姉が寂しがってしまう。働きづめも疲れるし、月にフリーの土日を少し挟む事にした。
今月は隔週で、引っ越しのバイトをするように調整済み。そして今日は、バイトの無い土曜日だ。朝からリサ姉と2人で過ごしている。
「今朝は食パンでもエエかな?」
「構わないよ。イチゴジャムが残ってたしね」
なんて事はない平凡な土曜日の朝。起きてから少しのスキンシップを挟んでから、9時過ぎに朝食を取る。とても穏やかな時間が流れている。
俺達の未来、子供の事や結婚、そして同棲する場所について。少しずつだけど、色々と相談して決め始めている。
今のマンションでも2人だけなら同棲は出来るけど、先の事を思うなら別の場所に引っ越す方が良いという結論に至った。
そう遠くない未来に、3人で暮らす事になるのだ。小さな子供を育てるには、少し狭いという問題があった。
今は2人だから平気だというだけで、子供の部屋もない。出来るならもう少しだけ、大きな家の方が良い。
「今日はどうする? 物件探し?」
「うーん、せやなぁ。候補は決めておきたいしなぁ」
今すぐ引っ越し先を決めるわけではない。来年の春まで、リサ姉の契約更新は来ない。ただ候補地ぐらいは、年内に決めておきたい。
考慮すべきは産婦人科からの距離とか、駐車場の料金とか。小学校までの距離も、考慮する必要がある。遠すぎると子供が困るし。
それに思ったよりも早く、リサ姉が妊娠する可能性だってゼロじゃない。あくまで年齢的に、妊娠の確立が下がっているだけだ。
回数をこなせば、確率はある程度カバー出来るだろう。1年という期間は、思っているほど長くはない。もうゆっくりはしていられない。
俺が副業を始めたのもあり、2人で時間を掛けて悩んでいる時間は限られる。あくまで理想だけで言えば、新築を建てる事だ。
だけど今はまだ、とてもそんな余裕はない。最初はマンション暮らしが妥当だろう。ある程度子供が大きくなるまでは。
なんて事も話し合っていると、考えるべき事は本当に多い。車の購入についても、まだ検討段階だ。多分中古の軽自動車からスタートかな。
悩ましいけど、楽しくもある。リサ姉と家族になるという未来が、少しずつ具体的になっていく。リサ姉と2人で、賃貸情報アプリを眺める。
「この辺りとか、保育園が近いけど」
「せやけど、スーパーがちょっと遠くない?」
結婚を前にしたカップルが、一番楽しい時間だと言われているらしい。こうして住む場所などについて、話し合っている時が。
少しだけ気持ちは分かる。だけど俺としては、その先の方が楽しみなんだよな。ほぼ毎日一緒に過ごすのは、もう何度も経験している。
今も実質同棲状態で、2人で暮らす事への期待感は一定のラインで落ち着ている。その先にあるのは、家庭としての生活だ。
子供の頃に出会って、目にして来た母親としてのリサ姉の姿。それがこれから、妻としてのリサ姉へと変わっていく。
理想的なお母さんであり、同時に最高の家族としての姿も見られるようになる。何より期待しているのは、その部分だ。
「こっちやったらどうや?」
「えっと……保育園が遠くない?」
「これぐらいの距離、チャリで頑張るやん」
何気ないこれらの会話が、家族になるのだという思いを強くしていく。それと同時に、ちゃんとプロポーズをしようという意思が高まる。
リサ姉は結婚するつもりで居てくれている。俺だって最初からそのつもりだ。けれど、やるべき事はしっかりとやっておくべきだ。
2月にリサ姉の誕生日を祝ってから、ずっと考え続けている事だ。タイミングとして一番良いのは……今年のクリスマスか?
ベタだけど悪くない時期だろうし、新年を迎えて2月になったらリサ姉の誕生日に入籍する。捻りはないけど、シンプルで良いんじゃないか?
過剰なサプライズは逆に冷めてしまうと、高嶺部長からはアドバイスを貰っている。今更になって、奇をてらう必要はないだろう。
早ければ今年の後半から、予定通りなら来年から妊活を始める。そうなって来ると、丁度良い計画ではないだろうか?
妊娠には女性のメンタルも大きく関わって来るという。ならば妊活を始める辺りで、気持ちを盛り上げておくのは効果的だろう。
体調だけでなく精神的にも安定している方が、母体と子供のためになると学んだ。リサ姉から教わった事と合わせて、合間に勉強をしている。
妊娠出産に関して、父親側が知っておくべき事は多い。産婦人科の先生が書いた本を買って、空き時間に少しずつ読み進めている。
育児に関する本もいくつか見繕っている。妊活が上手く行ったら、そちらも買おうと思っている。本当にやるべき事が多いな。
「何か今更やけどさ……一輝君と、子供作るんやんな……」
「え? あ~うん。そうだね」
急に照れ始めたリサ姉が、あまりにも可愛すぎた。家族になるんだという事を、リサ姉も意識してくれていたらしい。
俺だけが舞い上がっていたのではない。単なるセックスだけなら、今までに何度もして来た。だけどそれは、スキンシップとしてだ。
お互い独り身になった傷の舐め合いから始まり、恋人としてのセックスへと変化。そして暫くすれば、子作りとしての行為に変わる。
俺からすれば憧れのお姉さんで、リサ姉から見たらかつての弟分。昔は姉弟のような関係だった俺達が、今になって子作りをする。
何も思わないかと言えば、そんな事はない。リサ姉だってきっとそうだろう。俺なんて、幸福感が溢れ返りそうだ。
「ま、まあその……もうちょっとの間は――避妊しよな」
「う、うん。もちろんだよ」
その言い方はちょっとズルいというか。ズルいっていうか、エロいっていうか。その時がくれば、避妊が不要になるという事で。
今まで必ず避妊を続けて来た俺としては、まだ知らない境地。避妊具を使用しない行為は、どれほどの満足感なのだろうか。
1年ほど前まで童貞だった俺には、想像もつかない領域。学生時代に、友人達から聞いた事はある。避妊しない場合の快楽について。
中には問題のある発想の奴も居て、快楽を優先して一切避妊をしていないと言っていた。アイツは今頃どうしているのだろう?
ちゃんと責任を取っていれば良いけど。いやそれはどうでも良い話だ。そんな事よりも、目の前に居る可愛い彼女こそ大事なんだ。
「あの、えっと……一輝君」
「分かってる」
引っ越し先を決める話から、良い雰囲気になった事で相談は中断。どちらからでもなくキスをして、互いの指先を絡め合う。
繋いだ手からリサ姉の温もりが伝わって来て、気持ちを確かめ合うようにキスを繰り返し――たところでリサ姉のスマートフォンが鳴った。
タイミングが悪いけど、大事な電話だったら困る。画面を確かめたリサ姉は、首を傾げながら通話に出る。知らない番号だったのかな?
最初はただ返事を返すだけだったリサ姉は、急に体がこわばり始める。様子がおかしくなり始めた事に、俺はすぐに気がついた。
何だ? 何の電話が掛かって来たんだ? リサ姉の表情からは、良くない空気しか感じられない。まさか、身内の不幸ではないだろうな?
数分間だったのか、それとも数十分にも渡る通話だったのか。不穏な何かを感じさせる通話が遂に終わる。リサ姉の手から、スマートフォンが滑り落ちた。
「……リサ姉? どうしたの?」
呆然とした状態で、リサ姉は床にへたり込んでいる。どんどん嫌な予感が広がっていく。一体何があったというんだ!?
「……杏奈が、虐待に遭っているって」




