第61話 初恋の理由
出掛ける準備を済ませた俺は、リサ姉と雫さんに合流した。電車に乗って繫華街へと向かい、先ずはデパートへ。
雫さんの目的はアパレルショップを回る事だった。自分の衣装デザインをする上で、参考にする事が目的だという。
特に良かったものは買って帰るそうだ。勉強の為とは流石だ。夢や目標があると、何歳になっても勉強するのか。
俺はもう勉強なんてやりたくない。大学まで終わらせたのだから、もう十分だろう。あまり頭を使うのは好きじゃないし。
「やっぱ連休やし、人が多いなぁ」
本日のリサ姉は、黒いキャップを被っている。肩の出るオフショルダーのトップスに、ダメージジーンズとスニーカー。
ボーイッシュな雰囲気を纏いつつ、女性としての魅力もしっかり出ている。凄く綺麗だし、実年齢よりかなり若く見える。
今でも十分若いけれど、俺とそう変わらない年齢に見えている。やはりボーイッシュさが、そう感じさせるのか。
「仕方ないわよ、夏休みでもあるのだから」
オリーブ色のワンピース姿の雫さんは、逆に大人の落ち着いた雰囲気が漂う美しさだ。ウェーブをかけた長い黒髪が良く映える。
どちらも違った良さがあって良い。こんな2人と連休を過ごせるだけで、凄く有難い話である。相変わらず贅沢をさせて貰っている。
「2人とも、あまり離れないでね」
「ほなこうしててエエ?」
いつものように、リサ姉が腕を組んで来た。もう慣れた事だから、良いよと返しておく。そんなリサ姉を、雫さんが微笑ましそうに見ている。
外で雫さんがベタベタして来る事はない。その辺りはいつも通り、ハッキリと区別している。夜になるとまた違うのだけど。
それにしても、やっぱり雫さんの行動の結果だろうか。どんどんリサ姉が、俺に触れて来る機会が増えている。前よりもずっと多い。
俺としては嬉しいし、可愛いところを沢山見られてお得だ。やっぱりリサ姉は、とても可愛い女性だ。昔からずっと変わらない。
こうしているだけで、とても安心感も得られている。やはり俺は、リサ姉が好きだ。ただ自信が持てないというだけで。自分自身の気持ちに。
「2人共、早くいくわよ」
「あ、うん!」
俺達は雫さんの後を着いて行く。人混みを掻き分けながら、繫華街の中を進む。前を歩く雫さんの背中は、いつも通り綺麗な曲線を描いている。
美人で頼りになって、愛嬌も持ち合わせている魅力的な女性。凄く好感の持てる人で、面倒見も良いからいつも感謝している。
でもやっぱり、リサ姉を超える事はない。隣で笑っているこの女性とは、やっぱり好意の種類が違う。良い機会だし、少し思い返してみようか。
俺がリサ姉を初めて好きになった時を。一体いつだっただろうか? この人を好きになったのは。随分昔の事で、詳しく思い出せない。
「あ、このスカート、雫に似合うんちゃう?」
「どれ? うーん……私より理沙の方が良いと思うけど」
2人が楽しそうに買い物をしている姿を眺めながら、俺は過去を思い出している。リサ姉と初めて出会った後、過ごして来た日々の記憶を。
娘の杏奈ちゃんと、リサ姉と一緒に過ごす日々は楽しかった。色んな事があって、大変な時もそれなりにあった。本当に、色々とあった。
その繰り返しの中で、明確にリサ姉へと恋心を抱く切っ掛けがあった筈だ。あの気持ちを思い出せれば、一歩前へ進めると思う。
既婚者だと分かっていても、本気で好きになったあの気持ちを。かつて俺が、諦めと共に捨ててしまったリサ姉への本当の気持ち。
ただ世話をしてくれるからとか、綺麗な人だからとか、そんな浅い理由では無かった筈だ。ちゃんとした理由が、俺の中にあったと思う。
「あら? 浴衣ですって、理沙もどう?」
「え~? でも今更着る機会があらへんし」
2人は浴衣が並んでいるコーナーを見ている。近くには男性向けの甚平が置かれている。涼しそうで、部屋着に良いかも知れない。
そんな事を思いながら、脳裏では過去を思い返し続ける。そう言えば浴衣姿のリサ姉は、何回か見た事があったな。結構昔の話だけど。
確か最初の頃はお祭りで着ていたんだよな。でも杏奈ちゃんが大きくなるにつれて、段々着ないようになって行った。
雰囲気が少し和風になるからか、印象が結構変わるんだよな。初めて見た時は、正直お姫様だと思ったぐらいだ。
単なる浴衣に過ぎないのに、歴史の授業で出てくる姫に見えた。大袈裟な感想だったし、今なら笑い話にしかならない。何だよ姫って。
「来月花火大会があるじゃない? 一輝と行って来たら? 私は花火、興味ないけど」
「あ~雫は昔からお祭りとか行かへんもんなぁ。一輝君はどうや?」
いつの間にか、花火大会へ行く話に変わっていた。来月になったら、近場でお祭りが行われるのは知っている。
「俺は行っても良いよ。リサ姉とお祭りなんて、凄く懐かしいし」
「え~ほんなら浴衣買う~?」
もう何年もリサ姉の浴衣姿は見ていない。また見られるなら見たい。素直にその要望を伝えると、上機嫌で購入を決めるリサ姉。
じゃあ俺も、合わせる為に甚平を買おうかな。部屋着用とはまた別に。問題は俺の無駄にデカい体に、すんなり合うサイズが売っているかだ。
3人であれこれと話ながら、俺達は買い物を続けていく。このデパートでの用事は済んだから、次のデパートへ行こうとした時だ。
1人の男の子が、通路で泣いている姿を見つけた俺達。こんな分かり易い迷子もないだろう。そう思う頃には、リサ姉が話し掛けに行っていた。
「……相変わらずだなぁ、子供の事になると」
「それが理沙の美徳よ」
俺と雫さんも後に続き、泣いている少年の下へ向かう。見た感じ3歳ぐらいだろうか。まだ背も低く、話す言葉も幼いままだ。
しかしそんなのは、リサ姉にとって問題にならない。子育てで培った、対子供のスキルはとても高い。根気よく話し掛けて、母親とはぐれた事を突き止める。
見事な手腕を発揮したリサ姉は、りょう君という3歳の男の子を手なずけている。泣いていた筈の彼は、もう涙を流していない。
リサ姉はしゃがみこんで、子供の目線の高さを合わせて、りょう君に優しい言葉を掛けている。
これじゃあまるであの時の――あの時って……何だっけ?
「うんうん、男の子やもんな! 我慢出来るか?」
何だこの既視感は……俺、こんな光景に覚えがある。こんな傍からの視点じゃなくて、もっと主観的な視界で見た記憶が……。
「……うん」
「エエ子やな! きっと将来、かっこええ男になれるで!」
今起きている事なのに、過去の記憶が重なって見える。中学時代じゃない、もっと前だ。小学生ぐらいの頃の俺と、この子が重なって――。
ああ……そうだ……そうだった。俺がリサ姉に初めて、恋心を抱いた瞬間。この人を守れるぐらい強くなろうと、心に決めた瞬間。
ただのお隣に住む母親代わりや、姉代わりでなくなった日。あれは俺が11歳だった時の事だった。学校で喧嘩になって、でも俺は堪える必要があった。
その時点で柔道を習っていた俺は、相手を簡単に倒す事が出来る。ただしそれは、教えを破る事になる。だって相手は、格闘技を習っていない。
道場の外で、柔道の技を使ってはいけない。同級生へ使ってはいけない。その教えを守って、俺はただ耐える道を選んだ。
だけど勝てる相手に何も出来ない事が、凄く悔しかった。俺はやり返す事が、許されていないから。
『ちゃんと我慢したんや! 誇りに思ったらエエ!』
忘れていた記憶の中のリサ姉が、俺の頭を撫でながら話している。俺は何も悪くないと、優しい言葉を投げ掛けてくれている。
『勝てるのに手ぇ出さんかった、凄いやんか。かっこええやん!』
学校に来られなかった父親の代わりに、学校へ来たのはリサ姉だった。リサ姉に笑われてしまうかと思って、腫れた頬を見られたくなかった。
だけどリサ姉は、俺を笑う事は無かった。むしろ良く我慢したと褒めてくれた。負けたみたいで悔しかった俺の心に、リサ姉の言葉が染み渡った。
『一輝君は大人になったら、かっこええ男になるで!』
あの日リサ姉に、俺は本気で恋をした。こんな人と結婚がしたいと思った。そうだ、あの日から俺の理想は、リサ姉になったんだ。




