第58話 雫の趣味と夢
今日もまた俺は、雫さんの家に来ている。そろそろ見慣れて来た風景の中に、最近気になっているものがある。
寝室の本棚に置かれている数冊のスケッチブックだ。旅行の時に言っていた、衣装の絵が描かれているのだろうか。
まだスーツ姿のままで俺は、雫さんのベッドに座ったまま本棚を眺めている。今は雫さんがシャワーを浴びている最中だ。
正直スケッチブックが結構気になっている。どんな衣装の絵を描くのだろうとか、段々と興味が湧いて来た。
ただ勝手に触るのもどうかと思うから、手を触れるのは控えている。せめて本人に聞いてからにするべきだろうと。
「お待たせ一輝……どうかした?」
バスローブを着た雫さんが、お風呂場から出て来た。非常にセクシーで魅力的だが、今はそれよりも聞きたい事がある。
「あれって、衣装が描かれているんですか?」
俺は本棚を指差し、スケッチブックに視線を向ける。その周囲には、デザインに関係する本が置かれている。だから多分、そうだと思うんだけど。
「……ええそうよ。気になるかしら?」
「そうですね。ちょっと気になってます」
一瞬悩むような素振りを見せた雫さんは、スケッチブックを抜き取り手渡してくれた。見ても良いという事だろう。
適当に選んだ1冊をパラパラと捲ってみる。するとそこには、物凄く丁寧に描かれた衣装の案が並んでいた。
空白には色々な説明が並んでおり、どんな素材を使うか等も描かれていた。素人からみれば、もうこれだけで十分服が作れそうに見える。
中には派手なドレスなども含まれており、スカートの細かい柄までしっかりと描き込まれている。
俺にはプロのデザイナーが描いたものと、違いなんて区別がつかないだろう。既にプロ級じゃないかと思っているぐらいだ。
「す、すげぇ……これ、もうプロになれるのでは?」
「そうもいかないわ。まだまだ実力が足りていないのよ」
そう言いながら、雫さんはも自分が描いたデザインを見ている。その姿はどこか悔しそうで、普段見せない空気がある。
ここまで描けても、ファッションデザイナーにはなれないのか。何も知らない俺には、何が足りないのか分からない。
雫さんが言うには、コンテストに何度か出した事があるらしい。だが今のところ受賞した事はないのだという。
一体どれだけ厳しい世界なのだろうか。細かな線まで美しく、もう芸術の域だと思うのだけれども。
「ただ絵が上手いだけじゃだめなの。センスやその時の流行、流行りそうなデザインかどうかも大事だから」
「そ、そうなんですか」
この中から何着か、実際に作成した事もあるらしい。ただその全てが、受賞する事なく終わっている。
駄目だった衣装は、自分で着るか友人へ譲っているらしい。出来次第ではネットで販売もしているそうだ。
ただブランドとして立ち上げられる程の売れ行きではなく、趣味の範疇を出られていないらしい。難しい話だよな、個人でブランドを作り上げるなんて。
「やっぱり憧れは捨てられなかった。いつか自分で、服を作って売る夢が」
「夢があるって、羨ましいです。俺には、特にないから」
どうなりたいか、なんて考えても思い浮かばない。柔道は好きだったけど、日本代表を目指す程かと言えば違う。
父親のように警察官になりたいとは、思った事がない。俺が目指した未来は、平凡に生きられたらそれで良いというだけ。
お金持ちになるのは大変そうだし、下手な賭けに出るのも嫌だ。投資だなんだと、手を出す気にはなれない。
そもそもお金持ちなれたとしても、やっぱりやりたい事がない。欲しい物が特別あるわけでも無いから。高級時計や車なんて、全然興味がない。
「読者モデルをやっていた時の写真とか、残ってないんですか?」
「……今日はやけに知りたがるわね? 私の事を知ってどうするのよ」
美人上司と仲良くなったから、というのもある。どんな人生だったのだろうと、興味が湧いているのだ。シンプルにただ知りたいだけ。
「単純に興味本位というか、人生経験? みたいな」
「何それ。まあ良いわ」
雫さんはスマートフォンを持って来て、画像を見せてくれた。かつての夢と情熱を、思い出したい時に見返しているらしい。
読者モデル時代の雫さんは、如何にもクールなギャルと言った感じだ。俺の学生時代には流行っていなかった、ルーズソックスを履いている。
最近またブームが来ているとか、ネットで見た気がする。分かり易いギャルのイメージそのままの姿で、雫さんが写真に収められている。
物凄い美少女であり、きっと誰が見ても否定なんて出来ないだろう。衣装も含めて、とても可愛い姿だ。
そんな事を思わず考えてしまう程、魅力的な雫さんが居た。様々な衣装を着て、ポーズを決めている。正直凄くカッコイイ。
「カッコイイですね。凄く人気だったんじゃないですか? 男子だけじゃなくて、女子からも」
「……そうね。ラブレターを貰った事が何度かあるし、後輩の女の子から告白もされたわ」
だろうなと思う。こんな女子が学校に居たら、人気を集めるに違いない。しかもリサ姉まで居たのだから、当時は凄かっただろうな。
人気者のトップとして、注目を集めていたのだろう。その分色々とあっただろうけどさ。良い事ばかりでは無かっただろう。
それこそナンパとか、ストーカーだとか。美人は得と言うけれど、必ずしもそれだけだとは思わない。負の面は必ずある筈だ。
様々なアレコレを乗り越えて、今があるのだと思う。そしてこれからも、この美しい上司は前へと進んで行く。きっとデザイナーとしても。
「どう? 満足したかしら?」
「ええ、ありがとうございます。俺、応援してますから」
いつかきっと、プロのデザイナーとして成功して欲しい。10代の頃から、ファッションに携わって来た人の努力。
報われないよりも、報われた方がきっと世の中の為だ。モデルをやっていた女性の考えた服が、誰かの琴線に触れる事もある筈だ。
良い服を着られた時、購入する時は楽しいものだ。俺だって多少は気にしているから、良い物を買えた時の喜びが分かる。
俺は男性だから、雫さんが考えた服を着る機会はないだろう。でもリサ姉が着る未来なら、不可能じゃないだろうから。
「どうしたの今日は? 貴方が落とさないといけないのは、私じゃないでしょう?」
いつも以上に柔らかな表情を見せる雫さんは、揶揄うように俺を見ている。これは勘違いさせてしまっただろうか。
「口説こうとしたんじゃありませんよ。ただ純粋に、そう思っただけです」
「……そういう事にしておいてあげるわ」
夢に向かって頑張る人を、俺は応援したいと思う。だって俺には、語れる程の夢がないから。ちょっとした目標ならあるけど。
そんな俺からすれば、雫さんを応援するのは推し活みたいなもの。インフルエンサーやVtuberに、投げ銭をするみたいな感覚。
頑張っている姿を見ていると、俺も頑張ろうと思えるから。自分から動くのではなく、牽引して貰うようなものか。
「さあもう良いでしょう。一輝もシャワーを浴びて来なさい」
「はい。お借りしますね」
そう長い会話では無かったけど、また少し雫さんと仲良くなれた気がする。想いを知れたからだろうか。
こういう日は気分が良い。単に雫さんとセックスが出来るからではない。美人上司の新しい一面を見られたという、そういう喜びだ。
会社で俺だけが知っている雫さんの夢。いつか叶えて欲しいと思う目標。雫さんの事を、より人として好きになれたと思う。
だけどやっぱりこの気持は、リサ姉へと向けるものとは違う。やっぱり俺にとって、リサ姉は特別なのだろう。
それはそれとして、今日も色々と教えて貰う事となった。どれだけ雫さんは、性的な事に詳しいのだろうと、改めて戦慄させられた。




