第41話 上司と部下
俺とリサ姉が住んでいるマンションから、地下鉄で2駅の距離に高嶺部長の自宅がある。
ワンルームの我が家と違い、高嶺部長の暮らすマンションは大きくて綺麗だ。オシャレなマンションで、普段のイメージと合っている。
ただそのイメージも、この土日でかなり変わってしまったけれど。元々はギャルで、今はセフレを求めているというのだから。
そんな高嶺部長が暮らしているマンションは、当然オートロックだ。色々と世間は物騒だから、オートロックの物件は地方でも多い。
俺とリサ姉が住んでいるマンションも、ちゃんとオートロックが付いている。リサ姉や高嶺部長みたいな美人なら、今や必須の条件だろう。
俺は高嶺部長からメッセージで教えて貰った、部屋の番号を押して呼び鈴を押す。808号室が高嶺部長の家だ。
『いらっしゃい間島君。今開けるわ』
「お、お願いします」
入り口のロックが開錠され、俺は高嶺部長の部屋を目指す。1階のホールから既に、家賃が高そうな内装をしている。
月10万は超えていそうだ。きっと俺には出せない金額だろう。綺麗なエレベーターで8階へ上がり、高嶺部長の家の前に到着。
本当に入って良いのかという気持ちと、今更怖気づいても仕方ないという気持ちが、俺の中で争う。もう遅いのだが、凄く悩ましい。
ただ高嶺部長をいつまでも待たせては迷惑だし、思い切って俺はインターホンを押した。暫く待っているとドアが開く。
「さ、上がって頂戴」
「お、お邪魔します……」
初めて入った高嶺部長の家は、玄関から何だか良い匂いがする。ルームフレグランスの類だろうか?
俺は用意されたスリッパを履き、高嶺部長の後を着いて行く。当たり前だけど、高嶺部長は私服姿だ。
紺色のロングスカートに、真っ白なTシャツを着ている。スーツ姿しか知らないから、とても新鮮に見える。
家ではそうしているのか、腰まである黒髪を後頭部で縛っていた。普段は見えないうなじが見えていて、少しドキッとさせられた。
わざとじゃないよな? セフレなるからと、意図的に性を意識させられているのか? どういうつもりか、俺には分からない。
「そこに座って」
「は、はい」
俺はリビングにあるソファへ腰かける。多分、この家は2LDKぐらいか? 結構広々としている。
高嶺部長が冷たいお茶を出してくれたから、とりあえず一口飲んでおく。さて、これからどうするべきか。
何から切り出せば良いのだろう? いきなり本題からで良いのか? それとも雑談から入った方が良いだろうか。
「理沙から聞いているでしょう? 私が何を望んでいるか」
俺が悩んでいる間に、高嶺部長から直球を投げて来てくれた。自分から女性を相手に、セフレの話を投げ掛けるのは抵抗感があった。
正直かなり助かった。異性というのもあるし、会社の上司でもある。俺とセフレになりたいんですか? なんて自分から聞けるかよ。
「その……本気、ですか?」
「間島君をセフレにしたいという事? もちろん本気よ」
冗談、という事はないだろう。全然そんな空気ではない。俺達の関係を思えば、セクハラやパワハラになりかねない発言だから。
上司からの性行為の強要なんて、コンプライアンス違反どころではない。下手をすれば、犯罪としてニュースになってしまう。
それだけの発言を、高嶺部長はしている。今更冗談でしたと言っても、かなり不味いだろう。
「何故、そんな事を?」
「セフレが欲しい理由? それとも間島君を選ぶ理由?」
「両方ですよ。どうしてですか?」
俺はまだ高嶺部長の事情を何も知らない。どうしてセフレが欲しいのか、どうして俺なのか。
リサ姉からのまた聞きではなく、本人の意思をちゃんと聞いておきたい。でなければ、何と返事して良いのか分からない。
断るにしても、受け入れるにしてもだ。どちらであっても、事情を先ずは知っておきたい。適当に流れで関係を持つ気はない。
こんな美人とセックスが出来るなら、気にせず受け入れてしまえ。普通はそう思うのかも知れないが、俺はそう思わない。
ちゃんと話し合った上で、どうするか決める。リサ姉との事は、一旦置いておく。今は重要じゃないから。
「ストレスの解消が一番の理由かしら。間島君を選ぶ理由は、好みもあるけど面倒臭くなさそうだからよ」
「め、面倒くさくない? どういう事です?」
本当に好みと思ってくれているらしい。それは単純に喜ぶべきところだ。高嶺部長みたいな美人に、そう思われたのだから。
ただ面倒臭くなさそう、という部分がよく分からなくてつい聞いてしまった。高嶺部長は、俺の疑問に答えてくれた。
セフレという関係だけで良い。そう約束したのに、相手が交際を求めて来る事が多いそうだ。今まで関係を解消して来た理由は殆どそれ。
酷いと婚約を迫って来て、ストーカーみたいになってしまうらしい。だけど俺からは、そういう男性の匂いがしないそうだ。
「だって間島君、理沙が好きでしょう?」
「す、好きと言っても、幼馴染に向けるような感情ですよ?」
俺がリサ姉に向けている気持ちは、恋愛としての好きではない。また恋をしてしまいそうになっているが、今のところは違う。
初恋をした時のような、あの感覚とは違う。別れた彩智へ向けていた感情とも、また違っている。昔馴染みとして、好意を持っているだけ。
そりゃあリサ姉が俺を選んでくれるなら、とても嬉しいよ当然。でもそうはならない。交際はしないと言い切られている。
だからそんな未来は来ないし、俺達はただ傷の舐め合いをこれからも続けるだけだ。どちらかが、次の相手を見つけるまで。
「だから私は安心出来る。その上、好みの男性とストレス発散が出来る」
あんまり好みと言われると、少し恥ずかしいから控えて欲しい。俺はそんなモテる男だと思っていないから。
しかも高嶺部長みたいな、魅力的な女性から言われている。連呼されると嬉しいより恥ずかしいが勝つ。
「それに間島君、貴方にもメリットがあるわよ」
「……高嶺部長みたいな綺麗な人と、セックスが出来るって事ですか?」
確かにそれは大きなメリットだけど、リサ姉で満足出来ているからなぁ。別の誰かを求めてはいない。
リサ姉が言うように、違う女性も知っておけというのも分かるけど。圧倒的に経験不足なのは、紛れもない事実なのだから。
そのせいで彩智にはフラれてしまい、今の状況があるのだ。反論の余地がないのは確かだ。経験を積む必要があるのは分かる。
「そうじゃないわ。理沙は貴方に惹かれている。でも意地を張って、意見を変えようとしない。昔から理沙は、恋愛絡みだとそういう一面があったわ」
「……リサ姉が、俺を? そんな筈ないですよ……」
だってリサ姉は、笑顔で俺を送り出した。本当に惹かれているなら、嫌がる素振りを見せる筈だ。
でも全然そんな様子は無くて、モヤモヤした気持ちになった。あれで本当に惹かれているのか? とてもそうは見えない。
あくまでただのセフレとしか、見てくれていなかった。少なくとも俺にはそう見えた。仲が良いのは元々で、特別な感情から来た好意ではない筈。
「いいえ、理沙は間違いなく間島君が好き。でも意固地になっている。だから間島君、私のセフレになって理沙を焦らせなさい」
「ど、どうして、そんな事を……」
そんな事をして、リサ姉の意見が変わるのだろうか? 意見を変えさせて、俺はどうするつもりなんだ? 何も決めていないだろうに。
けれど何故か、俺は高嶺部長の提案に興味を持っている。リサ姉がバツイチだからと、気にしなくなったら。
俺が高嶺部長の所へ行く姿を見て、嫌がるようになったら。本当にリサ姉が俺の事を好きで居てくれるのなら。
本当にそうなったら、俺はリサ姉と付き合う事が出来るのか? 初恋のお姉さんと、結ばれる事になるとしたら――。
「私は満足出来て、貴方は理沙の気を引ける。Win-Winじゃないかしら?」
俺の中から断るという選択肢どんどん消えていく。初恋が成就するかも知れないという誘惑に、俺は抗えなかった。
具体的なプランが何かあるわけではないのに、俺は気が付けば高嶺部長の手を取っていた。




