第35話 2人の日常
本格的に夏が訪れ、蒸し暑い日々が続いている。通勤が中々に過酷だし、営業部はずっと会社に居ない。
車のエアコンは効き出すまで時間が掛かる。暫く停めて置いた営業車は、まるで蒸風呂みたいだ。
ずっと屋外で作業する仕事よりはマシだが、辛いものは辛いし暑い事に変わりない。
どうにか耐えながら、業務をこなす日々。仕事に慣れて来た頃には、この暑さが障害となる。
「あちぃ……」
ギラギラと照りつける日差しを恨みつつ、取引先の駐車場で車のドアを開ける。
時刻は15時と、特に気温が高い時間帯だ。午前中に熱された地上は、昼間に最高潮を迎える。
そんなに長い時間放置してはいないのに、車内はとんでもない熱気を保っている。
サウナと化した車内でエンジンをかけ、エアコンを最大にするが熱気は消えない。
窓を全開にして換気をしつつ、車を発進させる。あとは会社に戻るだけだ。
「営業って、思ったより大変だな……」
春はここまで暑く無かったから、何とかなっていた。だが夏はこうも過酷だとはな。
商品開発部辺りを、希望すれば良かった。難しい事を考えたくないと、無難そうな部署を選んだ末路だ。
業務自体は何とかなっても、この暑さはどうにもならない。夏の太陽がただ恨めしい。
そんな事を考えながら帰社すると、玄関口で高嶺部長が出迎えてくれた。
「お疲れ様、間島君。暑かったでしょう」
「今戻りました。エグい暑さでしたよ……」
唯一の救いは、上司に恵まれている事だ。今日も美しく魅力的な女性が労ってくれる。
営業先であった話を伝えつつ、社内を歩いていく。途中で自販機に立ち寄り、缶コーヒーを奢って貰った。
冷たいコーヒーが、熱気でやられた肉体に染み渡る。エアコンの効いた屋内は快適だ。
「この調子で頑張って頂戴」
「はい! ありがとうございます」
高嶺部長は去っていく。2人で酒を飲んで以来、高嶺部長とはかなり仲良くなれた気がする。
プライベートの話もそこそこするようになった。趣味の話とか、最近はたまにしている。
一緒にお昼を食べる機会は減ったものの、休憩時間などは良く会話している。
怖くないのかと、同期達からは良く聞かれる。その度に優しい人だよと返している。
やはり社内で根付いたイメージは、簡単に払拭出来ないという事なのか。
確かに厳しい面はあるけれど、それは高嶺部長の一部でしかないというのに。
こんな女性が恋人なら、とても頼りになって良いと思うのだけれども。
難しいよな、第一印象ってさ。俺も大概見た目だけで、他人から怖いと思われるし。
高嶺部長が怖い人じゃないと同期達に知って貰うには、何かしらの機会がないと難しいのかな。
そんな事を考えている内に、終業時刻を迎えて俺は帰路に着く。
(真夏の満員電車は辛いなぁ)
大学時代と違い、電車に乗るタイミングはいつも満員だ。寿司詰め状態で揺られている。
幾らエアコンが効いていても、人があまりにも多すぎて涼しくない。
地方でこれなのに、東京はこれ以上だと言うから恐ろしい。本社勤務にはなりたくないな。
本来なら栄転と喜ぶべきなのだろうが、俺としては今のままで良い。
それなりの人生で構わないし、今が十分充実している。だって会社には美人上司、帰ればリサ姉。
お金を払っても手に入らない環境が、既に整っているから。
満員電車から離脱して、自宅のあるマンションまで歩く。駅近を選んで正解だった。
夕方でもこれだけ暑い中で、長い距離を歩きたくない。徒歩10分までが許容出来る限界だ。
体力的には30分歩いたって平気だ。それが涼しい季節であるならば。
あまりに暑くて不快な事と、体力的に辛いかは別の話だ。昭和の根性論ではないのだから。
「あっちぃ〜!」
帰宅した室内は、屋外に負けない熱気が籠もっている。室温は30℃を超えている。
俺は急いでクーラーをつけて、先ずは除湿モードにする。ジトッとした湿気がとても不愉快だ。
室温が下がるのを待ちつつ、荷物を片付けてシャワーを浴びる。
あまりに暑いので、お湯ではなく水のまま。冷たい水が心地良い。熱された体が冷えて行く。
一通り汗を流した後は、明日の準備を終えてからリサ姉の家へ。今週はリサ姉の家でご飯だ。
「ただいま〜」
「お帰り一輝君!」
リサ姉にお帰りと言って貰える日々。かつて当たり前だったやり取り。
子供の頃はこれが当たり前で、昔の俺にとっての日常だった。
俺に彼女が出来てから、徐々に失われていった過去。それがまた帰って来た。
美人で可愛いリサ姉の関西弁が、俺に安心感を与えてくれる。今日も変わらず魅力的だ。
姉代わりであり母親代わりでもあった、俺の憧れの女性がこうして共に生活している。
「今日も暑かったなぁ。電車通勤大変とちゃう?」
「人が多すぎてさぁ。もうちょっと少なかったらマシなんだけど」
満員電車の愚痴を溢しつつ、リサ姉と雑談をする。近所で働いているリサ姉は、俺より帰宅が早い。
既にエプロンをして、夕食の準備に入っている。まだ始めたばかりみたいだ。
今日は何を作ってくれるのだろうか。今から楽しみでしかない。
リサ姉と2人で過ごす日々なんて、永遠に来ない筈だった未来。妄想でしか成立しない関係。
だが今はその有り得ない話が、成立してしまっている。ほぼ毎日2人で過ごしている。
それどころか、殆ど毎日一緒に寝ているのだ。まさかこんな事になるとはな。
「ごめん一輝君、お皿とってくれへん?」
「良いよ〜」
こうなったのは、お互いに別れが起きたから。リサ姉は離婚、俺はフラレた。
不運に見舞われた同士で、馴れ合いをしているだけ。そんなのは重々承知の上だ。
仮初の幸せを享受しているだけで、本来の幸福とは違うのだろう。
だけど俺には、今この時間が心地良い。ずっとこの時間が続いて欲しい。
リサ姉の幸せを願いながら、こんな事を考えるのは間違っている。
「今日も美味そうだ」
「好きなだけ食べてや〜」
だけど俺は求めてしまう。リサ姉と過ごすこの時間を。こうして共に暮らす毎日を。
リサ姉の作った夕食を食べて、食後も2人で共に過ごす。ドラマや動画を観ながら酒を飲む。
21時を過ぎる頃には、どちらからでもなく自然と手を絡め合う。
距離が近くなって、リサ姉の良い匂いが俺を包み始める。気づけばキスをして、抱きしめ合っている。
「一輝君……」
「リサ姉……」
名前を呼び合いながら、スキンシップを重ねていく。お互い薄着だから、肌の触れ合う部分は自然と多くなる。
相手の体温を確かめ合うかのように、体全体で求め合う。ゼロ距離で貪るような触れ合いを重ねる。
都合の良い愛情を求めて、俺達は重なり続ける。誰かが必要としてくれていると、確かめ合う行為だ。
気づけば俺達は裸になって、繋がっている。何度行為を重ねても、全く飽きる事はない。
むしろ回数を重ねる毎に、魅力が増しているように感じている。
「ふふ、今の良かったんや」
「正直ヤバかった」
子供の頃は知らなかった、リサ姉の妖艶な姿。こんなのを見せられて、平然としていられるわけが無い。
目の前のお姉さんに意識を支配されて、何も考えられなくなる。
ただただこの女性を満足させたいという思いだけが、俺の思考を塗りつぶしていく。
好きとか愛情とか、そんなものとはまた違う感覚。生き物としての本能に従うのみ。
「ちょっ!? ちょお待ってーや!」
「ごめん、それは無理」
勢いに任せた行為は、理性を吹き飛ばしてしまう。体力の続くままに繰り返す。
筋力と体力だけなら自信はある。リサ姉の静止を無視してぶつけ続ける。
全てが終わった後で、リサ姉は少し恥ずかしそうに苦情を告げて来た。
「ストップって、言うたのに……」
「だって、リサ姉が可愛かったから」
全裸で重なり合いながら、俺達は余韻に浸る。真夏になっても、俺達の日常は変わっていない。




