その9 旅が始まる
曇ってはいたが、雨は上がっていた。
かつての部下と合流して、タニアの従兄弟が住むというレベント侯領の領都を目指す。
自分が住んでいた村が、レベント侯領の端っこだと昨日初めて知った。
「小隊長殿。」
イルスが声をかける。
「小隊長じゃねぇ。」
「じゃあ、・・エシル様。」
久しぶりに自分の名前を呼ばれて、こそばゆい。
「様、はヤメろ。」
「ええー。」
イルスは困って、眉尻を下げた。彼は騎士階級。エシルは貴族。気安くはしているが身分が違う。
「エシル殿、では?」
エシルは、空を見上げて、雲が急速に吹き飛ばされていくのを見やった。
「怠け者。」
「は?」
「フェナン(怠け者)と名乗っていた。それで行こう。」
「ええー。」
隣で、従弟のサールが声を立てずに笑っている。
「そんな事言ったって、通行手形の名前は本名でしょう。」
「あ。」
城門を通るのに、通行手形を門番に見せないとならない。
「ないと入れないか。」
「仮手形を発行してもらえますけどね。ご存知でしょう。」
ご存知だった。でも発行に二日かかる。
本名で通れば、父に居場所がバレる可能性があるが、日を無駄にしたくもない。
「仕方ねぇ。エシルなんてよくある名前だしな。」
「そうっすね。むしろ、変に偽名を使ったほうが、よほど怪しまれるかと。」
サラリと言われて、エシルは凹む。
「変な偽名か?」
「センスはないッスね。よくそれで、生活出来ましたよね。」
イルスに突っ込まれて、エシルは広い肩を小さくした。
「言いたい事を言う奴だな。」
「ま、この際なので。」
イルスは楽しそうに、元上司と馬を並べる。
「急にいなくなったんで、すごく大変でした。」
「それは済まなかったな。」
「まぁ、おかげさまで出世しましたが。」
「そうか。お前は良い隊長になるだろうと思っていたさ。」
「いやぁ。やりにくくて。」
パコパコと馬を進めているうちに、時々薪を納めに来る町を過ぎる。
「少し飛ばしましょう。」
と言われて、馬を駆けさせる。
延々続く田舎道を小半時ほど駆けると、また家が徐々に増えて来た。
やがて領都の城壁が見えてくる。
「変な小細工は無しです。」
イルスに釘を刺されるが、確かにさらっと城門を通された。拍子抜けする。
まっすぐに、役所に向かう。
そこにタニアの従兄弟がいるはずだった。
「いや、こちらには来ておりません。」
しかし名前を告げて呼び出してもらったタニアの従兄弟は、困ったようにそう言った。
「八年前に叔母が死んでからは、一度も会っておりません。」
タニアの家は、代々エルデム将軍家に仕えている。親戚もほぼ王都に住んでいる。でなければ、エルデム将軍の領地だ。
タニアの母はレベント侯に仕える騎士階級の出身で、たまたま王都軍出征の折にタニアの父と知り合って結婚したと聞いている。
「他に母方の親戚や、近しい友人は知らないか?」
タニアの母は、四人兄姉があったが、既に二人は亡くなっており、従兄弟も何人かは別の土地に移ったという。
「タニアがこの町にいるんだったら、私の耳に入るでしょうが。そもそも私でさえそれほど親しくはなかったので、他の親戚を頼るとも思えません。」
それでも一応親戚の居場所を聞いて、手分けして当たったが、皆心当たりがないようだった。
「頼るんなら、父方なんじゃないかねぇ。」
と、タニアの伯母に忠告された。
「何しろ、ここは王都から遠い。女一人じゃとてもとても。」
聞かされたイルスは苦笑いする。
そんな事は分かっている。王都中あらかた調べて、まったく手掛かりがなかったから、ここまで来たのだ。
「仕方ない。収穫無しという事で、明日王都に戻りましょう。」
イルスの提案に、しかしエシルは頷かなかった。
「俺は王都へは行かない。」
「あー。元の村に戻りますか?」
「いや。」
エシルは愛馬の首を軽く叩いた。
「タニアを探す。」
イルスは呆れる。
「今の所、手掛かり皆無ですよ?」
「でも王都にいなかった事と、この町には来ていないことが分かっている。」
「あと、王都からここまでの街道沿いにも、それらしい娘はいませんでした。」
「うむ。なら、他の所はまだ探す余地がある。」
かつての副官は笑い出した。
「正気ですか。」
「どうせ暇だ。」
「分かりました。まぁそう言うだろうと思ってました。」
タニアにベタ惚れだったかつての上官は、二年たった今でも全然変わらない。
イルスは鞍袋から、金の入った袋を取り出した。
「探すのには金が要ります。」
「いらねぇ。ぼちぼち探すさ。」
「これは、タニア様を探すために、王太子殿下の私費から出ています。パァッと使ってやったらどうですか?」
遠征に出ている間に、横からかっさらうという王太子のやり方に、エシルならずとも腹を立てた者は多かった。
特にエシルが率いていた小隊の者は、隊長が幼馴染の美少女を、本当に大事にしていた事を知っていたから、尚の事だった。
「なんなら、もうちょっとふんだくって来ますが。」
イルスの言いように、エシルは破顔した。
「そうか。それなら、ありがたく使わせて貰おう。」




