その6 失踪
その後のエシルは、恐ろしいほど静かだった。
二日ほど部屋に籠っていただけで、暴れることも泣くこともなく、淡々と日々をこなしていく。
しかし、普段陽気で快活、怒る時も大声だが笑う時も大声、みたいな人物が、無言・無表情で淡々と仕事だけをこなしていたら、それはもう、怒っているのと同義である。
屋敷の中も、騎士隊の者も、ピリピリして落ち着かない。
「女にフラれたんすか。」
わざと軽口を叩くイルスにも、
「ふん。」
と鼻を鳴らしただけで、ほぼ無視。
不機嫌のかたまりみたいなエシルを扱いかねて、とうとう父のエルデム将軍にご注進に及んだ者がいたらしい。
ある日、将軍の執務室に呼ばれた。
一緒に住んでいるとはいえ、下っ端のエシルは朝早く出ることもあれば、夜勤の事もある。
一方の父は、十二いる将軍の中でも特に王都守護を任される大将軍の一人であり、月の半分は王宮に詰めて、軍務尚書と王都軍の配備について論じている。
滅多に顔を合わさない。
わざわざ呼び出されて、エシルのまず最初の返事は舌打ちだった。
「将軍に直接呼ばれるような用事はねぇ。」
それを伝えに来た副官のイルスは震えあがった。
彼は立場上、やれと言われれば、その言葉を将軍に伝えなければならない。
「なんか・・親子喧嘩っすか?」
「そんなもん、仕事に持ち込まねぇよ。」
いやいや、この十日ほどずっと不機嫌なエシルこそ、それを仕事に持ち込んでいるじゃないか、とイルスは思うが、さすがに口には出せない。
「普通に軍務かもしれないっすよ。とにかく、俺は伝えましたからね。」
と言い置いて、逃げた。
逃げられては仕方ない。
エシルはよっこいしょと、自分の小隊用の詰所の椅子から立ち上がった。
エルデム将軍は、王都の西の城砦を守護している。城砦は王都を囲む城壁と一つながりになっていて、ここを起点とする西への街道の門も管理している。
他にも、騎士隊を使って王都内の警備もするし、罪人を使って橋や街道整備などの土木工事を行うこともある。
下っ端でもそれなりに忙しく、常に千人前後がこの城砦でなにがしか働いている。
つまり、広い。
ため息をつきながら、かつて行った事がない将軍の執務室に向かう。ドアを開けると、およそ一か月ぶりに会う自分の父親がそこにいた。
「ご用ですか。」
短く聞く。そう言えば、こんな風に仕事場で会うのは初めてだった。
「機嫌が悪そうだな。」
息子そっくりの体格の父は、エシルを眺めてそう言った。
「まあ、上機嫌とは言えません。誰かさんのおかげで。」
エシルはむっすりと、そう返す。
「タニアの事なら、仕方なかった。」
「そう言うと思っていました。」
エルデム将軍は、頬髯が目立ついかつい顔立ちだが、エシルは、どちらかと言えば王都一の美姫と言われた母のアイカに顔が似ている。
「王太子に望まれたのだぞ。」
「そうですね。」
エシルの目は、壁に飾られた鷲羽国の国旗に向かっている。
妾妃になれば、正妃のように表に立つこともなく、後宮の奥で贅沢な衣食住を保証されながら暮らしていける。
将軍家の嫁になるよりも、タニアには合っているのかもしれない。
だとしても。
「止めようと思えば、止められたはずです。」
エシルは思う。父が一言、タニアは息子の婚約者だから、と断れば、すぐに流れたはずの話だ。
父に結婚の承諾をもらうのに、相当時間がかかった。何度頭を下げただろう。
「お前がそこまで言うなら仕方ない。結婚を認める。」
と、ほんの一ヶ月前にその口から聞いたばかりだ。
「お前には、将軍家にふさわしい、似合いの相手を探してやる。」
父がそう言ったので、エシルは視線を戻した。
「はは。」
思わず笑いが漏れた。
「なんだ。」
「いいえ。用事はそれだけですか。」
「うむ。下がってよい。」
恐ろしく丁寧な騎士の礼をして、エシルは踵を返す。
将軍家にふさわしいって何だ。
笑えるな。
その後、夕刻までは通常通り仕事をしていたエシルだが、退勤した後、行方が分からなくなる。
退勤時に、いつものように愛馬を城砦の厩から引き出したのを、厩番が見たのが最後になった。
彼の話が再度動き始めるには、二年を待たなくてはならない。




