その17
「まぁ。ずいぶん早かったのね。彼女は見つかったの?」
母は、廊下の隅で、小声で聞いた。エシルは頷く。母はホッとしたようだった。
「とにかく、お父様にご挨拶をなさい。」
促されて、父の部屋の中に入る。
まさか寝たきりかと心配したが、そうでもなかった。
ただ暖炉の前の敷物の上に、分厚いクッションを置いて座り込んでいた父は、確実に老け込んでいた。
人が入ってきた気配に、エルデム将軍は振り向く。
さすがに少し驚いたらしい。
「エシルか。」
「思ったよりお元気そうで。」
その後しばらくお互いに無言。日も暮れて、屋敷の中は薄暗い。
「俺がくたばりそうだと聞いたのか。」
「まさかそんなはずはないと思ってましたよ。」
エシルはうそぶくが、まあまあ衝撃はあった。
エシルの知る父は、豪胆にして覇気に溢れ、頑固で横暴、常にデカい声で相手を威圧にかかる。人形劇に出て来る山賊の頭みたいな男だった。小さい頃は、本当に父が恐かった。
今目の前にいるのは、ただのしょぼくれた中年に見える。
疲れた表情。ボソボソしゃべる声。
恐くも何ともない。そして、何ともないという事が衝撃だった。
「タニアは見つかったのか。」
「ええ、まあ。」
エシルが渋々頷くと、父はややホッとした表情になった。
「そうか。良かった。」
その言葉に、向かっ腹が立つ。
「良かったと?」
「お前にはすまない事をしたと思っていた。」
「今更?俺は何度も、タニアとの事は本気だと伝えてましたよね?出て行かなきゃ理解出来なかったんですか。」
「そうだな。」
エルデムは逆らわない。
余計に腹が立つ。
「とにかく」
言いかけて、エシルは話を終わらせる。目が回りそうだ。
「ちょっとメシを食って来ます。」
足を踏み鳴らすようにして、部屋を出る。
外に、母と従兄が待っていた。
「叔父上は何と?」
従兄が聞いた。エシルは吐き捨てる。
「何も言いやしない。すまなかったって謝られたさ。今更かよ。」
「お前はどうするんだ。」
「どうするったって。仕方ねぇ。俺の帰りを待っている女がいるんだ。そっちに帰るさ。」
テュルンは、アイカと顔を見合わせた。
そして
「戻って来ないつもりなのか?」
「何だよ。テミルを養子にするんじゃねぇのか。」
「それは一時的な措置だ。お前が帰って来るまでの繋ぎというか、目眩ましだ。」
「目眩まし?」
「当たり前だろ。総領息子が出奔しました、帰って来ません、なんて王宮に知れたら、あっという間にエルデム家は取り潰しだ。今だってお前は、うちの親父の手伝いで南方国境に行ってる事になっている。」
「取り潰し・・」
エシルの足元がふらついた。
そう言えば、朝から薄いパン一枚しか食べていなかった。
とにかくメシにしよう、と促されて食堂まで降りる。
「うちだって、嘘がバレたら同罪の取り潰しだ。」
他の者はもう夕食は済んでいた。
エシルのためだけの食事が運ばれてくる。
「俺が戻って来る以外に方法はないのか。例えば、テミルが難しけりゃ、誰か他に養子を取るとか。」
「そりゃ出来ない事はないがなぁ。だが、それをするには、お前を廃嫡・勘当しましたって届けが要る。本当にいいのか?二度と王都に戻って来られないぞ。」
意外に衝撃だった。
自分から出て行くのは「清々した」という気分だったが、「だったら廃嫡」と言われたら、それはそれで見捨てられたようで、辛い。
自由奔放でバンカラを気取っていても、そもそも貴族の跡取りとして大事に育てられた身だ。
目の前に並べられた料理の品々を見る。
感慨深い。
一人分の皿が何枚も出てくる。
家出する前は、それが当たり前だと思っていた。
領都ではどちらかと言えば、田舎料理だ。大皿でどんと出てくる。宿で出てくるのは一品料理。初めて出征した折に、薄いパンにハム一枚、薄いスープという食事でびっくりした事がある。今はもうすっかり慣れたが、大抵の家はそれが当たり前なのだ。
「エシル。戻って来たらいいじゃないの?タニアを連れて来なさい。」
アイカはガツガツ食べ始める息子に、そう言った。
「だけど、タニアは王都に戻るのを嫌がってるんだ。翡翠の君に見つかりたくないらしい。俺も今度こそ絶対に、彼女を手放したくないんだ。」
一息でスープを胃に放り込むエシルに、アイカはちょっと呆れるようだった。
「もう少しゆっくり食べて。タニアの事は大丈夫。王太子妃殿下に正式に王宮を出されていますからね。側室としての身分も終了。元の身分が復活しているのよ。あなたがタニアと結婚する事に、王宮は何も口出し出来ないわ。」
「そうなのか。」
エシルは、羊の肉の香草焼きをムシャムシャ頬張る。アイカはちょっと嫌な顔をする。
「食べ方が下品なのは許しませんよ。」
「気を付けます。で、今の話は本当?」
「本当ですよ。」
よかった。それならタニアも説得に応じてくれるだろう。
エシルが家に戻って来そうな気配に、テュルンも笑顔になる。
「ま、何もかも捨てて、好きな女を追いかけるなんて、若くなきゃ出来ないよな。報われて何よりだ。これで相手に子供でも出来てたら、目もあてられないところだった。」




