その15 日没
日は沈みかけている。
「もうお帰りください。」
タニアは窓の外へ目をやった。こんな田舎で、女一人暮らしの家に男が長居すれば、何を言われるか分からない。
「分かった。」
エシルは座り込んでいた床から立ち上がった。
「どうしても、俺ではダメか。」
聞いてみる。
タニアは何か言いかけて、唇を震わせる。
「何も持っていない、ただのエシルでも、駄目か。」
「ずっと」
タニアは両手で自分を抱くようにした。
「諦めてきました。遠いお方だと。だからどうしていいか分かりません。」
「遠くない。ここにいる。お前と同じ流れて来たもの、だ。」
エシルはタニアを覗き込んだ。
「泊まって行ってもいいか?」
タニアは涙をポロポロこぼし始めた。
「ダメか?」
ベッドは一つしかない。
「本当に、私でよいのですか?」
エシルは大きく笑んだ。
「お前が良いのだ。」
よい夜だった。
冬の冷気も二人の間には入り込む余地はなかった。
夜明け前に、赤ん坊の泣き声で起こされるまでは。
急いで起き出したタニアが、裸のまま赤ん坊を抱き上げて、お襁褓を替える。
小麦粉をお湯で溶いて、飲ませる。
その様子をベッドから見ていて、エシルは思う。
夕べは夢中だったから気にならなかったが、やっぱりひどく痩せている。
まだ十七の娘が、一人で子供を産んで育てるなんて、無謀過ぎるのだ。
「タニア。」
そっと声をかける。
「本当に、ここで子供を育てるつもりか?せめて、領都に来るつもりはないのか。」
「翡翠の君に、居場所を知られるような事はしたくないのです。」
タニアは即答だった。
だからって飢え死にしては元も子もないだろうとは思うが。
「分かった。」
エシルは起きあがって、タニアの肩に毛布を掛けた。
「だったら、俺もここに住む。」
「まぁ。」
タニアは部屋を見回す。
「こんな所に?」
「何とかなる。」
領内を虱潰しに歩き回ったからずいぶん時間がかかったが、場所さえ分かれば、馬で領都まで半日かからない。
なんなら通えるぐらいだ。
「少し待ってろ。夕方には戻る。」
手早く体を拭いて、昨日脱ぎ散らした服を身に着ける。
「誰かに俺の事を聞かれたら、『夫が来た』と言っておけ。名前はフェナン。」
タニアは思わずふふっと微笑む。
「それは、偽名ですか?」
「領主の息子が来ていたらまずいだろう。」
「『怠け者』はちょっと。もう少し無難な方がよろしいのでは?」
「せっかく考えたのに、評判悪いな。」
ぶつくさ言いながら、エシルは荷物の中から財布を取り出した。
「これで美味いパンを買っといてくれ。」
ずっしりと重い。
エシルはそこから二枚だけ金貨を取り出して、自分のポケットに入れた。
「泊まってた宿を引き払ってくる。ついでに晩飯になりそうな物も買ってくる。赤ん坊の新しい毛布も見繕って来よう。」
「こんな大金・・」
タニアに渡されたのは、慎ましく暮らせば、二年は保つ額だ。
「バラして、暖炉の灰の中にでも隠しておけ。」
「ふふ。絶対に誰にも見つからない所に隠しておきます。」
タニアはイタズラっぽく笑った。
ああ、この笑顔がまた見られるなんて。俺は幸せ者だ。
「じゃあ、ちょっと行ってくる。」
見送ろうとする半裸のタニアを、一度ぎゅっと抱き締めた後、外は寒いからと押し留めてドアを開ける。
放ったらかしにされていた愛馬が、不満そうに、ヒンヒンと鼻を鳴らす。
「すまんな。お前のことをすっかり忘れていた。」
胴を撫でて、少しなだめてから騎乗する。
窓からこちらを見るタニアに、軽く手を振って、手綱を鳴らした。
まずは、泊まっていた宿に向かう。
思っていたより、ずっと近い。
来る時は探しながらだから、パン屋に辿り着くまで半日かかったのに、まっすぐ戻ると、ほんの四半刻だった。
泊まっていた部屋を片付けて、宿代を精算しても、まだ日が昇ったかどうかという時間である。
「魚は買えたのかい?」
宿の主人にお釣りを貰いながらそう聞かれて、エシルは重々しく答えた。
「美味い魚だった。」
「そうか。そりゃ良かった。」
朝早く発つ客の為に、宿の朝は早い。
それに紛れて、エシルも宿を発った。
さて、と考える。
この先、タニアと暮らすとして、三年たったら一度領都に戻ると、母と約束している。
領都まで、馬なら片道二刻かからない。今なら夕方までに往復出来る。
一丁知らせて、安心させてやるか。
それに領都なら、食材も暖かい服も、ここより良い物が手に入る。
エシルは、飼い葉をたっぷり食べて元気いっぱいになった愛馬を引き出し、跨った。
元は、家から追い出されて終わりでしたが、あんまり報われなくて可哀想なので、救済してしまいました。。ガンバレ主人公。




