その13 白い旗
結果は空振りだった。
パン屋の主人は、似顔絵をまじまじ見た後、エシルを上から下まで見て
「知らん顔だな。」
と言ったのだ。
「そうか。まぁ仕方ないな。」
エシルは応じたが、内心では違和感がある。
ハズレの店では、似顔絵とエシルを見比べたりしないし、もう少し色々聞かれたりする。
ただ本当にハズレかも知れない。そこは分からない。
腹が減っていたので、店内のパンを一つ買う。
売れ残りだ。
朝焼きたてのパンは柔らかくて美味しいが、昼も過ぎると固くなってくる。夕方になると、殴り殺せそうなぐらいだ。パン屋も朝が早いので、あと少しになると半値ぐらいでさっさと売り切って、店を閉めてしまう。
丸い田舎パンを一つ買う。
「食べながら行くから、スライスしてくれ。」
と頼んで、切ってもらう。
それをぎゅうぎゅうと皮袋に詰め込んで、店を出ようとすると、ドアの外に今店に入ろうとする客がいた。
出会い頭だった。
避けようもなかった。
すれ違おうとしたエシルは、その客の顔を見て、言葉を飲んで立ち尽くす。
相手も、目を丸くしたまま、身動きできない。
「タニア。」
声がかすれた。
かつての可憐な面影は薄れている。
そもそも華奢だったのに、今は本当に痩せて、筋ばかりが目立つ。
エシルは動けない。
死んだかも知れないと、ほんの少しは覚悟していた。もう会えないかもと。
「タニア?」
幽霊でも見るように立ち尽くす、栗色の巻き毛の少女に、エシルは手を延ばす。
ふんわり抱きしめた。
ちゃんと実体があった。
「タニア。」
「はい。」
やっと返事があった。
「会えて良かった。」
「エシル様。」
タニアの声が震えている。
「大丈夫だ。後は全部俺に任せろ。」
「なんだい。あんたが父親かい。」
店の奥から声が飛んで、エシルはびっくりして振り向く。
「ち、・・父親?」
「あ、違うんです。」
タニアが慌てて否定する。
「あの、大丈夫ですから。」
細い声でそう言うと、タニアはエシルの手を引いて、店の外へ出た。
「私を迎えにいらしたんですか?」
「ずっと探していた。」
冬の日はもう傾いている。
タニアの痩せた手を、エシルはそっと握った。
「一人で暮らしているのか。」
「はい。」
言いたいことはいっぱいあった。
どうして待っていてくれなかったのか。ほんのちょっとのことだった。
自分の事を嫌いだったのか。信じきれなかったのか。
でもそんなことは、もはやどうでもよかった。
会うまでは不安もあった。
他の男の元へ行った女を、昔と同じように愛せるのか。自分の中の気持ちは変わってしまったのではないか。
贅沢な後宮暮らしで、元が分からないぐらい太ったかも。
意地の悪い侍女達に揉まれて、性格が歪んでしまったかも。
そんなくだらない事を嫌というほど考えた。
それを見たら、思いは冷めてしまうかも知れない。
でも杞憂だった。
自分でも驚くほど、気持ちに変わりはなかった。三年前に、王都の屋敷で行ってきますと別れた時から、爪の先ほども変わりがない。
「どこで?叔母さんの家か?」
歩きながら聞くと、タニアはしばらく俯いた。
「叔母は亡くなりました。」
「いつ?」
「私がここに来て、すぐ。」
王都育ちの女性にとって、農家での暮らしは決して楽なものではなかった。
衛兵隊として準騎士階級だったのに、そこから一転、農民階級。しかも舅姑付き。
こちらに引っ越して来て間もなく、タニアの従妹叔母は体調を崩した。
タニアが王都を出てこちらを頼って来た時には、もうほぼ死の床にあったらしい。
「叔父様とかに色々頼んでは下さったんですけど。叔父様は、年頃の男がいる所帯に女は置けないとおっしゃって。」
タニアは手を引っ込めようとしたが、エシルは許さなかった。
言い訳を付けて、タニアを家から追い出したのだろう。
「それで?」
「この村に時々来てくださるお医者様が、以前使っていた診療所に住まわせて下さって、今はそこで暮らしています。」
その診療所とやらが見えてきた。
ボロい。
前にエシルが住んでいた老狩人の家よりは若干広いかも知れないが、ボロさでは大差がない。
その周りに、ひらひらと白い布がいくつもはためいているのが見えた。
「なんだ、ありゃ。」
思わずつぶやくと、タニアは立ち止まった。
「エシル様。」
「うむ。」
「私、ずっとここで暮らすつもりです。」
「え?」
エシルは、タニアの顔を覗き込んだ。
「どうして。」
新しい男でも見つけたか。親切にしてくれた医者とデキたのか。
やや不機嫌になるエシルに、タニアはつないだ手に力を入れる。
「あの。」
「うむ。」
言い淀んだタニアは、相当長いこと黙っていた。エシルは静かに、彼女が続きを話し始めるのを待つ。
冬の日はさらに傾き続ける。
不意にどこかで細い泣き声がした。
タニアはハッとして、身を翻した。
何だ。
ドアを開けて中へ入っていくタニアの後を追う。馬は勝手についてくる。
細い泣き声はやや大きくなって、エシルがドアをくぐると唐突に止んだ。
中へ入ったタニアの腕に、布の塊があった。もそもそ動いている。
「ああ。」
エシルは思わず声を上げた。
タニアの腕の中には、小さな赤ん坊がいて、小さな拳骨をちゅぱちゅぱ吸っていた。




