その12 魚
領都で試して惨敗だったのは、酒場でタニアの情報を得ることだった。
とにかく、エシルは領都では顔が売れている。
背が高くて男前。朗らかで人気者。領主の息子だから、金払いもいい。
どこへ行っても「坊っちゃん」「若様」と寄ってこられて、人を探すどころではなかった。
そこで考えた。
もう少し効率よく探すには、どうしたらいいか。
まず絵心があってタニアをよく知る女中に、似顔絵を描いてもらった。
そして聞き込みは、パン屋でする事にした。
パン屋なら、どんな村にも一軒はある。
取りこぼさなければ、いずれタニアが通うパン屋に当たるだろう。
雪は長く降ったが、その分、春の訪れは急速だった。
雪解け水でぬかるんだ道を、馬でゆっくり進む。
領内の地図の写本を手に入れていたが、相当ざっくりなので、道々手を入れる。
地図にあるような大きな街道沿いには、家々が並び、あまり途切れることがない。基本的には、旅人向けに店や宿が軒を連ねる。
しかし今回必要なのは、農家。農地。池。
地図にない細い道を、人に聞きながら進まなくてはならない。
パン屋を見かけたら、似顔絵を出して、こんな娘を知らないかと尋ねる。
まあ大抵訝しがられるので、旅芸人と駆け落ちした妹を探していると答える。
宿もないような村がほとんどだから、牛小屋に泊まらせてもらったり、野宿したり。
そうこうしているうちに、エシルは楽しくなって来た。
元来朗らかで前向きな性格だから、余程のひどい目にあってもすぐ立ち直るし、どんな時でも小さな楽しみを見つけるのがうまい。
村人とどれぐらい早く打ち解けられるか試したり、逆にパン屋以外の村人に、いかに気づかれないように振る舞えるか試したり。
村の名前と位置を地図に書き込み、食事の美味い店があれば書き留めたり。
春が過ぎ、夏が過ぎ、地図は書き込みだらけになったが、まだ隙間はある。領地の四分の三が埋まったといったところだ。
気長にやるさ、と腹を括ってある。
何しろ、王太子の私財の金子がまだ少々残っているし、母からも軍資金をたっぷり貰っている。
ただ、冬になって困ったのは、愛馬の餌であった。
気候が良ければ、その辺りの草で賄える。冬はそれが出来ない。仕方ないので、厩のある大きめの宿に泊まり、そこを拠点に探す方式に改める。
そのやり方に変えて、三軒目の宿だった。
そこから日帰り出来る村を二箇所周って、空振りで帰って来たエシルに
「ほい、今日の夕食。」
と出された料理が美味かった。
「美味い。」
「だろう?」
「何で昨日出してくれないんだよ。これなら毎日食える。」
宿の主人は笑った。
「仕方ねぇ。売りに来たら毎回買ってるんだが、何しろ早いもん勝ちだからさ。」
大ぶりの魚の切り身だ。香草で煮込んである。
魚。
「これ、どこで取れるんだ?」
「釣るつもりかい?勝手に捕ったら、村の連中に袋叩きだぜ。」
「いや、こんな海から遠い所で、こんな新鮮な魚が取れるもんかな、と思ってさ。」
「ああ。この先の村で育ててるらしい。デカい池があるんだってさ。そんで木桶に入れて、生きたまま売りに来る。」
池。
俄に心臓がぴょくんと跳ねる。
「この先って、どっち?」
「ええ。勘弁してくれよ。一時期、密猟者が増えたんで、今、あそこは余所者は入れない。それにあんちゃんが問題起こしたら、うちは魚を卸してもらえなくなっちまう。」
「魚じゃねぇよ。迷惑はかけねぇ。」
渋る亭主から、無理やり場所を聞き出す。
徒歩でも何とか日帰り出来る距離であるらしい。まだ行った事のない方角だった。
今からでも行きたい気持ちをぐっと抑えて、朝を待つ。
問題起こしても、うちの名前は出してくれるなよ、という宿の主人の頼みを快く請け負って、エシルは大きな池があるという村に朝早く向かった。
そもそもため池は、どの村にもある。
この旅を始める前は、そんな事さえ気付かなかった。
通常は灌漑用水だが、そこでアヒルを飼っていたり、牛の飲み水だったり、用途は色々だ。そして残念だが、この辺の川魚は小骨が多く、釣れても鳥の餌扱いされている。
魚釣りをしなくはないが、どこでも出来るし子供の遊びの域を出ない。
でも、タニアの父の従姉妹は、小さな息子が池での釣りを楽しみにしていると、わざわざ隣人に話した。大きな池だという。
期待していいかも知れない。
すごく近付いた気がする。
刈った後の麦畑が延々と続く中に、ぽつりぽつりと家がある。
昼を過ぎる頃に、家がいくつかまとまっている辺りに出る。
パン屋もあった。
一つ深呼吸する。
期待し過ぎない事だ。
散々空振りを繰り返して来た。ここでまた空振りしたって今更だ。
エシルは気を引き締めて、パン屋のドアをくぐった。




