20008 正義の味方
大柄の黒人ヤキトが明らかに銃刀法違反の分厚いナイフを取り出して、柄頭を使ってリアウィンドウを破壊した。バタフライナイフを取り出したものの見ているだけのチンピラと違い、『アナグマ』は靴底でふちに残ったガラスを取り除く。
というか、普通に大型ナイフ持ち歩いているなんて……探偵、目貫千はドン引きした。殴り合いならともかく、ナイフはダメだろ。ナイフは。
「信用すんなよ」
「…………」
ロックな服装の女、美咲がフラッシュライトで床を照らしながら囁く。この30分程度の付き合いだが、しゃべり方がやけに刺々しい気がする。こちらが本性だったのか。
千は気絶した四十女を背負ったままゆっくりと動いた。床が随分と心もとない。恐らくこのバスは一部が崖から突き出したような形になっている。
僅かな傾斜がどんどん増えていくような錯覚。そう、錯覚だ。
そう言い聞かせないとパニックを起こしそうだった。そもそもこの女もどうでもいいし。逃げたい。全力で走ってこのバスから飛び出したい。
「美咲」
「……」
「美咲?」
「あ? ああ、そうだった美咲だ」
「先に行け、進行上に障害物はない。外を照らせ」
美咲が異様に冷たい目で千を一瞥した。ヤキトたちを信用するなと言っていたが、美咲も信用に値しないと千は思った。
これまでの人畜無害な気配はそこになく、残っているのは世闇に乗じて獲物を狩るサソリか蛇の如き女。
他者の闇を見ることに関して、千は見る目があるつもりだったが、珍しく見誤った。
それほどまでに美咲の擬態は完璧だった。
「……目貫よぉ」
「なんだ」
「あんたロックだ。気に入った」
音もなく、滑るような体重移動で後部座席まで辿り着いた美咲、窓の外にぽっかりと口を開いた闇にフラッシュライトを向ける。
「おい、外は平気だ。ガラスが散ってるから手をつくと危険かもな」
「マジかよ、つーかそれよこせ!」
「ざけんな」
ガラスの割れたリアウィンドウから身をひるがえす美咲、掴みかかろうとしたチンピラの腕が空を切る。
「お、俺も!」
「バカ、そこはヤキトさんからだろ」
我先にと飛び出そうとするチンピラを『アナグマ』が止める。ヤキトは親分肌だが、部下に優しいタイプではない。まず自分から降りるだろう。
「いや、お前ら先に降りてあの穴を受け止めろ」
ヤキトが黄色い歯を剥き出しに囁いた。『穴』……千の背負う四十女のことである。ギョッとするチンピラ、冷たい視線を送る『アナグマ』。
「ヤキトさんは?」
「あいつを待つ」
ビクビクしながらも外に飛び降りるチンピラと、『アナグマ』。その間に千も到達。
千は気色の悪いニヤニヤ笑いのヤキトを一瞥した。こいつは悪党の中でも、特に危険な輩だ。それは見ればわかる。分かるが、ここでは敵対するメリットはない。
「hey女を降ろすぞ、足を持て」
「……そうだな」
バスのリアウインドウ、案外高い位置にある。ここから投げ落とすのは危険だった。
千が腕を、ヤキトが足を持ってソロソロと降ろす、下にいた二人が、四十女をしっかりと捕まえた。
「う、うう……あの人は……」
「あ? いや、死んでんじゃね?」
彼女の夫は運転席のすぐ後ろにいた。三十代の地味女と違い、生死の確認もしていない。
我が身の方が大事だ。切り捨てるチンピラに、千は舌を打った。
「助けに行くのかbrother?」
「行くしかあるまい」
え? 行きたくないに決まってるじゃん? 千は心中、全力全霊で拒絶したかった。行く理由がない。知らないオッサンに命懸けられるか?
だが、タフな探偵は強さと優しさを兼ね備え、悲しみを抱えながら表には見せないもの。あーあ。行くしかないかも。行きますよ畜生!
「目貫、使えッ」
窓の外からフラッシュライトが飛んでくる。美咲はチンピラと『アナグマ』から女性を奪い介抱しようとしている。
フラッシュライトは、倒れた男を助けに行くのに必需品ではない。ではないが、美咲の機転に千は感謝した。
そろそろと、ゆっくりと移動する。車体を揺らさないように。
フラッシュライトは『保険』だ。ヤキトどもは信用できない、友好的な態度は見せかけだ。恐らく最初から他の誰かを助けに行くようけしかけるつもりだったのだろう。
そして、バスごと千を崖下に叩き落とす。
そうしたら何が残る? 女が二人だけ。ヤキトたちは邪魔な千を始末して、女を好き放題できる。その時フラッシュライトがあった方が便利だろう? 千と一緒に崖下に葬るのはもったいない。
ヤキトの粘つくような視線が、彼女らへの性欲なのは間違いない。千にとって美咲も四十女も、出会ったばかりのどうでもいい存在だ。
どいつもこいつも、千を正義の味方か何かだと勘違いしていないか? ここで強姦の危険に晒されているのが知朱なら話は変わるが……。
「クソッ」
千はライトで通路に倒れた手を照らしながら進んだ。車体が軋む。少し話しただけの男と心中なんてごめんだ!
だが、腕が僅かに動いた。マイクロバスが傾斜して、そのせいの可能性も捨てきれない。だが……だが!
「おい! 生きてるか!」
「…………ぅぅ」
呻きがあった。
千は心の中で神を呪った。とりあえずこの山の『豆降』を。過去よりも、今! お前の信者を助けてやれよ!!
「起きれるか!」
「ぐ……うぐ」
ライトを向けると、ガラスと枝で流血している。暗さのせいで傷の深さは分からない。
千は舌を打って男に手を伸ばした。
「fuck offだぜidiotの正義マン!」
待ち構えていたようにヤキトがリアウィンドウから身を翻す。
「押せ! 叩き落とせ!!」
「ド畜生が!!」
怒声、急激に傾斜するバスの中で、千は男を掴み担ぎあげた。
罵声を叫びながら急激に傾斜するバスを駆け上がる。ほんの、五メートル。
「うおおおおおお!」
それが、絶望的に遠い。車内が駆け上れないほどの傾斜になり、千は雄叫びを上げながら座席にしがみついた。男を放したとしてももう遅い。落ちる!!
そう思ったのと、車内に衝撃が走ったのは……同時であった。




