20302 王権
石の廊下を走ることほんの僅か、広間のような場所に出た。そこには複数の人間が居て、そして修羅場であった。
血を流しながらビクンビクンと痙攣する男が二名。棒を構えて威嚇する者が二名。彼らの後ろには怯え、悲鳴を上げる女たち。
対して剣を構えて下卑た笑みを浮かべるのは、ビール腹の巨漢だった。脂ぎった顔に薄らハゲ、上下ともにジャージ。
右手に持つのは幅広で湾曲した刃。刃渡りは20インチ、狭い場所、足場の悪い場所での戦闘に特化した船上剣。カトラスである。
「き、き、貴様! ここが神聖な神殿だと知っての暴挙か!?」
「知らねーよバカ! 俺は女を寄越せと言って、テメーらは断った……だったら奪うしかねーだろ!!」
流血する男たちと、棒を構えた男たち、そして女たちは彫りが深く浅黒い。エキゾチックな雰囲気。
日本ではないが、言葉は通じる。不思議な感覚に美咲は眉をひそめた。
「もう一度言うぜ。金と女を全部よこしな。死にたくなけりゃ、だ」
「ふざけるな!」「狼藉者がッ!」
左右から打ちかかる棒の男たち。浮浪者が揺れる。イメージしているのだろう。だがすぐに舌を打った。
美咲は視線を感じて壁を見た。ワンピース姿の細身の女性が小さく手を振る。イルカを思わせるしなやかなボディライン、儚げで美しい日本人女性だ。
「おらおら! ザコがよぉ!」
ジャージ男が棒で殴られるのも構わずに踏み込み、一人を袈裟斬りに斬り捨てた。肥満した身体に似合わず機敏な動きでもう一人を蹴り倒す。
女たちの悲鳴があがった。
「あーそこまで、そこまで」
美咲たちのいるのとは別の通路から、何人かの大人を従えた緑髪の少女が現れる。
【女王】。現人神であり神の代行者の少女である。
「このタイミングで【客人】か……へえ、ふぅーん」
もしもこの場に目貫千らが居たならば、眉をひそめたに違いない。
少女は、彼らの時と寸分違わぬ顔、声、姿形をしていた。この場の誰も知らぬことではあるが……時代は流れ、百年の時が経過しているにも関わらず、だ。
「女王陛下!」「イシス様!」
「女王だぁ……?」
ジャージ男が不審な顔をした。さもありなん。少女は姫と呼ばれるならともかく、女王と呼ぶにはあまりにも幼い。
鮮やかな緑の髪、グリーンの瞳、浅黒く堀の深い肌。純白の絹のドレスと、純金に宝石を散りばめた装飾品。
「やあやあ【客人】のお兄ちゃん。こんにちわ、私は【女王】。【王神】に【神権】を与えるもの。
女王と言っても権力はないから気軽にシスって呼んでくれていいよ」
にこやかに、そして無警戒にシスはジャージ男に近づく。
「それでお兄ちゃん、もう一度言って」
「あ?」
「私は、権力はないけど神殿ではそこそこ偉いの。だから…………物によっては差し出せると思うけど?」
どよめく女官たち、ジャージ男は自分の2/3程度しかないシスを冷たく見下ろす。
シスの後ろに侍っていた兵士たちと、スーツ姿の日本人女性が何か言おうと口を開く。シスは一瞥でそれを制した。
「口にするだけならタダだよお兄ちゃん」
「金と、女を全部寄越せ」
ジャージ男は怪訝さを隠さずに、疑わしそうに言い放った。
シスはまたたきして、童女の如く小首を傾げた。
「え? それだけ?」
「あぁん?」
「たったそれだけでいいの?」
それは挑発ではない。純粋で明確な疑問であった。
「うるせぇ!! 全部欲しいに決まってんだろ! 目に入るもん、全部俺のもんにしてえよ! 当たり前だろ!!」
怒鳴り散らすジャージ男、シスはニヤリと笑った。子供らしくない、深い縦穴のような底無しの虚が、笑顔の裏から滲み出る。
「いいねお兄ちゃん! すごくいい! その剥き出しで、絶対に満たされなくて、無限に呑み込んでも全然足りない炎みたいな欲望!!
とってもステキ。私ね、お兄ちゃんみたいな人を待ってたの……お名前は?」
シスの熱っぽい物言いに、ジャージ男は鼻白んだ。
「んだこのガキは…………門浦だが?」
「フルネーム?」
「門浦随一だ」
シスはうんうんと頷く。
「じゃあ、名前呼ぶから、【シンビウス】って答えて」
「…………あぁ?」
「新たなる【王神】カドゥーラ・スフィス、あなたに【女王】の名において【神権】を与えます」
「なんか違わねーか? 【シンビウス】」
シスの後頭部から光が差す。古今東西聖人画や神の似姿に描かれる光輝、この時代の言葉で呼ぶのならば【太陽円盤】。
「へ、陛下!?」「イシスさま!」「考え直しを!」
「よくはわかりませんが、少なくともそんな品性下劣な男は王になど相応しくありません!!」
周囲の狼狽した声、スーツの女が心底軽蔑した声を上げる。
門浦か視線を向けた。火花の散る睨み合い。
「うるっさいなー、【女王】がカドゥーラお兄ちゃんを【王神】にするって言ってんだよ? 文句言わないの。
お兄ちゃん、いいよ、全部あげる。この国も、男も女も、金銀財宝も……全部お兄ちゃんの好きに奪っていいよ」
美咲や浮浪者、パーカー男はこの状況をただ見ているだけだった。
何かがヤバい。このままにしてはいけないと思いつつも、美咲は動けなかった。恐れていた。
少なくとも、美咲は無力だ。この場に介入できる実力も、言葉もない。
そして、なぜかパーカー男はじっと美咲を見ている。尻尾を巻いて逃げるのも難しい。
「こいつは見るからに肉体労働しかできない下等市民! 支配者層としての教育を受れてない生まれついての奴隷です! こんな男に国を与えるなど判断です!」
「黙れよクソアマ! 見下してんじゃねぇ!!」
たった一人、噛みついたスーツの女。門浦は即座に激昂した。




