20301 不在
「やだ! 死地妊!! 死地妊!! あっしじゃぁダメでやしょぉ!? あっしは『外面』、魂なんて無いんでやすよぉ!!」
【ラストイル】の招集、その直前の光景が、女の……多重人格復讐者・死地妊/美咲の最期の風景であった。
2008年のN県豆降村の山中、彼女は探偵、目貫千らと共に妖怪『わいら』と戦った。
『わいら』戦は、まあなんとかなった。問題はその後、黒人の凶漢ヤキトの襲撃である。
『わいら』戦の時点で、死地妊は骨の散弾を受けて負傷していた。その上でヤキトに思い切りぶん殴られて、死地妊は重傷だった。
肋骨はへし折れて肺に刺さり、いくつかの内臓が破損していた。
戦闘用人格である死地妊は、痛覚をシャットアウトできる。つまり重傷でも平然と動ける。
千がヤキトに敗北した際に、死地妊は差し違える覚悟を決めていた。
もう二度と。
男の慰み者になど。
不退転の決意は、しかし不運な結果をもたらした。
倒したはずの『わいら』から現れた『くねくね』。ヤキトは、そして死地妊は『くねくね』を直視してしまった。それは魂の喪失を、尻子玉を奪われる事を意味していた。
「うっう……死地妊、死地妊……」
美咲はどことも知れぬ床に突っ伏して床を叩いた。
彼女たちは多重人格者。虐待から精神を病み、仮想の人格を作り出すことで狂気の縁に踏みとどまらんとするサバイバー。
美咲たちは主人格の他に六つの側面を持つ。
美咲は、他者に心配されない、何事もないと思わせるための『外面』。おしゃべりで、中身が無くて、適当。
死地妊は、虐待者どもの首を刎ねるための『殺人鬼』。凶悪で乱暴で、容赦を知らない。
他の人格は皆、既に消えるか眠ったまま。きっと復讐を果たしたら自分たちも消えるだろう。
そう美咲は思っていた。そして、それが眠りっぱなしの主人格、月山幸への手向けでもあると。
「女」
「ひぅっ!?」
いつの間にか、近くに人がいた。前方10メートル。垢で汚れたブルゾン、泥っぽいジーンズ。汚れて固まった髪、長いヒゲ。
据えた悪臭を放つ、浮浪者そのもの。
「お前も『百の魂』だな?」
「へ? あ…………えと」
危険だ。美咲の中の警戒ランプが一斉に回る。この男は危険だ。答えによってはこの場で殺される。そう直感した。
「あ、あっしは……ええと、そうなんでやすが、戦う力を持たないハズレでやして」
「……………………」
ボロボロのスニーカー、大股で近付く男。しかし足音は一切しない。超越した気配。
「分析や口車で弱点を探すタイプでやす」
口から出任せだった。美咲は思う。死地妊は【武器】を出せたが、自分は戦える気がしない。
這いつくばる美咲の顔を、浮浪者の男が覗き込んだ。
「ひっ……」
垢と泥で汚れた外見、しかし、それ以上に淀んだ目。黄色く濁って、ひどく血走っていて。
だが同時に、恐ろしいほどに強い光を放っていた。激しい渇望が、そこにあった。
「性欲……? じゃない、近くて遠い……もっとシンプルっつぅか、生き物として根っこの方……?」
「…………」
こいつは、あのヤキトに似ている。生物としての本能的な何かを渇望している。
浮浪者の目が細まった。
「なら分かるな?」
「……………………ふひぃぃぃ、助かった」
そう、助かった。浮浪者の興味は美咲から逸れた。殺されるかと思った。
身を翻す浮浪者、美咲は脳内で素早くそろばんを叩いた。
絶望的な状況。
死地妊の不在、デスゲーム、そして、現代も死の間際。
……だが、勝ち残ればいい。生き残ればいいのだ。
この【ドラゴン】殺しに成功し、【望み】で現代側を変えればいい。
言うは易し、行うは難しだ。そうは思うが……美咲はそれでも、賭けるしか無い。
「お待ちくだせぇ! あっしは美咲、旦那は?」
これまで周囲を確認していなかったが、ここは石製の建物だった。大きな石と乾燥レンガを積んで作った大きな建物の小部屋に美咲は居たようである。
明り取りの穴から乾燥した空気が入ってくる。外は昼なのだろう。
「人の居場所は分かるか」
「わかりやせんね」
廊下は明り取りはないが、松明が掲げてある。等間隔に燃えるそれを見て美咲はこの建物が重要な施設なのだと思った。無人の廊下を明かりで満たすほどの。たとえば……お城?
浮浪者は周囲に目を配りながらも大股でずんずん歩く。160センチの美咲と違い、180近くあるため、足の長さがあまりに違う。
美咲は小走りで追いかけながら周囲を伺った。緊張感からか、普段より感覚が鋭い気がする。
実際に美咲は鋭敏になっていた。原因は緊張感ではなく【義体】であったが。
「…………?」
美咲は、何もない通路を一瞥し、別の方向を……振り返る。
「ひっ!?」
「む」
一歩遅れて浮浪者が身構えた。通路の壁には黒いパーカーの痩せた男が寄りかかっていた。
「…………」
「アンタさぁ……」
浮浪者の影に隠れる美咲、睨み合う二人。一触即発の雰囲気。
……であるが、美咲はどちらが強いかをすぐに見抜いていた。
パーカー男の存在を、浮浪者は見過ごした。暗殺に特化した能力なのだろう。
対して浮浪者は真正面から行くタイプだ。存在が露呈して、睨み合った時点で勝負は決している。
「お前も、違うなぁぁ」
「ァァ?」
興味をなくす浮浪者、対して殺意を膨らませるパーカー男。
睨み合いではない。一方的な戦闘の気配。美咲は二歩引いた。体勢を低くして、いつでも逃げられるように。
…………だが、その時である。
美咲は顔を上げた、パーカー男もだ。一瞬遅れて、浮浪者も同じ方向を向いた。
「ははは! はははは!! はははははははッッッ!!!!!」
高笑いしながら走り出す浮浪者。聞こえたのは……………………悲鳴だった。




