20243 手遅れ
降りしきる雨に打たれながら、行々子マノは因果応報を考えていた。
右半身の感覚が無い。左側は燃えるように熱い。雷切の雷撃を避けるのは不可能だった。光の奔流に身を灼かれ、その生命は尽きようとしている。
「『シャーク』!! 『シャーク』死ぬな!! 子供を助けるんだろうッッ!!?」
誰かの声が遠くに聞こえる。泣いている。マノはそう思った。誰かがマノのために泣いている。
「アマタ、早く運べ! なんとかする、私のできうる限り!」
「数日でいい……アイツを討つまで、生きていてくれれば……!」
【ドラゴン】を殺す、その時点で生存していれば【望み】は叶う。
袖搦はそう言っていた。
「苦しみを長引かせるだけだッ。腕も脚も炭化して、内臓まで焼けているんだぞ!?」
「…………いや、それでもいい。だからイム、『シャーク』を頼む。少しでも長く、死なせないでくれ!」
目貫千が頭を下げている。一度は戦意を喪失し、戦場に背を向けたマノのために。
マノはゆっくり、大きく息を吸った。
「俺は……もう、いい…………」
「いいわけあるか!」
第三の声がした。うまく舌の回らない、顎から舌まで千に貫かれた鶴来翔斗だ。
「【望み】を捨てるな! 立花は僕がとめる!」
「…………鶴来さんは、立花の味方なんじゃなかったのか?」
「ぐっ……」
千の疲れたような、呆れたような声。マノは笑おうとして苦痛にうめいた。
「痛いか?」
「ああ……」
「生きてる証拠だ。二日で終わらせる。
マノは何か言おうとして……諦めた。視界が白濁している。意識も朦朧としていた。
伝えるべきことが、正確に伝えられるとは思えない。
マノは千と違って口下手だ。だから、ゆっくりと、それでも彼らが居なくなる前によく考えて口にした。
「目貫、お前は立花を殺しちゃいけない」
「目を覚ましたのか?」
答えたのはイムだけで、周辺は明るくなっていた。
半日以上時間が経っている。マノは伝え損ねた事に気が付いた。
「ネヘプさんが【ドラゴン】かもしれなくても、街を暴動に晒すのは間違っているよ」
「でもこれが私たちにできる最も確実な方法だったのよ〜。真正面から殴り込んで、勝てるなら苦労しないわ」
「喧嘩してねーで仕事しろ!!」
昨晩からのひどい雨で、エレファンティネ沈みつつあった。雨ともう一つ、突然の天変地異が街を襲ったのだ。
想像できるだろうか? クヌマトネヘプの生涯の大偉業であった治水工事が、文字通り水泡に帰してしまったのだ。
原因は言うまでもなく暴動である。ネヘプが、あるいは彼お抱えのお技術者が、そうでなくともせめてイムホテプがエレファンティネの街にいれば、このような事態にはならなかっただろう。
ネヘプはエレファンティネの水不足を解決するために『河』に大規模な水門を設けていた。水門によって堰き止められた水は、エレファンティネのため池に向かう。エレファンティネに必要な水量を常に確保する方法である。
当然、下流としてはたまったものではない。だが、ネヘプの計画は本来そこ止まりではなかった。
水の流れを制御することで、雨季に荒れ狂う『河』を乗りこなそうと企んでいたのである。
もしもその事業が成功していたら、建築の父として後世に称えられるイムホテプ同様に、治水の父として歴史に名を刻んでいただろう。
『河』の氾濫はこの国にとってはなくてはならぬものであったが、毎年大量の死傷者を出す災害でもあった。
制御できたならば、どれほど平和に貢献できただろうか。どれほどの人々が救われただろう。
このエレファンティネの安寧のために犠牲になった生贄の数よりも、救われたはずの人間の数は遥かに、遥かに……。
しかし全てはもしもの話。ネヘプは何者にもなれないままに補欠として斃れた。ネヘプは反逆者として歴史から抹消され、その偉業は影も形もなくなった。
水門は管理者の不在により増水に耐えられず倒壊、『河』に飲まれて藻屑と消えた。
ため池は決壊、エレファンティネは洪水に見舞われていた。
この国の南端にあたるこのエレファンティネの街は、現代の形とは大きく違う。現代ではエレファンティネ島と東のアスワンの街である。
エレファンティネが分断され、西半分が島として『河』に取り残されたのはこの時からであった。
「家財より生命だ! 避難させろ!! 避難先? 宮殿だってんだろ!! 何のためのデカい建物だ!!」
野戦病院の護衛に残った小野、暴動を鎮圧して合流した袖搦、彼に解放された佐摩椿姫の三人は、兵士たちに指示を出していた。
警備の責任者はクリスによって積極的に暗殺されていたし、ネヘプは不在だ。現場の兵士たちはどう動けばいいかもまるでわからない。
日が沈んで以降は、普段ならば寝静まる時間だ。暗闇の中で動き回る恐怖が想像できるか?
住民たちはパニック状態だった。それこそ、昼間の暴動以上の混乱が発生していた。そして被害者の数も、昼間の比ではないだろう。
小野は松明を片手に、ふと手首を見た。彼女は仕事帰りの服装でこの時代に来た。左手首には地味なビジネス用の腕時計が巻かれている。
時計は日付が変わったことを示していた。【義体】を持つ【狩人】たちはともかく、兵士や市民の恐怖や体力はもう限界だろう。
「袖搦、佐摩! 手分けして逃げ遅れがいないかを調べる! その後はあたしらも退避だ!!」
閃光と轟音。雷雨の勢いは止まらない。
小野は負けじと声を張り上げ続けた。
「誰かいるか!? ここは危険だ!! 逃げるぞ!!」
そうやって通りの家々を蹴破って周り、最後の部屋を出た所で…………彼女は硬直した。
びしょ濡れの長い髪の女が、松明もランプも持たずに家の外に立っていた。いつから? どうして? 何者だ?
疑問に答えるかのように、女は長い袖で隠れた右手を小野に向ける。
「アンタを殺しゃぁ、タンテーもちぃの気持ちがわかるかな……ふひっ」




