20239 三人の女
「クソ……クソッ、アマタめ。この私によくもあんな口を……ッ!!」
クヌマトネヘプの人生は、三人の女によって形作られた。
世襲制の時代である。クヌマトネヘプは生まれついての管理側であり、彼は最初からエリートであった。
しかし、残念ながら彼は長男ではなかった。子沢山の親の、妾腹の四男。普通に考えれば地位は望めない。
一人目の女は、ネヘプの母親だ。エレファンティネの貴族の娘。異常にプライドの高い、いや、プライドと顔と家柄以外何も持たない女だった。
正妻よりも美しく、スタイルがよく、家柄がいいことだけが取り柄で、常に不満をまき散らし、奴隷やネヘプにものを投げては喚き散らしていた。
「なぜわたくしが一番ではなく妾なの!!?」
母親の不満は常にその一点に収束していた。
ネヘプにはその性格が原因だと理解できていたが、それを口にするほど愚かではなかった。
代わりに、もう一つの『理解できること』を口にした。
「私が誰よりも優秀であることを証明して、母上の偉大さを父上にも分かってもらいましょう」
ネヘプの『相手の欲しい言葉を用意できる力』は生まれついての素質だった。
しかし、それだけで兄たちを追い落とせるほどの力ではなかった。
家に残っても大した立場になれないのならばと、首都に行ってイムホテプに弟子入りした行動力は賞賛に値する。
建築家としても書紀としても頭角を現したネヘプは、若くしてイムの右腕になった。王神に仕える大臣の一人として抜擢されるのも時間の問題であった。
母親は鼻高々であったろう。残念ながらネヘプは、面倒な母親から距離を置けて喜んでいたが。
若く賢く野心に満ちた青年を、誰もが期待した。もちろん縁談も無数にあった。
貴族の女子は政治の道具である。よりどりみどり選び放題だったが、ネヘプは誰も選ばなかった。いずれのし上がるつもりでいたので、どの女も力不足に見えたたのだ。
イムがネヘプを神官にさせなかったのは、イムの用心深さと嗅覚の賜物である。
ネヘプがいずれエレファンティネの管理者となる可能性を、その才覚をイムは見抜いていた。管理者が神官の知識を持つことの危険性も、重々に承知していた訳である。
そしてここに、二人目の女が現れる。
「ネヘプお兄ちゃん、あなたは才能があるわ。それは万人に授けられた、ありふれたゴミみたいな才能じゃあない。
百万人に一人、いるかいないか。この国全土で唯お兄ちゃんだけしか有しない、特異で素晴らしい輝きなの」
緑の髪の少女、太陽円盤を背負った美の化身。
現人神である彼女、【女王】はある日突然に現れた。ネヘプの部屋に当然のようにくつろいで、まるで主人のように笑っていた。
「それはね、【王】になり、世界を統べる才能よ。
私を受け入れれば、ネヘプお兄ちゃんは今まで見たことも無いほどの高みまで飛べる。欲しいと思うことすら許されなかったものまで手が届く」
その蕩けるような笑顔に、ネヘプは魅力された。他者を言葉で籠絡してきたネヘプが、逆に支配されていた。
「そこに努力はいらないわ。ネヘプお兄ちゃんはただ受け入れて、跪ずいて、足にキスして、名前を呼んて、私だけに祈ればいいの。
そうすればあなたを【王】にしてあける」
それはまさに天啓であった。
【女王】の言葉は神の言葉。ネヘプは己が今後どうするべきかを悟った。
それまでは、いずれ王神の右腕になり、エレファンティネに凱旋して、家族に自慢してやる程度の気持ちだった。
それが精一杯だ。自分は四男。二番手にもなれないミソッカスの補欠。
それが、【女王に背中を押してもらえた。【王神】になれると、星が掴めると言われたのだ。
ネヘプは邁進した。戦争のない時代だ。政治と経済力がものを言った。
【女王】に与えられた【印】は、彼に知識を与えてくれた。だが、それを応用して画期的な政策を打ち出しせたのは、ネヘプ本人の資質であった。
ネヘプが現王神の元を離れ国元に帰った理由は二つある。
一つは父親が病死したため。王都で得た知識で兄の補佐をしてくれと頼まれたから。
もう一つは、王都でのこれ以上の地位が望めないため。
平和な時代、賢明な王神。そして、天才的な腹心。
それに関してはネヘプには同情の余地しかない。言語学、神学、建築、医療。全てを究めた万能の天才、後の世ではただの人でありながらも神のごとく崇められる建築の父で医神。イムホテプと同じ時代に生きていることは不幸でしかない。
その四分野では、イムは【印】無関係に卓越していた。
国元に戻ったネヘプは、エレファンティネの街で改革を施した。
身分に関わらず優秀な者を起用し、民が本当に求める治世を取り仕切った。
その辣腕に兄たちが警戒するまでさしたる時間はかからず、兄たちの忠実な腹心が暗殺者として派遣された。
兄たちの過ちは、その『忠実な腹心』の忠義が、すでにネヘプに向いていた事くらいか。
兄たちは『不慮の事故』で居なくなり、ネヘプはエレファンティネの管理者に収まった。
母親が生きていたら喜んでいただろうとネヘプは思う。しかし母親はとっくに死んでいた。病死だった。ネヘプが王都にいる間に、孤独に死んだ。
そして、ネヘプはいま。
「『クヌム』だ!! 『クヌム』さえ動かせれば【客人】など物の数ではない!!」
その神を目覚めさせるための方法は【印】をかざすだけである。しかし、起動させるタイミングは特別であった。
金星の見える時間帯……即ち、昼と夜の合間の特別な時間だけ。
日没直後の、闇が迫る今を逃せば、翌朝まで待たねばならない。
「目覚めよ『クヌム』……ッッ!!」
建物に囲まれた石碑。かざしたネヘプの右腕を、飛来したドライバーが貫き。壁に打ち付けた。




