20237 矯正してやる覚悟しろ
『ブレース・プリンセス』は十年以上続く子供向け魔法少女シリーズの2024年度最新作である。
『Brace』は『締める』という動詞であるが、『一番』『支柱』『かすがい』という意味も持つ。
ちなみに歯科矯正や『覚悟』を意味するスラングでもあり、キメセリフの『ブレース・ユー!』は『矯正してやる覚悟しろ』という意味にも取れる。
人々の悪の心から生まれた邪悪な存在により、世界の均衡は崩されつつあった。主人公たち『プリンセス』は引き裂かれる世界の『かすがい』として、世界を支える『支柱』として、悪と戦い世界を守る。
…………敵は、人々の心の闇から怪物を作る。その人々の多くは虐げられたもの、捨てられたもの。そして天変地異を起こして街を破壊する。
このシリーズの裏テーマは『廃棄と生贄』。
立花ちどりが扮する『橘ミユキ/プリンセス・キサラ』は不死身の肉体を持ち、荒れた海を鎮め、雷を落とす。
そのモデルは『弟橘媛』。名前の由来は彼女の消えた土地『木更津』。
弟橘媛の逸話は有名である。彼女は倭建命の妻だ。
遠征の途中、浦賀水道あたりで海は荒れ狂った。それは海神の怒りであり、怒りを鎮めるためには人柱が必要だった
弟橘媛は自ら入水した。夫と仲間たちを守るために、生贄になり海は鎮まった。
残された倭健命一行は無事上陸し、弟橘媛を探した。しかし、何日探しても彼女の姿は見つからず。
それでも諦めきれない倭健命はその地を『君不去』と名付けた。現在の木更津である。
それが『プリンセス・キサラ』の名の由来だ。
さて、古事記にはもう一点、『橘』に関する記述がある。
それは『常世の国』から持ち帰られた不老長寿の果実である。
橘=みかんは、日本では古来より長寿や吉祥の象徴であり、万病に効く霊薬であった。
五百円硬貨をまじまじと見たことはあるだろうか?
裏面には500の数字を橘の枝が挟み、上面には竹の葉で飾られている。円を描く粒と、竹の葉がヘタのようで、みかんそのものに見えなくもないデザインだ。
正月に鏡餅の上にみかんを置く風習はご存知だろうか?
モチは稲作文化の日本人の信仰と関わりの深いお供え物であり、ハレの日のごちそうである。
二弾重ねの丸形は円満、太陽や月、そして上に載せられた橘/橙は長寿と無病息災であり、代々の繁栄を意味していた。
……ちなみに『プリンセス・キサラ』の相棒は地に堕とされ月に捧げられた、かぐや姫モデルである。
共に苗字に花を持ち、ミユキ=雪と月。雪月花という雅さである。閑話休題。
「ひぃ、ひぃぃ……アバラ折れてんじゃね?」
ムクリと立ち上がった『プリンセス・キサラ』姿のちどり。美しい化粧で、彼女はたおやかな美人に仕上げられていた。
向かい合うサメのように無表情な男、『シャーク』。彼は自分の手の中のレイオマノとちどりを見比べた。
長さ2.7メートルのサメ歯の並んだ櫂、一部に髪の毛と肉片、血液が付着しているが……普通に考えて、コレで頭をぶん殴られたら頭蓋骨が陥没して即死だ。
なのにちどりはピンピンしている。
「秘密があんだよマヌケ!」
「立花さん! もっと下がって!!」
ちどりは背中を『河』に向けていた。太陽は地平線にほぼ隠れ、大地は暗闇に覆われつつある。
そんな中で流れる『河』は黒々としていて、近づけば飲み込まれる闇の奔流に見えた。
「…………」
夜が近づく。それは目貫千たちの有利だと言えた。白い甲冑の鶴来翔斗と、うっすら発光しているちどり。
対してサメを想起させる黒いウェットスーツの『シャーク』と忸怩たるものあれど暗殺特化の探偵。
「鶴来さん、一つ間違いを訂正しておく」
「……なに?」
「オレたち【狩人】は『現実』があるから、死なないよな?」
【盾】を挟んで力比べの形だった千と翔斗。千の言葉に翔斗が怯んだ。『殺意のない相手』だと思っていた千が、『躊躇いなくお前を殺せる』と宣言したからである。
千が均衡を解いた。わずかに重心を傾ける。その程度でバランスを崩す翔斗ではない。ではないが、ほんの僅かな隙ができた。
打つ手は数多。貫く姿。
くるりと横回転した千が翔斗の懐、抱き合うような一に入り込んで脇に右肘を叩き込む。続いて顎に左肘。上がった顎。
…………外した。
ドライバーの切先は下顎を貫き、口腔内を抉って頬骨で止まった。致命傷ではない。
首を狙うべきだったが、甲冑の首周りは金属の襟が立っている。顎下から口蓋を狙うのが確実だった。
「んっぐぅッッ!?」」
千はドライバーをグリグリとねじ込見ながら頭を下げた。翔斗が振り下ろしたショートソードの柄頭。ドライバーから手を離して、身を屈めながら尻を突き出す。
「あッ!?」
ほんの少し手伝ってやれば、翔斗は勢いそのままに地面に叩きつけられる。自重+鎧の重さが、衝撃になる。
千は無情に、翔斗の顔面を蹴っ飛ばした。
「があああああ!!」
顎に刺さったままのドライバーが肉や口内を引き裂いて、翔斗は悲鳴を上げた。
千は次のドライバーを取り出し、冷たく翔斗を見下ろした。狙える鎧の隙間はほとんど無い。兜のスリットを狙うか? 顔面を踏みつける。
…………さっきの顎への一撃、ちゃんと外れてよかった。
千は内心の冷や汗を脳内で拭った。
『殺せないと見せかけて殺せる振り』は上手くハマった。『本当に殺したくない』なんて気づかれる訳にはいかない。
「立花! 逃げろッッ!!」
『シャーク』の悲鳴に千は振り返り、瞠目した。
ワニ…………そこにはワニがいた。その数……複数。
冥府の暗闇の底から、【狩人】をどもを食い殺すため。
この時代の真の頂点捕食者が何者か、知らしめるために。




