20005 三子山
「この女は知らない顔だね。でも『津原』って名前なら知ってるよ、この辺りの地主の一人だ」
「大学生くらいの息子さんがいないかい?」
「地主って言ったって、町内会長みたいなもんで、なんだかんだ言っても王様じゃないからね。家族構成までは知らないよ」
「そりゃそうか。変なこと聞いたね」
目貫千が川魚と地酒、芋煮を「美味い美味い」と綺麗に平らげ、さらにもう一品、天ぷら盛り合わせに舌鼓を打ってみせたところ、定食屋の主人の舌は随分と滑らかになった。
恋人の妹を探しに来たという千の言葉を信じたようだが、椿姫の情報は手に入らなかった。
「そういえば、よそ者が珍しくないのか? 観光地には見えないけど」
「ああ、地主の一人、宍戸さんって人がね、空戸山で人を集めてんのさ。よく分からんが村みたいなのを作ってる」
『施設』の話だろう。インフラも整っていないような場所に村など作ってどうするつもりなのだろうか。
「村ねぇ……その、地主さんらに挨拶した方がいい感じかなあ」
「さっきも言ったけど、王様じゃないからね。三子山の持ち主で、そりゃまあお金持ちだし、戦前はブイブイ言わせてたらしいけど……今は平成だぜ? 昭和とは違う」
どこが面白かったのかゲラゲラ笑う店主。
「三子山ってことは津原さん、宍戸さんともう一人いるのか?」
「ああ、管金さんだ。あんまり大きな声じゃ言えないけど、管金さんがまとめ役って感じかな……お山の『格』も一番だし」
山の『格』…………東京者の千には理解に苦しむ感覚だ。だからといって、その不寛容を顔に出すほど愚かではない。
「ああ、違う山神様を祀ってるのか?」
「三子山にはそれぞれ木の神様、空の神様、沼の神様が祀られてんのさ。ここいらは大昔から林業が盛んだったからね、木の神様が一番なんだよ」
「空と木は分かるが、沼……?」
空は天候だろう。そちらが一番でないのは面白いなと千は思った。江戸時代やそれ以前では農業が大事だったであろう。日照りや大雨から起きる飢饉こそが一番恐ろしかったろうに。
「一番北側の低い山は湿度がひどくてね、でもここらの特産のレンコンとかは津原の沼津山のもんさ。ほっくりしてるから、煮物と素揚げがおすすめ」
煮物にもレンコンが入っていたし、付け合わせに素揚げもあった。どちらも美味かった。しかし、土産にするには難しい気がする。
知朱は料理をするけれど、あのアパートの小さい台所だし。しかもお土産で煮物を作らせても、きっと千の口にまでは入らない。手料理とか食べてみたいな。
「『根の国』を知ってるかい? 古事記に出てくる死の国、あそこと関係してるって話だ。内陸なのに海とも繋がってるらしいぞ。人魚や河童も出るってよ」
「河童はともかく、人魚?」
人魚というと海のイメージだ。それ以上に、アンデルセンの童話の美しい女のイメージになる。
千の知らぬことだが、西洋文化が流入する前の日本における人魚は、今の感覚で言う『人面魚』に近い。
人面の大魚の姿で描かれ、さまざまな予言を口にする。古くは凶兆とされたが、いつからか瑞兆とみなされるようになった。
図絵を用いて護符にせよと命ずることもあり、類似点から考えてアマビエも人魚の一種であると思われる。
だが、人魚一番の特徴は食する事で不老長寿を得るという伝承にあった。
すべての人魚がその性質を持つわけではないが、人魚食により不老長寿を得た尼僧、『八百比丘尼』の伝承は有名であろう。
「三子山には妖怪の話がたくさんあるのさ、天狗、こだま、ベトベトさん、ムジナ、山姥、八尺の大女、あと、くねくね?」
「大女に、くねくね?」
『大女』については類似の伝承がいくつもある。いわば巨人伝承と考えるのが正しかろう。
有名なのは『七尋女房』。文字通り七尋(12.6メートル)の巨人であり、岩や山が姿を変えた巨人である。
「2メートルを越える白い服の女で、子供をさらう妖怪さね」
「山姥とは違うのか」
「白くて若い女らしいぞ」
この場においての『大女』は『八尺様』に近い。
『八尺様』という妖怪の名前をご存じの方は多かろう。
2008年の夏に、ネットの掲示板で話題になったその名は、この物語の2008年七月ではまだ無名だ。
身の丈八尺(2.4メートル)を越す白いワンピース姿の女の姿で現れ、不幸にも遭遇した成人前の若者をさらうあるいは取り殺すとされている。
『ぽ ぽ ぽ』と奇妙に機械的な音を出し、人の声マネや家鳴りを用いて対象をおびき出す。
ラップ音、家鳴り、招かれるまで進入禁止の怪異。妖怪よりも幽霊話に似た類型を持つ存在であるが、未成年の、特に子供を狙う傾向から『突然の病』や『不慮の事故』『人さらい』を形にした妖怪であるとも考えられる。
「白い女ね……知らない人について行ってはいけない的な話かな」
「くねくねっていうのはなんだろうね、人を化かす奴だ。見た奴を馬鹿にしちまう」
『くねくね』はインターネット上の怪談として二十一世紀初頭から存在する創作妖怪だ。
しかし民俗学・神学方向から類似する土着神や妖怪との関連性も考察され、今では『くねくね』の方がメジャー化してしまった特殊な妖怪である。
その物語は『畑の中で奇妙にくねくねと踊る何者かがいる』『それを直視してしまったら発狂する、あるいは同一の存在になる』というシンプルなものだ。
そのシンプルさと危険性が魅力なのであろう。
……熱中症やキノコ食などによる幻覚症状の結果だけを抽出した妖怪であると考えられる。
「妖怪、妖怪ねぇ…………オレが小説家とかなら面白いのかもだが」
「前に来た学者さんは喜んでたぜ?」
「それよりも、オレは妹さんだな。明日あたり例の『村』に行ってみるかな。ここら辺に泊まれる場所あります?」
千の言葉に、店主は笑った。
「一日三回送迎バスが出てるぜ? 夕方は六時発だったかな……乞食みたいな奴が行くこともあるし、寝泊りもできる。携帯の電波が届かないのが玉に瑕かな。俺の紹介だって言ったら歓迎もされるぜ」




