20231 涙はオレの流儀じゃない
宮殿の廊下は修羅の巷と化していた。二十人を超える元囚人たちがそこかしこに倒れていた。
半数は動けない傷を追わされ苦痛にうめき、残りのうちの半数は両目をドライバーで串刺しにされていた。彼らは視力の永久的喪失を理解したくなくて慈悲を願っている。
最後の連中は斧で頭をかち割られて脳漿と血液でまだらな抽象画を描く絵の具になっていた。
反吐が出るような悪臭の中で、探偵目貫千はゆっくりと、抱きしめていた死体から手を離した。
巨漢の黒人、その中に入った無垢なる魂ポロルは死んだ。千はポロルの腰に巻いていた布を外す。
この地についてから、イムによって与えられた腰布。その止め帯を、包帯代わりに頭に巻く。千自身も帯石の狙撃で右目を失っていた。
千は無表情だった。その顔には怒りも悲しみも見当たらなかった。
帯石の死を確認していた小野が、ゆっくりと千に近付く。手斧が顔面に炸裂した帯石。眉間から鼻までを断ち割った手斧は、彼の生命を的確に刈り取っていた。
「探偵さん、あたしが言いたい事は分かるか?」
「分かるつもりだ」
ポロルの死因は、何なのか。
彼は千を庇った。千の油断と傲慢が招いた因果から。
「立てるか? 目は?」
「…………」
ポロルを名残惜しそうに見つめながら、千は立ち上がった。片目を失うと距離感が取りにくくなるはずだ。しかし今のところ大した変化は感じない。
「ポロルは……もしかしたら、『この時代だけ』だったかもしれない」
「うん」
肉体はヤキトのものだった。『セト』によって魂と肉体の接続はしたようだが、それが『現在』に持ち越されるのかは分からない。
だとしたら、ポロルの死は他の【狩人】の死とは訳が違う。【狩人】は死後現在に戻るというけれど、同じルールがポロルにも適用されるのか分からない。
「探偵さん、分かってねーよな?」
「ポロルの死は、オレの責任だ。そういう話だろう」
「…………馬鹿かよ、ポロルは何で死んだ?」
軽蔑するかのように舌を打つ小野。千の非殺主義が、回り回ってポロルの生命を奪い去った。他に何があるというのだ?
「オレが、殺さずに済ませて来たから」
「違うだろ? ポロルは『自分の危険を顧みず、仲間を危険から守るために死んだ』。あんたの教えを忠実に守った」
やはり、それは千の責任だ。
愚かな愚かなハードボイルド。千が自己満足な育て方をしたばかりに、かけがえのない者を失った。
「探偵さんの強さは、その揺るぎなさだ。自分の中の守るべきルールが定まっているから、正しさの指針がブレないから、強い」
「その強さは弱さの裏返しだ」
「『強くありたい』ことは強さそのものだ。そして、ポロルは探偵さんの様に強くあろうとしたんだ」
千は顔を上げた。怒ったような顔で小野が睨みつけてくる。その怒りは千の不甲斐なさに向いていた。
「ポロルは探偵さんの教えを信じて戦った」
「それは間違いだったかもしれない」
「正解も間違いも知るか。大事なのはポロルの選択だろ」
千は言葉を失う。ポロルは赤ん坊だ。自分で選ぶなんてそんなこと。そんなこと……。
ちどりを見捨ててワニから逃げたポロルを千は糾弾した。そして今度は、ポロルはどうした?
「そして、もっと大事なのは探偵さんが『これからどうするか』だ」
「…………これから?」
「そこで立ち止まって、これまでの積んできたものは間違いだったと謝り続けんのか?」
ハードボイルドな生き方は間違いでしたごめんなさい。
そんな言葉、口にしてしまったらおしまいだ。探偵目貫千は死んでしまう。
こんな当たり前のことを、わざわざ指摘されるなんて。
千は尻ポケットをまさぐった。いや、ホープは吸いきってしまった。今更ながら椿姫にあげてしまったことが悔やまれる。
「…………はぁ、まいった。小野はいい女だ」
「今更かよ」
「いや、ずっと思っていた」
慰めるでも、尻を叩くでもなく。置いて行くと言われてそれでも足踏みできるほど、千は弱ってはいない。
「抱きしめて慰めてほしいか?」
「それはお前の男にとっておけ。女の前で涙を流すのは、ハードボイルドの流儀じゃない」
「そうかい」
雨でも降ってくれりゃいいんだが。日照りと干ばつのこの土地ではそれも望めない。
千はポロルの遺骸を見つめた。そうとも、頬を伝うのは涙じゃない。
「包帯が緩いな」
「縛り直してやるよ」
失われた眼窩から流れてこぼれる血液。小野は帯を結び直しながら、それ以上何も言わなかった。
怪我をしていない左の頬も濡れていたとしても、見て見ぬふりをした。




