20222 セト
岩を動かすなど、普通の人間には到底不可能な事である。しかし、ポロルと目貫千が両側を掴んで、指示された方向に回すと、思ったよりスムーズに回転した。
「うおおおおお!!」
「んぎいいいい!!」
二人して全身から汗を吹き出しつつ回した。冗談ではない重労働だ。しかも、千は進行方向的に地割れに向かった。落ちたら死ぬ。
「よし、そこで止まれ」
「はぁーっはぁーっ!!」
「ふぅーっふぅーっ!!」
二人とも荒い息で地肌に這いつくばる。イムの従僕が差し出した果実入りの水をゴクゴク飲み干す。
「方向とかどうやって決めたんだ?」
「獅子は東の空から昇り南を駈け西の空に沈む。星座盤と角度調整をすれば確実だが、岩に偽装したスイッチでそんな確実な角度は出せないからな」
北向きだったヒエログリフを西向きに変えたのである。
「『セクメト』が現れる方角に顔を向ける。起動には女王陛下から賜った『印』を使う」
「イムにも【印】があんのか?」
「王神や管理者ならざる者には簡易的な印だけだがな」
かざしたイムの手のひらから緑の光がふわりと漏れる。【武器】の召喚による粒子の輝きに類似した光。
イムの手の甲に緑の文様が浮かぶのを小野は見た。
『楕円と、そこから伸びる何本もの線』。
クラゲみたいだと小野は思った。
「『セクメト』を動かすのか?」
「冗談ではない。私の仕事は『河』の流れの正常化だ」
突如、凄まじい音を立てて地面が揺れた。予期していたイムの、地震に強い千と小野は身をかがめ、ポロルは悲鳴をあげて千に抱き着いた。
恐慌状態に陥る従僕たち。イムも心なしか青ざめている。
「…………つーか、は? 神々って連中はなんなんだ? スケールが違い過ぎるぞ?」
「聖書の『海を割る話』みたいだな」
地割れは地響きとともに閉じていく。神々が【ドラゴン】ならば。ドライバーや手斧で相手をするのは無謀に思えた。
《この星と、お前ら人類を好き勝手に改造していいオモチャだと思っているのだろうよ》
聞き慣れない声。ひどく不機嫌で、しかし耳になじむ男とも女とも取れる美声。千は即座に動いた。
星とか人類とか言うような存在が、現地人とは思えない。
《ククッ。素晴らしい殺気だな【客人】ッ》
滑るように動き、肉薄する千。そいつは異様な風体の人物だった。
まず目に入るのは頭部である。というか、頭部がその印象の全てだった。赤く染めたなめし革と、骨と角、そして金属を組み合わせて作った兜……いや、覆面。
頂頭部から伸びる二本のねじれた角、その先端はヘラのように平らで四角い。顎の下にも山羊のヒゲのような釣り針型の角。こちらは異様に鋭い。
どんな動物の骨をベースにしているのか分からない形状、落ち窪んだ目は明らかに人間の眼とは違う場所に付いていてのぞき穴ではない。
大型肉食動物の口。先端が細く、まるでジャッカルかトカゲのよう。ワニのような強固で鋭い歯が並ぶ。
身長は千より僅かに小さい。肌は夜のように黒く、華美な装飾は身に着けず。首当てと腰巻は赤く染色した毛皮だった。
「何だお前は……」
千は一瞬躊躇した。目の場所がわからない。
《俺は【ドラゴン】だ。『反逆者』『嵐の王』『蛇殺し』『山の守護者』『戦場の支配者』……》
右手には細い木の杖、左手には十字型の十手のような道具。【ドラゴン】を名乗ったその人物に、千は打ちかかった。
《まだ名乗りの途中だぞ【客人】》
「悪いな、目貫千だ」
【防具】、ラクダ色のトレンチコートを身にまとう。【ドラゴン】も身構える。羽のように身軽に飛び退き、杖を振るった。
《礼儀を心得た【客人】だなッ! 俺は『セト』だ》
「せ、『セト』!? アマタ! その方は『最初の客人』、神々の一柱だぞ!!」
イムが悲鳴をあげた。だが、【ドラゴン】を名乗る相手を放って置けるか?
「ぉらぁッッ!!」
旋風巻いて飛来する手斧、『セト』が杖で振り払う、その瞬間に千は踏み込んだ。
顔面を狙った突き、下がって避ける『セト』。ミドルキック。肘、裏拳、鳩尾狙いの右。
《強い! 強いなメヌキアマタ! 俺でなければ死んでいたぞッ》
「…………」
千は戦慄しながら一歩下がった。今ので仕留めたはずだった。右の一撃は例の十手で防がれた。
一瞬で呼び出したドライバーを、正確に絡み流されたのだ。
《クッ、ククッ! これは困るな……殺したくなる》
「勝てるつもりか? 三対一だぞ」
ジリジリ回りながら威嚇する小野。三……? 千は苦笑いした。ポロルを数に含めるなよ。
《勝てるとも》
「そうかい」
千は再び踏み込んだ。イラつく男だ。しかし、実力は本物だ。杖を捨てる『セト』、今度は打ちかかって来る。鉤型にした指。掴まれる。千は『セト』の格闘技をレスリングの一種だと判断した。
膝に蹴り、電柱を蹴ったような感覚。止まらない『セト』。千は鉤型の手を左手でブロック。反対から飛んできた十手が脇腹に突き刺さる。メキメキいった。電撃のような激痛が走る。肋骨折れた?
《ククッ!? 何だその動きは!》
十手のダメージの代わりに、千の右手は『セト』の肘を打っていた。
『セト』の右腕があり得ない方向に曲がる。千が関節を破壊したのだ。へし折れた右腕をそのまま引っ張られて、今度こそ『セト』は体勢を崩した。
打つ手は数多。貫く死の型。
腕の下を滑るように打ち込んだドライバーが、脇の下に速やかに潜り込んだ。柔らかな皮膚を貫いて体内に侵入した切っ先は、容易く心臓に達した。
「あ、あ、アマタ!!?」
イムが悲鳴を上げる。たたらを踏んで崩折れる『セト』。殺った。あまりにもあっさりと。
警戒を怠らない千に対して、『セト』は無事な手で貫かれた脇の下をゆっくりと押さえた。
《驚いたな……命を一つ失ったぞ?》




